やれるやりたいやるべきだ

 ふとテレビを点けると、衆議院議員選挙の投票結果が報道されていた。どの党が政権を獲るのか、その結果は分かり切っているので余り興味はなかったが、当選して胴上げされているとある政治家の姿が私の目に入った。

 私は「私のせいか?」と心臓が激しく動くのを感じながら、身を乗り出してその政治家のことを見た。そして20年以上昔のことを思い出し始めた。

 

 思えば妙な患者とその家族だった。我が子の脳の特徴について調べて欲しいという母親の動機はありきたりなものだったが、結果を伝える為に呼んだ面談室には、子供と母親の他に母親の更に父親、即ち子供の祖父も入って来て、母親との間に険悪な雰囲気を醸していたのだ。

「優太の祖父です」娘の制止を振り切って祖父は言った。そして、「私、元々国会議員をやっておりまして、ここは一つ宜しくお願い致します」と、眉毛を上下させながら言った。私は、「国会議員だから何なのだ」と思いながらも、相手の年の割には清潔感のある風貌や高級そうなスーツが肩書と合っているな。と思った。こちらに目を逸らさず、張り付いたような笑顔を浮かべている。

「圧力かけないで」母親が眉を潜めながら言った。そして、「すいません」と心底申し訳なさそうにいった。母親は祖父と同じく小綺麗な恰好をしているが、肩で風を切りながら歩く姿が似合いそうな祖父とは違い、隅で大人しくしているのが似合うタイプだった。

「それで優太が何ですって?」と祖父は、「何が来ようと問題はないがな」という態度で言った。私は更に体を細くする母親を気にしながらその子供に関する話を始めた。

「優太君にはADHDの傾向があります」

 母親が唇を噛み締めながら膝の上に乗せた、周囲の様子に目もくれずじいっと手に持った仮面ライダーの人形を見つめる男の子の頭を撫でた。

「成程。それで、それは具体的にはどういったものなのでしょう?」

祖父が「分かるように言え」というような、何故か高圧的な口調で言った。私は淡々と、その子供には一つのことに集中して他に意識が向かなくなるという脳の特性があることを話した。

「優太は国会議員になりますが、問題はありませんね?」

祖父は食い気味に言った。急な発言に言葉を詰まらせると、「やめてよ」と母親が鋭い目をした。

「特性に合う仕事に就いた方がいいに決まってるでしょ?この子に議員は務まりませんよね?先生」

母親の有無を言わせぬ口調に、私は「まあ、そうですね・・・」と言葉を濁した。すると母親は更に、「ADHDの人は他の人の気持ちを汲み取るのが苦手だと伺っております。優太はもっと職人的な、一つの事を追究する仕事の方が合っていますよね?」とまくしたてた。

「あのな、例え不向きなことでも人間は努力で何とでもなるものなんだ。ヘレンケラー

は・・・」

「生きてゆくのに絶対に必要な能力だったら努力して身に着ける必要はあるけど、この子の場合は違うでしょう?できないことはできないままでいいじゃない。やれることをやれば。その方が本人にとっても幸せなの。それが相応な生き方というものなの」

「あの」私は思わず口を挟んだ。上気した二人の顔がこちらに向く。「差し支えなければ、どのような事情かお聞かせいただいても?」

「いやこちらの話しですので」と拒む祖父を、「第三者の意見を聞きましょう」と母親は説明し始めた。

「父はこの子を国会議員にしようとしているんです」

「それが一番優太の為なのです」横から祖父が口を挟む。「私が力を貸せば、優太の将来は盤石だ」

「こういう凝り固まった考えを持っているものですから、私も国会議員にさせられまして」

「子を思う気持ちがあれば、自分の力を我が子に使いたいと思うのは当然のことですよね?」

「国会議員という仕事は、体裁をよく見せる必要があるのですが、そういうことが私は苦手だったんです」

「社会に出れば自分の価値を高める為に演技をする必要があります。政治家は投票してもらう必要があるのでその部分が際立っているというだけです」

「私は父のように神経が図太くないものですから、私に投票してくださった国民の皆様を騙しているような気持ちになり、罪悪感で一時期心を病んでしまって」

「こいつが特別気弱なだけですよ。公人たるもの、何を背負っていても堂々としていなくては国民を不安にさせてしまう」

「対人関係が苦手な性質のこの子に務まると思いますか?」

「極論を言えばコミュニケーション能力は問題ではないのです。揺らぎのない人間という着ぐるみを纏った気持ちでいればいい」

「今の発言お聞きになりましたか?国会議員とはこういう生き物なのです。国民のヒーローでなくてはならないのに、マスコットになっている。そもそもこの子の心を奪うような真似、お医者様の立場からしても許されませんよね先生?」

