公開処刑と悪目立ち

 昔から私は悪目立ちをしていたように思う。というのも、周囲の目から見て「おかしい」と思われるようなことを素でしていたからだろう。世間体をよく気にする母からも叱られ、弟からもなじられる(これを執筆している時点で外泊をもらっている最中)。父はそこそこ力になってくれたが、やはり限定的なものである(別居中)。一応、ツイッターもしているが私自身をよく見てくれる人はそこまで多くないし、私自身は作品のファンさえ増えれば別に構わないというスタンスを貫いているので、作品の話ができればそれで良かったのだが……。

 変な奴や変わり者ほど目にする機会が少なく、見つかったとしても公開処刑されることが多いような気がする。凡人には分からない感性や思考回路を持っているからだろうか。私自身、研究者めいた探究心(好きなものは一度ハマれば抜け出せず、とことん追及する)を持っているのだが、何故皆はそれを持っていないのかが不思議で仕方なかった。それどころか、ちょっとした一言で面白がられるのは不快だった(公開処刑されているに等しい)。一応、同じような感性の人と付き合えば少しは楽になるのだろうが、今までに一度も成功した試しがないように思う(細かい条件が合わない為。一番欲しいのは隅から隅まで考察してくれ、また私のしていることに驚かない人)。また、人と感性が違うせいで極端に(最低でも7歳以上離れていないと同じ目線では話せない)話が合わないこともあるというのも困りものである。そうして、リアルでもネットでも悪目立ちをするものだから私自身は自信(小説の腕のみ例外)が無くなっていった。まるで何度も公開処刑を食らっているかのようだ。

 公開処刑といえば、中世ヨーロッパに於いては娯楽の一つでもあった。娯楽の種類が少ないのもあっただろうが、何より日頃の鬱憤ばらしに丁度良かったのだろう。日々の暮らしがやっとという彼らにとって褒められたものではないだろうが、そういう楽しみがあったという話である。

 同じようにして、何もないただの人が叩く材料として私は格好の獲物なのだとも考えられる。そういった人ほどえてして鬱憤を晴らしたがるものである(私もそうしたいのは山々なのだが、いかんせん方法が暴力的な為に何度も母に叱られた)。別に、作品のアンチが増える分には構わない(良く見ている証拠)のだが。それより嫌なのはファンだった人に拒絶されることである。ファンが考察をしつつ、それを見守るのが私の楽しみでもあるのだから(言うほどファンは多くないが、これにはある程度制限をかけているというのもある。そうしなければ質の高い考察が見られないと、私自身が思っているのだ)

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