第五話 提案と選択

「──おぬし、神子にならんか?」

「みこ……?」

「そうじゃ」


 神子なんて言われたところで、いまいち神子という意味がわからない。そもそも、神子と言っても色々なものがある。巫女とか神子とか御子とか。

 この仙狐というやつの言う「みこ」とはそのうちのどれのことなのか。


「こう見えても、わしはこの森の守護神的な立場におる。神子はその仕事を手伝う役割を持つ者の事じゃ」

「……神子の方か。でも、それになったところで僕に良いことなんてないでしょ」

「いや、そうでも無い」

「どういうこと?」

「まあわかりやすく言うのなら、ぬしのもう一つの望みであることができる」

「っ………」

「どうじゃ? おぬし、人間をやめたいんじゃろ?」


 人間をやめたい。そう確かに願った。

 しかし、人間をやめるなんて出来るわけがない。生き物というのは、一度その生き物として生まれたのならば一生を終えるまでその種族を変えることはできない。この世界は現実でありゲームじゃないんだ。

 それをどう変えるなんて言うんだ。少なくとも僕には一度死んで生まれ変わるという方法以外に思い当たらない。


「人間をやめるなんて無理だ……」

「出来ないことを態々言うと思うか? 出来るからこそ言うんじゃ」

「…………」

「さあ、どうする? 断るならさっさとその命を絶てばよい。じゃが、もしもわしの提案を呑むっというなら、少なくとも今よりはいい生活が出来るとは思うぞ?」


 何故そこまで僕を生かそうとする。人間をやめたところで、神子になったところでどうせ僕への扱いは変わらない。この人もまた、僕を人形のように使うだけ使って捨てる気なんだ。

 それに、この人には僕を助ける理由がない。他の人間なら「自殺しようとしていた子供を助けた」という多大なる名誉が送られる。しかし、この人にはそんな名誉は送られない。自己満足にしかならない。


 ……だがもしも、この人が僕を「生き物」として必要とするのならばどれだけ嬉しいことか。


 しかし、そんなことを期待する程、裏切られた時のショックは大きい。その恐怖が、僕の自殺願望を増大させていく。早く楽になりたい。迷うくらいなら楽になりたいと。


 頭を抱えて苦しむようにして悩む。僕は一体どうすればいいんだ。何が正解で何が間違いなんだ。


「迷うくらいならわしの所に来い。そろそろわしも一人で暮らすのに寂しさを感じてきたからの」

「……きっと、貴方も裏切る。どんな生き物だって同じだ。用が済んだら僕を捨てて、僕の存在なんてなかったかのようにすぐ忘れる。生き物なんて大っ嫌いだ。だから僕を、助けようとしないで」


 もう顔なんか見たくない。手も、足も、体も全て見たくない。

 この人は赤の他人で僕の本心なんてわかりやしない。それに、僕のことなんてこの人にとっては関係のない話だ。

 僕を助けようとしたって無駄だ。助けようとする人にはいつも裏がある。助けられた側の人は助けた側の人にとってはどうだっていいんだ。そんな生き物になんて助けられたくない。


 ──だからもう放っておいてくれ。


「……何か勘違いをしとらんか?」

「……何も、してない。もう何も信じたくない」

「そこじゃない。そもそもおぬしは何故、わしがおぬしを助けようと考えていると思うのじゃ?」

「それは」

「少なくとも、わしはおぬしを助けたいなんて一言も言っとらん。断るなら断ってその命を絶てばよい、そう言ったはずじゃ。あくまで提案。呑むか呑まないかはおぬし次第なんじゃ」


