懐かしくも新しく

 たまに料理をする時に思うことがある。料理とは実験の一種なのでは?と。給食室や給食センターは一つの実験場なのかもしれないとも思う。個人に対しても集団に対してもやることは同じだが、規模は違うのだ。だから、給食を作ってくださった人には申し訳ないが、時折不評なものもあったのだろう。ただ、給食は嫌いなものが多い子を除けば概ね食べられる味のものが多かったように思う。私が好きだったのは、揚げパンや味噌汁。カレーなどである。サツマイモチップスや、焼き魚も美味しかった。

 しかし、これらの味を家庭で再現しようとしても、私の家にある材料ではうまくいかない。味噌汁を例に挙げると、まず味噌の色や味が違っていた。私の家で使っているのは、焦げ茶色の味噌で祖母の手作りである。対して、給食の味噌は色が薄めであった。作り方も、味に乖離があることからおそらく違うだろう。私の家の味噌汁は味が薄く、それが却って具の味を引き立てていたように思う。対して給食の味噌汁は全体的に味のバランスがよく、私自身いつまでも食べていたくなる味だった。他にも細かい違いはあるのだろうが、覚えている限りではこれくらいしかない。そもそもの話が随分昔の話である。思い出せと言われても限界があるのだ。

 今日は今日とて、かきたま汁を久々に作ってみた。具材はきのこ(しめじとえのき)だけだが、味は冷ました状態だと少し薄く感じる。これは後からどうにでもなるので置いておいて、見た目は過去最高レベルに到達した。総合すれば四捨五入してギリギリ到達するレベルの会心の出来栄えである。私自身、かきたま汁の見た目が悪いことは前から気になっていたので、これで結果的には一歩前に進んだことになるのだが、見た目についてはまだまだ課題が山積みで、場数を踏まないと完璧に仕上げることはできないのだ。沢山の実験を重ねて頭の中に蓄積していかなければ、どのデータが正しいのかも分からない。偶発的に上手く行っただけでも、次に同じことをすればもっと上手く行くかもしれないし、その逆かもしれない。味の方も、今でこそ丁度いい具合が分かるようになって来たが、以前(コンソメスープを作った時など)は、塩が足りず味が薄くなってしまったことや逆に味が本来より濃くなってしまったことがあった。この経験を踏まえたことが結果的にはスープ作りのレベル上げに繋がったのだが。決定的だったのは、父から褒められつつもアドバイスをもらったこと。あの言葉が無ければ、私はスープ作りをやめていたかもしれないので、そういう意味では父に感謝したいと思っている。

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