第四話 自殺願望

 水の流れる音が聞こえる。聞こえるということは、どうやら僕は生きてしまったらしい。


 ザザザーっとまるでノイズのような風の音が聞こえる。あれ、風はこんなにも不快になるようなものだったか。


「ケホッ、ケホッ……」


 飲み込んでしまった水を吐き出す。生きていたのは奇跡だ。僕にとっては迷惑極まりないことだが。

 ゆっくりと瞼を持ち上げる。そこで見たのは、まるでゲームのような美しさの森であった。


「……なんで生きてるんだろ」


 自分は死んだ方がいい。その方が人間側からは喜ばれるし、僕自身も楽になれる。

 もう一度、僕が流されてきたであろう川に入って溺死してもいい。だが、それはこの森を少しだけ探索してからでもいいだろう。それにここなら、自分を殺してくれる獣達がいるに違いないから。


 僕は森の中に入っていった。森の中では、僕が流されてきた川の音や草木を揺らす風の音が聞こえる。そしてこの音が、僕の心を少し癒した。初めてだった。こんなに気持ちのいい感情を持てたのは。

 だが、どうしても時々その音にノイズがかかる。まるで、僕には癒される権利すらないと言っているかのようだ。


「ヨォ!」

「…………」

「アリ、キコエテナカッタカ? ヨォ!」

「……聞こえてる。誰?」


 森を歩いていると、どこからともなく声が聞こえた。カタコトで、とても人間が出せるような声ではない。

 声のした方を見ると、そこには葉で作った帽子と服を着た小人がいた。顔は真っ黒で目が赤く、とても怖い。


「オリッチハコノモリノヨウセイサ! オマエニンゲンダロ?」

「だったら何、殺して食うの?」

「オリタチハニンゲンハクワネェ。マジーシナ」

「じゃあ、僕に構わないで」


 森の妖精だか何だかは知らないが、コイツらに用はない。僕は軽く探索してこの人生に幕を閉じる。この森の中で死ねるのならば僕は光栄だ。少しでも僕の心を癒してくれるこの森で、ゆっくりと眠りたい。


「オマエ、アシニエダガササッテル」

「……ぁ」


 森の妖精がそう言うと、僕は矢が刺さっている自分の右足の存在に気がついた。妙に歩きにくかったのはこれが原因だった。これが人間の手による傷と考えると気分が悪くなる。さっさと抜いてしまおう。

 僕はぐっと力を入れて矢を持ち、勢いよく引き抜いた。矢が刺さっていた場所からは血がドバドバと出てきている。しかし、それを止めようという考えはない。どうせ、近いうちに死ぬんだから。

 不思議なことに、何故か僕には痛みが感じられなかった。ただ血が流れる感覚がするだけだ。


「……オマエ、ダイジョウブナノカ?」

「知らない」

「ドコニイクンダ?」

「……知らない」


 何もわからない。自分が向かう場所も、自分の居場所も、信じるものも、目指すものも、何をすればいいのかがわからない。

 だけど、僕はとにかく歩く。この先に何があるのかもわからないが、少なくとも何かはあるだろう。その何かを見つけたところで僕にとって良いことなのか、或いは悪いことなのかはわからないが、それでもとにかく歩く。


「オマエ、ココロガナイ」

「……あれは……廃墟……?」


 森を歩いていると、苔が生え今にも崩れそうな程にボロボロの廃墟があった。

 ここもかつては人間の住処だったのだろうか。或いは、また別の種族のものだったのか。だが、ボロボロなところを見るともう誰も使っていないということだ。だったら別に、誰かが勝手に中へ入っても問題ないだろう。