 ──なんだろう、今まで会ってきた人とは何かが違う。


 僕は特に根拠もないが何故かそう思った。

 この人なら信用してみてもいいのかもしれない。もう一度だけ、誰かを本気で善人として見てもいいのかもしれない。


「……だが、わしはおぬしに神子になってもらいたい。おぬしは他の人間とは違って心の中に「欲」がない。何かに対しての『信頼』というものもな」

「……本当に僕を、『生き物』として必要としているんですか?」

「当然じゃ。わしはおぬしを『仲間』として欲しているのじゃ」


 本当に必要としてくれている人がいる。それも、ただの人形ではなく生き物として。それだけでも嬉しかった。

 全てが狂い始めたあの時から信じれるのは自分だけ。自分が信じるべきものはない。必要とされず、騙され続けた日々から救ってくれた気がした。


「……仕方ないのぉ」


 その瞬間、突然何かの温もりを感じた。そしてその温もりは僕の体だけでなく心をも暖かくした。


「わしがぬしを大切にする。じゃから、もう心に壁を作って孤独になる必要ないんじゃ」

「あぁ……ぅ……」


 その小さな腕で優しく、そっと僕を包み込んで放ったその言葉に、僕は涙を流した。泣きたくないと思っても、何かが崩れるように涙が出てくる。

 こんなことは初めてだった。こうやって誰かに抱き締められるなんてことも、優しい言葉を掛けてくれたことも。


 僕は彼女──仙狐様について行きたいと思った。


「……わかりました。僕は貴方を信用し、神子となります」


 流していた涙を何とか止め、僕が心の底から決意したその言葉を告げる。すると仙狐様は、とても嬉しそうだった。その様子はまるで、喜びはしゃぐ子供のようだった。


 いつぶりだろうか。自分の言葉で人を喜ばせたのは。今まではその言葉すら馬鹿にされ、笑われていた。初めて、誰かを喜ばすということに幸福感を持てた。


「その言葉を待っておった。わしは嬉しいぞ」

「……それで、何からはじめるんですか?」

「まあ待て。まだおぬしには神子としての資格はない」

「……なら、さっきまでの話は嘘だったんですか?」

「そんなわけなかろう。あれだけ決意して告げられたのじゃから、話が嘘の話だったなんてわしも死ぬ程嫌いな展開じゃ。それに言ったであろう。神子になるには人間をやめることになるとな」


 つまりどういう事なのか。神子になるには人間をやめることになると言われても、そんな方法を知らない僕からすればこの話の意味がわからない。具体的に僕は何をすればいいんだ。


 そんなことを考えていると、狼が僕の方によって来てこちらに手招きする。耳を貸せとでも言っている気がし、とりあえずしゃがみこんでみる。


「神子になるには、仙狐様と契約の儀式を行わなければならない」

「契約の儀式?」

「何をするのかは仙狐様にしかわからない。それに恐らく、仙狐様も初めての儀式だ」

「だから、どうしたって言うの?」

「下手すりゃ神子になる前に死ぬってことだ。聞いた話じゃ、儀式というのは生き物によって気持ちがいいくらいに上手く成功する時もあれば、全身を押し潰されたような痛みに耐えて成功したという事例もあるらしい」


 話を聞く限り、その儀式というものはお互いに痛みを伴う可能性があるものらしい。だが、僕にとっては失敗して死んでしまったとしても………


 ──何でだろう。さっきまでは、自分が死んでも誰も悲しまないと思っていたのに、考えた瞬間に仙狐様が悲しむ姿が想像出来た。今までこんなことなかったのに、一体僕はどうしてしまったのだろうか。


「何をしておる、早くわしについて来い。えっと……」

「──名前、教えた方がいいですか?」

「いや、今から人間をやめるという人間に名前を聞くというのはどうかと思うのじゃ」

「別に名前が変わるということじゃないんですから」

「変わるぞ。儀式の後はおぬし自身が名前を忘れるんじゃ」

「え……?」


 人間をやめるということは即ち、人間としての名前である藤橋優希を捨てるということ。そう考えれば、仙狐様の言う名前を聞く必要がないというのも頷ける。


 僕自身、人間をやめると言うからにはこれくらいはあるだろうと覚悟はしていた。


 生き物の殻を被った人形である藤橋優希を捨てられるという嬉しさが僕にはあった。しかし、それと同時に唯一無二の支えであった父親が付けてくれた名前を捨てるということに、僕は少しだけ残念な気持ちになった。


