境界線

綿麻きぬ

メルト

 私はきっとおかしいのでしょう。だって、もう境界線があいまいになっているのですから。


 この世界に私が溶けていく感覚に襲われるのです。まるで私が消えていくような。


 考えてみてください。自分という存在が溶けていくのです。ちゃんと形づいていたものが。


 最初は少しの恐怖と心地よさでした。世界と融合できるみたいな、そんな厨二病的な淡い期待とともに。


 ですが、徐々に恐怖は大きくなってきました。それはすべての境界線が溶けていっていたのです。


『やっていいこと』と『やってはいけないこと』、『私』と『他人』、『地上』と『空気』、他にも上げればきりがないでしょう。


 例えば、私がお店に立ち寄ったとき。すっと手が商品に伸びるのです。そして、さっとカバンの中に入れてしまいたくなる衝動に駆られるのです。まだしてないだけで、もしそれをしてしまったのなら犯罪なのに。


 おかしいでしょう。犯罪だと分かっているのに衝動に駆られるのです。いつかそれを破ってしまう私が見えてしまうのです。


 あぁ、コワイ。


 また、私とあなたの境界が分からない。『他人は私』で、『私は他人』のような気がするのです。まるで自己の線引きが出来てないように。私が私じゃないのです。私が私として確立してないのです。


 あぁ。オカシイノ。


 そして、地上に足がついてないのです。人間と言うものは足を地につけているものでしょう。ですが、私は空気に溶けているのです。浮いているのです。


 あぁ、キモチガイイ。


 この溶けていく感覚に身を任せて、思考を放棄し、私は境界線を放棄していくのです。


 境界線を自らの意志で放棄していくと世界はぼやけてきました。


 そんな世界を私はゆっくりゆったり浮遊しながら泳ぐのです。時間の流れは遅く、何者もいない世界。泳ぎながら考えます。私の望んでた世界はこれだ。


 そう、すべてが一つになる世界。私も溶けて、他人も溶けて、平和も溶けて、悪も溶けて、世界も溶けて。


 さぁ、何もかもを投げ出して一つになろう。






 とある部屋に一人の人間の死体があったはずだった。その人間は自分が自分ではない恐怖に怯えていた。現代に蔓延っているその恐怖に耐えられなかった。そして、人間は自分を捨てたのだ。周りに自分を溶かすことにした。結果、溶けることは成功した。


 だから、死体はないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

境界線 綿麻きぬ @wataasa_kinu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