「ソコハ、ハイラナイホウガイイ。オオカミノナワバリダカラ」

「別にいいんだ。僕が食われても、誰も悲しまないから」


 廃墟に近づいて行く。すると、廃墟の窓から赤い光が見えた。いや、あれは光ではなく眼光だ。

 さらに近づくと、中からぞろぞろと狼が威嚇をしながら出てきた。軽く数えて二十匹はいる。その狼の特徴として全ての個体が銀色の体毛を持っている。


「……貴様、我らに何か用か?」

「話せるんだ」


 一匹の狼が口を開いた。周りの狼よりも先頭に来たということは、この狼がこの群れのリーダーなのだろう。それよりも、人間以外が言葉を話すということには驚いた。


 僕がさらに廃墟に近づくと、その狼は僕の腕に勢いよく噛み付いてきた。噛みちぎるのではなく噛み付いた。恐らくこれ以上近づくと噛みちぎるぞという警告なのだろう。

 それでも僕は近づいた。どうせ死ぬんだから、別に腕がなくたっていい。そう考えていた。


 しかし何故か、狼はそんな僕を見て噛み付くのをやめた。


「本来の人間なら、こうしてやればすぐに攻撃してくる。しかし、何故貴様は攻撃をしなかった?」

「……どうでもいいから」

「……何があった、人間」

「ココロガナインダ。オリトニテイルナ!」

「いや、この人間は貴様らのように最初から心がない訳では無い。恐らく、自ら壊したんだ」


 心がないだとか言っているが、一体どういうことなのだろうか。痛みを感じないと言うだけで、何故心がないと言うんだろうか。

 まあ、そんな疑問はどうだっていい。僕は今、この廃墟の屋根に登って景色を見てみたい。


 僕は、既に崩れた岩壁をよじ登って廃墟の屋根に登る。その場所からは、下にいた時よりも一層風が感じられた。


「……草になりたい」


 草ならこの時々聞こえるノイズも気にすることなく、この風をずっと感じていられる。誰からも裏切られることはない。誰からも人形のような扱いをされない。

 ただ踏まれて、ただ引き抜かれて一生を終える。それでもう十分だ。


「おい人間!」


 下から狼の声が聞こえる。こんな僕に何の用だろうか。


「お前に会わせたい者がいる。ついて来てはくれないか?」


 こんな僕に会わせたい人とは一体誰だろうか。狼の王的な生き物か。それとも、そう言っておいて全員で食べようという作戦なのか。

 しかし、このままずっとここにいては死のうにも死ねない。この狼が言う「会わせたい者」に会って、それでもう飛び降りでも溺れでもして人生を終わらせよう。


 僕は屋根からゆっくりと降り、狼の元に行く。


「ドコイクノ?」

「仙狐様の所だ」

「メズラシイネ。ニンゲンヲタスケヨウトスルナンテ」

「気まぐれだ」


 何だか言い争っている。僕が何か悪いことでもしたのだろうか。やっぱり、この屋根に登ったからかな。


「人間、さっさと乗れ」

「いいの?」

「そっちの方が早い。一々人間に合わせてたら日が暮れてしまう」

「……じゃあ」


 僕は狼の背中に乗る。実際に乗ってみると狼の体は案外大きく、僕と同じサイズの人間が後三人は乗れるくらいに余裕があった。重さについてはよくわからないけど。


 僕が背中に乗るとすぐに狼は走り出し、森の中をかけて行った。そして僕は全力で走る狼に振り落とされないようにしっかりとしがみついた。


「……毛、柔らかいね」

「喋るな。舌噛むぞ」

「別に噛んだって、誰も」

「悲しまない、か。そうだな。だけど、上に乗せてる奴が舌を噛んで血でも出されたらこっちは迷惑なんだ」

「……わかった」


 これは狼なりの親切なのだろうか。いや、どうせ心の中では僕のことを乗せること自体嫌なはずだ。

 だったら僕はこれ以上何も言わないでおこう。これ以上は話すことも特にない。じっとしがみついて、これ以上迷惑にならないようにしよう。


 狼は森の木を避けながら奥へと進み、しばらくすると先程の廃墟のように苔が生え、さらには蘿が絡みついた鳥居が見えた。狼はそこを通ると、その先にあった階段を僕が落ちないようにゆっくりと上がって行った。