 狼から「頑張れよ」と応援の言葉を貰った後、僕は仙狐様の住む家に仙狐様と一緒に入って行った。


 仙狐様の家はイメージ通り和風。中は比較的片付いており、一部屋がとても広く綺麗に見える。部屋の数はざっと数えて七部屋もある。あまりにも多い。

 ここでずっと一人で過ごしていたと思うと、寂しくなるというのもわかる気がする。


「儀式の場所は……寝室でよいか」


 しばらく家の廊下を歩き、仙狐様は一枚のふすまを開けて僕と一緒に中へと入る。中に入るとそこには、恐らく仙狐様が寝たであろう敷布団がポツンと真ん中にあった。しかも、布団がぐじゃぐじゃになっている。


 さては仙狐様、かなり寝相が悪いのでは……?


「流石わしじゃ。儀式で体調を崩してしまった時のために布団を敷いたままにしているとは」

「……片付けるのがめんどくさかったんですか?」

「ち、違うのじゃ! それよりも、早く儀式を始めるぞ」

「了解です。……それで、僕は何をすれば?」

「なに、ちとすっぽんぽんになってくれればいいだけじゃ」

「……えっと、どういうことですか?」


 仙狐様は窓から外が見えないようにカーテンを閉めながら、とんでもない爆弾発言をする。僕が困惑している間に仙狐様がカーテンを閉め始める。

 完全に場がR18展開のそれなのだが、流石にそうはならないと信じたい。僕はそういうことはあまりしたくはない。


「とにかく、今着ている物を脱げばよい。でないと、儀式が成功した時に苦しくなるぞ」

「……もしかして、僕の初めて奪っちゃうんですか?」

女子おなごみたいな言い方じゃなおぬし。まあ、流石に貞操までは奪いはせん。あくまでこれは儀式じゃ」


 なんだろう。すごく不安な気もするし、何をされるかを想像しあまりの羞恥心からここから逃げ出して溺死したい気分にもなる。

 ……実は、僕の貞操がどうなろうとどうでもよかったりするのだが。人間をやめられればそれで。


 これ以上言う通りにしなければ無理矢理脱がされる気がしたので、大人しく着ていた制服を脱いでいく。


「……下もですか?」

「勿の論じゃ」


 何故全裸にならなければならないのか、それがわからない。理由について聞いても「気が向いたら話す」と言われる。少なくとも必要なことだということはわかったが、必要なことだからこそせめて納得できる理由を知りたい。

 僕は仙狐様に見られないように、脱いだ制服で体全体を隠す。


「ぬ、脱ぎました……って、何で仙狐様まで脱いでるんですか!?」

「安心せい。わしはこれでも長生きしとる。見た目はろりだが、決して子供と呼ばれるくらいの歳ではない」

「そういう問題じゃないと思うのですが……」


 脱ぎ終えたことを報告しようと仙狐様を見ると、何故か仙狐様まで巫女服を脱いでおり、急いで目を逸らす。まだ脱衣の途中だったことと、僕に背を向けていたこともあって奇跡的にデリケートゾーンを見てしまうことは無かった。

 その代わりに、色白い肌と綺麗な肩甲骨と小さな尻、そしてそこから生えている尻尾を見てしまった。僕は何も見てない。うん、何も見てない。

 まるで催眠術のように、何度も心の中で何も見ていないと唱える。


「貧相な体じゃのう。まあ、そんなことは関係ない。早く儀式を始めるぞ」


 服を脱ぎ、尻尾で体の前部分を隠しながら仙狐様は僕のすぐ後ろに座り込んだ。

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