~Epilogue~2019年12月21日

「クリスマスワインフェア招待券?」


 封筒の束をめくっていた妻の声にハッとし、慌てて手からそのエアメールを奪った。

 

「いいんだ。オーストラリア時代の友人が向こうでそういう仕事をしている」


 頼まれて高いワイン買わされないでよと釘をさすと、妻はキッチンに戻っていった。そろそろこういうものは送らないように伝えなければ――。シドニーからのその封筒には、見覚えのある右上がりの字で俺の名前が書かれていた。

 「不惑の40代」というが人生そう甘くはない。オーストラリア留学から20年近く過ぎ、あの頃の青春ももれなく40代に突入した。



 中国では新郎側の付き人を「バンラン(傍郎)」といい、ごく親しい友人に頼むのが一般的だ。ジョニーはそれに日本人の俺を指名してきた。13年前のクリスマス、俺はシンガポールに飛んだ。お相手はベリーショート美人で、顔合わせのとき学生時代にかじったという日本語で挨拶をしてきた。


「あー、わたしが、なまえの、ルーシーです。どうも、おきをつけて」


 ”お気を付けて”はジョニーのほうである。彼女は日本語が話せることを周囲に見せたいあまり、ジョニーには完全に背を向け、理解に苦労する日本語をしつこく俺に吹き込んできた。まるであの忌まわしいバレンタインと同じ構図である。

 それにしても白いタキシード姿のジョニーに対する違和感は尋常ではない。あの頃よく着ていたピカチュウのTシャツのほうがよほど似合っている。ここに至ってわざわざ聞くことではないが、なぜ俺なんかをバンランにしたと問い詰めた。


「やっぱりキミやアヤコがいたパース時代は特別だったんだよなぁ」


 俺は横を向いて泣いたが、「そういえば、どうしてアヤコを振ったんだよ?」という一言に、折角の涙が一瞬で無効になった。ジョニーの結婚式からずっと後年になるが、アヤコとは偶然にも再会している。

 これも暮れに差しかかった頃の話しで、会社近くの郵便局で順番待ちをしていると、ふと強い視線に顔を上げた。アヤコは慌てて下を向いたが、こちらの視線に耐えられなくなると、ゆっくりと顔をあげて彼女は軽く頭を下げた。

 留学から帰ってきた後、アヤコに送った短いメールに返信が返ってくることはなかった。その後の長い年月を埋める言葉を探していたが直後に番号が呼ばれ、振り返りながら窓口へと急いだ。手続きを済ませた時には薬指に銀色をはめたアヤコの姿はすでにどこにもなかった――。



 六本木グランドハイアットのラウンジの外には、けやき坂の街路樹が冷たい光の点滅を放っており、通りがかりの人々にカメラを向けられていた。


「――リュウ、ちょっと太ったんじゃない?」


 ワインフェアの会場から抜け出してきたサキは、クリーム色のスーツで現れた。俺はアハハと受け流すと「相変わらずだな」と微笑んだ。

 サキとはあっけなかった。恋人と呼び合えた時間は、シドニーでの日々も入れて半年ぐらいだった。帰国してすぐの頃は長いメールを送りあっていたが、「次はいつ会えるの?」という話題が増えてきた頃にすれ違ってしまった。


<リュウは自分のことで精一杯でアタシのことなんかどうでもいいんだね!>


 大学を卒業したら結婚したいと思っていた。しかしふたりの崩壊は一瞬だった。それから10年以上過ぎたある日、突然サキからメールが来た。<結婚することになりました>とあった。お相手はワイン関係で知り合ったオーストラリア人らしい。

 

<――あの後リュウとやり直したくて何度もメールしようと思ったけれど、拒絶されるのが怖かった>


 結婚する前にすっきりさせておきたかったと断った上で、わざわざ最後にそんなことを書いてきたのである。<もう一度やり直そう>と書いては消していたのは、俺も同じだった――。

 その後、数年に一度サキが日本に来るタイミングで軽くお茶をする関係が続いている。意図して昔話を避けたりしないが、妙なムードになることもない。今回は4年ぶりとなったが、一児の母になったサキに会うのは初めてだった。


「――そうそう。コレ忘れないうちに渡しておくね」


 サキは赤い紙袋を俺の前に進めた。中身はシドニーの部屋でふたりでよく飲んだロゼのスパークリングだった。部屋に飾っておくよと答えつつ、俺もカバンからリボンに包まれた箱を取り出した。


「スウェーデン製の木のおもちゃで塗料も安全らしい。息子さんに渡してあげて」


 ところがサキはリボンを見つめたまま箱に手を伸ばさなかった。


「――ゴメン、リュウ。これは受け取れない」


 サキは静かに箱を俺のほうに押し返すと、もう一度「ごめん」と添えた。


――リュウとやり直したくて何度もメールしようと思った。

 あのときの後悔をふたりとも消化しきれていなかったことに気付いた。シドニーの部屋を思い出すロゼワインも、子供が抱いて寝るであろう木のおもちゃも、さりげないプレゼントの形をしているが、結局は叶わなかった日々に爪痕を残したかったのである。


「そうだね。これはルール違反だった」


 プレゼントをカバンの中に戻すと俺は立ち上がった。もう会うのはやめようとは伝えられなかったが、軽く手を振ると二度と振り向くまいと決めて歩き出した。


「リュウ!」


 声が俺の背中を呼び止めた。


「メリークリスマス!」


 サキの目から落ちたしずくにイルミネーションの光が反射していた。


「…メリークリスマス」


 切なさがこぼれる前に、俺はけやき坂の冷たい光の中へと走っていった。

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ノンストップ・アクション3~バックパッカー青春放浪記〜 マジシャン・アスカジョー @tsubaki555

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