 母親に気圧されて、「まあ、今のは、確かに」と言うと、「お医者様には子供の将来を決める権限はあるのですか?」と祖父に詰め寄られ、私は板挟み状態になった。そして私を挟む二枚の板の口論は更に過熱し、部屋の息苦しさは酷くなる一方だった。

「この子には人と合わない工場とかでの淡々とした作業が向いてるの」

「そんな薄給な仕事に就いてどうする」

「富や名声よりも本人の幸せが一番大事でしょう?」

「幸せとは富と名声だ」

「違うわ。理想と現実のギャップが極力少ないことが幸せなのであって、理想以上の富と名声は不必要なの」

「そう思うのはお前が女だからだ。男にしか分からないことがある」

「もう私達を自分の装飾品にするのはやめてよ」

「なんだと。お前等を愛しているから心配してるんだろう」

「私はこの子の適正に合った生き方を見つけたいの」

「優太の将来は国会議員だ」

 二人は立ち上がって唾を飛ばし合っていた。祖父は顔を赤くし、母親は目を潤ませていた。私は、二人の熱量は空気を震わせる程だったので何もできずに見ていたが、ふと視線が二人の足元で尚も仮面ライダーの人形を触っている子供本人に向かった。

「優太君の気持ちはどうなんでしょう」私はふと言った。二人の刺すような貌がこちらを向いたが、私は怯まなかった。もし二人が本人の気持ちを無視しているのだとしたら、それは余りにも優太君が可哀想だと思ったのだ。

「お二人は確かに優太君の将来について真剣に考えておられるようですが、優太君本人の意見に耳を傾けてあげたことはありますか?特性によってやれることや、利益の為にやるべきことよりも、本人がやりたいことをやらせてあげるのが一番いいんじゃないでしょうか?そもそもこれは優太君の人生の話ですし」

 二人は不服そうな貌をしつつも、黙った。私は椅子を降り、片膝を付いて、優太君の小さな肩に手を当てた。「先生、ちょっと聞いてもいいかな?」と呼び掛けると優太君はようやく目を私に向けた。

「なあに?」優太君の大きな瞳には、少しの濁りもなく私自身の顔が映っていた。そこには将来への不安や損得勘定は一切なかった。

「優太君は、将来どういう人になりたいのかな?」

 私は優太君の小さな憧れを壊さずに汲み取る為に優しく尋ねた。すると優太君は手元の仮面ライダーの人形をしばらく見つめた後、言った。

「これ」

「これ?」思わず鸚鵡返しする。

「仮面ライダーのお人形」

「仮面ライダーのお人形?」

「うん」

「仮面ライダーではなく?仮面ライダーのお人形になりたいの?」

「うん」

「動けないよ?ライダーキックできないよ?いいの?」

「知ってる」

「そっか・・・」

 母親が噴き出した。次に祖父も噴き出し、二人で笑い出した。そして、「子供なんてこんなものですよ」と私を囃した。「自分自身じゃ将来のことを真剣に考えられないから、大人がサポートするんですよ」

 私は肩透かしを食った気分と恥ずかしさが相まって、面談を切り上げた。私は、「とにかく、長い目を持って、よく話し合ってください。そうすれば三人の理想が全て叶う方法も見つかるかも知れません」と言った。


 言ってしまったのだ。現在、私は自分の過去の発言が長い月日を経て恐ろしい形を伴って現れたことを目の当たりにしている。あの三人は、私の言葉通りよく話し合ったのだろう。そしてそれぞれの理想を全て叶える方法を見つけてしまったのだ。

 胴上げされているのは、優太君の名前を持った仮面ライダーの人形だった。大きさこそ人間と同じくらいだが、構えたポーズのまま全く動いていない。

確かに、人形になれば、揺るぎのない人間の着ぐるみを纏い、コミュニケーション能力を使わない国会議員になることができる。

 三人は見事難問を解決してみせたのだ。

 ただ、この国は一体どうなってしまうのだろう。

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筆でシュールに風を刺す きりん後 @zoumaekiringo

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