力の渇望

 シャルロットは銃をホルスターに納め、まだ少し残っている耳鳴りに対する嫌悪感を表情に出しながら、横向きで倒れているソフィアの元へと歩いていった。

「ソフィア、大丈夫?」

 声を掛けても反応は無かったが、目立った外傷は無く、呼吸もしっかりしている事を確認できたので、シャルロットは安堵の溜め息をついた。

 それから、背を向けている彼女の正面に回り、手を差し伸べる。

「ほら、いつまで寝てるのよ。早く立ちなさい――」

 シャルロットのその声は、語尾に近付くに連れて徐々に小さく萎んでいった。ソフィアの目から、ぽろぽろと涙がこぼれているのが見えたからだ。

 そして、その涙が悔恨によるものだという事は、強く握り締められた右手と、歯を喰い縛って啜り泣いている様相から容易に推し量る事ができた。

「ソフィア……」

 シャルロットは膝をついて座り、優しげな表情で彼女の名前を呼ぶ。

 すると、ソフィアはゆっくりと身体を起こし、目元の涙を両手で拭いながら嗚咽の混じった声で言った。

「シャルロット……私、強くなりたい……。ルイズに負けないくらい……強く……」

 目の前で泣きじゃくる少女を、シャルロットは優しく抱き締める。それから、彼女の頭をそっと撫でながら話し始めた。

「その悔しさを忘れちゃダメよ。――でも残念ながら、強さなんて一朝一夕でどうにかなるものじゃないわ」

 その言葉に、ソフィアはシャルロットの襟を強く握り締め、再び湧き上がってきた悔しさを静かに訴える。

 シャルロットはその手を愛おしそうに、優しく握り返した。

「それに、あなたはまだ万全な状態じゃないでしょう? まずは記憶を取り戻す事、それが先決よ」

 ソフィアの手から、すっと力が抜けていく。

 シャルロットの優しさに抱かれ、既に泣き止みつつあったものの、ソフィアは顔を埋めたままでいた。

 ――その姿は、母に甘える子供のようにも見えた。


 それからしばらくした所で、不意にソフィアがすっと顔を離す。彼女は目元を今一度手で拭ってから、気恥ずかしそうに上目でシャルロットを見た。

「――ごめん」

「ふふ……少しは落ち着いた?」

「もう大丈夫。――ありがとう」

 そそくさと立ち上がり、紅潮している顔を背けて歩き出すソフィア。くすくすと笑いながら、シャルロットもそれに倣って立ち上がる。

 その時、彼女は突然ラメールに咬まれた首筋の傷が疼いたような感覚に襲われた。

「――!」

 息を呑み、傷口を触って確認してみる。指先に付着したのは、傷口から滲み出ていた自分の血液。

 それを見たシャルロットは、自嘲気味に苦笑を浮かべた。

「(私ったら、血が出たくらいで何をびくついてるのかしら……)」

 ふうっと一つ溜め息をつき、何事も無かったかのように歩き出す。

「――それじゃ、改めて出発しましょうか。メティス村を目指してね」

 シャルロットはソフィアの隣につき、彼女にそう声を掛ける。

 すると、ソフィアはその声に何か違和感を覚えたのか、シャルロットの顔をまじまじと見始めた。そして、怪訝そうに眉をひそめる。

「――大丈夫?」

「え……?」

 何に対する心配なのかを理解しかね、シャルロットはきょとんとしてしまう。

「汗、凄い出てるよ」

「汗……?」

 シャルロットは半信半疑といった様子で、手の平で額を拭ってみる。

 ソフィアの言葉通り、手の平がぐっしょりと濡れる程の汗を掻いていた。

「……どうかしたの?」

 心配そうな顔で見てくるソフィアに、シャルロットは誤魔化すようにぼんやりと笑いながら返す。

「久々に動いたから、ちょっと疲れちゃったのよ。やっぱりダメね、運動不足は」

「本当に、それだけなの?」

「ふふ……嘘なんてついてどうするのよ。私はあなたよりずっと強いんだから、心配なんかしなくて良いの!」

 シャルロットはそう言って、ウィンクをする。

 本気で心配していたソフィアは彼女の陽気な態度を見て、半ば呆れ気味に溜め息をついた。

「――それなら良いけど」

 “心配して損した”という意を含ませている少し尖った声でそう呟き、再び視線を正面に戻すソフィア。

 彼女の視線が自分から外れた事に、シャルロットは静かに安堵する。それから、ソフィアに気付かれないようり気無く首の傷に再び触れた。

 手に付着した鮮血を見たシャルロットの表情に、憂惧ゆうぐの色が差したように見えた。


 円石の広場から離れ、再びテールの森の林道へと戻ってきた二人。

 ソフィアは魔法の力を限界まで使った事による疲労と身体的なダメージが響いており、シャルロットもラメールに付けられた首の傷が気にかかって落ち着かない様子。二人の足取りは鈍重なものになっていた。