 ここまで気を遣わせるくらいなら僕自身が歩いた方が良かったのかもしれない。


「ここらで降りろ。その足でもここなら歩けるだろ」


 狼は階段を登りきったところで僕を降ろす。どうやら階段で降ろさなかったのは、僕の足の傷を心配してのことだった。


「……ありがとう」


 ここら最近、一度もしなかった感謝を久しぶりにした。今までは感謝するほどの人間はいなかった。勿論、育ててくれた母親にだって感謝なんてしたこともない。

 それが、何で人間でもない狼に出来たのかはわからない。


「……この建物は?」


 僕の目の前には、とても和風チックで日本にあった神社を思い浮かべる家があった。とても大きいとは言えないが、誰かが住むには全く問題ない大きさの家だ。


 それにしても、なぜこんな所に家なんてあるのだろう。恐らくここには現在僕以外に人間はいない。だから、こんなにも人間が住みそうな家があるのは妙だ。


「仙狐様、いらっしゃいますか?」


 狼が目の前にある家に向かって言う。すると、家の裏からヒョイっと誰かが出てくる。体型はロリっ娘と呼ばれるくらいに小さく、巫女服に似た着物を着ている。そしてその手に箒を持っており、今から掃除をしようとした、或いは掃除をしていたということがわかる。


 そして何よりも気になったのが、その人には狐の尾が生えていた。よく見れば狐の耳も生えている。

 この人は所謂、ロリ獣耳っ娘というやつだ。一部では人気があるが、僕はあまりそういうのには興味が無い。というか、興味を持つ程の余裕はなかった。


「誰じゃ、わしが折角掃除をしようとした所にきおった輩は!」


 仙狐様と呼ばれた獣耳っ娘がこっちに来る。その移動方法が長距離ジャンプというのには驚いた。


「申し訳ございません。ですが、少々会わせたい人間がいまして……」

「人間じゃと? おぬしが人間を連れてくるなんて珍しいのぉ」


 チラッと仙狐様はこっちを見る。そして、僕の全身をじーっと見つめる。何故か、僕の体の中を見ているような感覚に襲われるがきっと気のせいだ。

 ふむふむ、と何やら納得した様子の仙狐様。一体僕の何を見て何に納得したのか。


「人間、おぬしさては命を絶とうとしとるな?」

「……命を絶とうが僕の勝手。僕が決めたことです」

「親には人間として見られず、周りの人間からも人間と見られず、さらには友人に裏切られ、最後には裏切り者として処理される。とんだ人生じゃのぉ」

「それを言いたいだけだって言うのなら、今すぐにでも死にに行きます。話を聞いてるだけ無駄ですから」

「まあ待たんか」


 僕が階段を降りようと振り返ると、仙狐様は僕の手を掴む。

 どうしてそこまで止めようとするんだ。誰かが死のうと他人からすれば「あっそ」程度で済ませられ、数日もすれば思い出そうとしない限りは記憶にはない。


 だったら、僕一人をどうしてここまで止める。それこそ意味が無いじゃないか。他人が僕を救うことになんの得がある。なんだ、国のお偉いさんから感謝状でも貰いたいのか? 自分の名誉のためだけに人を助けるのか?

 そんな理由で助けられたって嬉しくない。感謝もしない。だから、邪魔しないで欲しい。こんな考えしかできない人しかいないこと世界で生きることは苦痛でしかないんだ。


「おぬしにひとつ提案じゃ」

「提案……?」

「そうじゃ」

「仙狐様、もしかして……」


 仙狐様は僕の目をしっかりと見て、握られた僕の手に力を込めて口を開いた。


「──おぬし、神子にならんか?」


 いつも人の言葉なんて聞いただけで気持ち悪さを感じていた。だがこの人が放った一言には、その気持ち悪さを感じることはなかった。

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