 特に顕著に現れているのはソフィアの方で、彼女は先程から何度もふらつき、その度に転びそうになっていた。

 そこで、見かねたシャルロットが大きく伸びをしながら「ちょっと疲れてきたわねぇ」と、独り言のように呟く。

 ソフィアはわざと聞こえていないフリをして歩き続けたが、身体は正直に応えてしまい、彼女はまたしても転びそうになった。

 それを、シャルロットはすかさず支える。

「こーら。聞こえてないフリしないの。疲れてるんでしょう?」

 ソフィアはそっぽを向いて答える。

「――休んでる暇なんて無いよ。早くメティス村に行かないと……」

「それはもっともだけど、そんな調子じゃいつか倒れちゃうわよ?」

「でも……」

「良い案があるわ」

 シャルロットはそう言って、ソフィアの前に背を向けて立つ。それから、ソフィアの両手を持って自分の肩に置かせた。

「な、何してんの……?」

「しばらくおぶってあげるわ」

「……え?」

「私は大丈夫、体力なら自信があるからね。それに、あなた軽そうだし」

「い、いいよ……! そんなの……」

「遠慮しないの! ほら、さっさと捕まる!」

「……」

 疲労と羞恥心の間で葛藤が生じ、躊躇うソフィア。

 しかしそれは、すぐに承諾してしまっては恥ずかしいという彼女のちっぽけなプライドが生んだ形だけの躊躇であり、答えは最初に提案された時から既に決まっていた。

「――そこまで言うなら、少しだけ……」

 蚊の鳴くような声でそう言いながら、ソフィアはシャルロットの背中に被さるように身体を預ける。

「任せなさい。子供は大人に頼るべきよ?」

「こ、子供って言わないでよ……!」

「ふふ……ごめんごめん」

 シャルロットはくすくすと笑いながら、ソフィアの足を抱えてゆっくりと立ち上がった。


 ソフィアが気恥ずかしさから黙り込んでしまった事により、しばらくの間、会話が無くなる。

 途中、シャルロットがテールの森の静謐せいひつな雰囲気について言及していたが、ソフィアが空返事しかしなかった事で、会話というよりはシャルロットの独り言という形で終わってしまう。

 しかし、その独り言からしばらくした所で、ソフィアが不意に口を開いた。

「ねぇ、シャルロット」

「なーに?」

 シャルロットは嬉しそうに返事をする。

「――さっきルイズと一緒に居たあの青髪の女、知ってる奴なの?」

「いいえ、初めましての奴だったわよ」

「そうなんだ……。あいつ、何者なんだろう……」

「ヴァンパイアよ」

「……え?」

 即答したシャルロットの顔を、ソフィアは横から覗き込むように見つめた。

 ――尚、シャルロットの首の傷は彼女の長い後ろ髪によって完全に隠れており、ソフィアが気付く事は無かった。

 シャルロットは説明を続ける。

「自分で言ってたわ。ルイズに仕えるヴァンパイアの一人だってね」

「その言い方だと、他にも居るって事になるよね……?」

「恐らく、そうでしょうね。私が知ってるだけでも、奴みたいなのは他に三、四人程居るわ」

 シャルロットの話を聞き、ソフィアは彼女の素性の事を思い出す。

「ヴァンパイアと戦った事、前にもあるの?」

「あるわよ。丁度一月前に、ユーティアスで一騒動あったでしょ? その時に姉と、その他諸々の連中と一緒に戦ったわ」

「その時戦ったヴァンパイア達はどうなったの?」

「今は普通に暮らしてるハズよ? サチュルヌ地方の外れの方でね」

「普通に暮らしてる……? ヴァンパイアなのに……?」

「ふふ……。まぁ、その話は長くなるから、また今度にしましょう。――ほら、森の出口が見えてきたわよ」

 シャルロットは肩の上にあるソフィアの顔を横目で見ながらそう言って、話を打ち切る。

 その言葉よりも、ソフィアは知らぬ間に顔をシャルロットに近付け過ぎていた事に遅まきながら気付き、それによって湧き上がってきた羞恥から逃げる為に会話をやめて、颯と顔を引っ込めた。

「あなた、結構な照れ屋さんよね」

「……うっさい」


 テールの森を抜けた先は、二つの分かれ道になっていた。

 そのすぐ側に看板があり、それぞれ行き着く場所の名前が書いてある。

「ようやく、あともう少しって所まで来たみたいね」

 向かって右側の行き先、メティス村の名前を見て、シャルロットは安堵を滲ませた微笑を浮かべた。

 そこで、ずっと彼女におぶってもらっていたソフィアがもぞもぞと動き、降りたいという意を伝える。

「あら、もういいの?」

「――うん。ありがとう」

「ふふ……どういたしまして」

 シャルロットはゆっくりとしゃがみ込んで、ソフィアの足をそっと離した。

 およそ十分ぶりの地面の感覚にソフィアは少し覚束ない様子であったが、これ以上は甘えるワケにはいかないと思い、一所懸命に足を慣らす。

 その姿を見たシャルロットは思わずまた世話を焼きたくなってしまったが、彼女の健気な心意気を察して、何も言わずに小さな笑みだけを零した。

「それじゃ、行こう」

「――えぇ、そうね」

「――何で嬉しそうに笑ってるの……?」

「ふふ……別に、なんでもないわよ?」

「……ふーん」


 メティス村へ続く畦道は、海を一望する事ができるという点はテールの森に入るまでの崖沿いの道と同じであった。

 しかし、今歩いている道は海との間を険しい崖ではなく砂浜が隔てており、緩やかな地形で歩きやすい環境になっていた。

 その快適な道を歩きながら、二人は各々の準備を済ませる。

 シャルロットは祓魔銃の弾倉を抜いて装填数を確認し、ソフィアは徐々に魔力が回復しつつある感覚が確かなものなのかを確認する為、試しに指輪から小さな光を放たせていた。

「調子はもうバッチリみたいね」

 その様子を見ていたシャルロットが嬉しそうに訊く。ソフィアは光を消しながら答える。

「魔力は回復したと思う。――精度はまだ戻ってないけど」

「それは村に行ってみて何も思い出せなかった時に憂う事よ。今考えたって仕方ないわ」

「……そうだね」

 準備を終えた二人は、気持ちを改めてメティス村へと向かう。

 それから五分程歩き、登りになっていた箇所を越えた所で、二人の視界に小さな木造の家々が映り込んだ。

 同時に、ソフィアが立ち止まる。彼女は怪訝そうに目を細めて、その光景を見つめていた。

「行きましょう、ソフィア」

「……うん」

 シャルロットに促され、ソフィアはゆっくりと歩き出す。

 あともう少しで、失われていた記憶が戻るかもしれない。――その思いが、ソフィアの鼓動を激しいものに変えていく。

 気が付けば、ソフィアは走り出していた。

 それに倣い、シャルロットも歩みを走りに変えてソフィアについていく。

 彼女もまた、胸騒ぎを覚えていた。それは村に近付いていくにつれ、徐々に確実に強まっていく。

「(この感覚は……まさか……)」

 彼女が抱いた感覚――それは、空気が重く、冷たくなっていくような感覚であった。


 村に到着すると同時に、シャルロットが祓魔銃を取り出す。

「ソフィア、用意をして」

「――わかった」

 いつになく真剣なシャルロットの表情を見て、ソフィアはすぐに承諾し、指輪を掲げて光剣の生成に入る。

 ソフィアが光剣を実体化させ終え、右手に握ったその時、二人の側にあった小屋の屋根の上から、何かが飛び降りてきた。

「ッ――!」

 その生物を見て、ソフィアは息を呑む。

 生気を感じられない程に真っ白な肌。頭髪は無く、服も着ておらず、骨が浮き出ている程に痩せこけた醜悪な身体をありのままにさらけ出している。

 そして、見開かれた深紅の瞳と、異常に発達して剥き出しになっている二本の牙が、それが人間では無いという事を充分に物語っていた。

 ソフィアは直感的に、その正体を悟る。

 ソレイユ島のおとぎ話に登場する怪物、ヴァンパイアだと。

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