2000年2月29日

 その後、ジョニーが解き放ったパーティーアニマルたちがアヤコのアパートに押しかけてきた。その中には、旧正月に俺に地面にたたきつけられた見栄っ張りデブことスティーブン・チェンもいた。


「これはほんの差し入れだ。みんなでやってくれ!」


 頼みもしないスパークリングがフローリングに並ぶ。口を開けたまま固まっているアヤコに成り代わり、ここの主はオレ様だと言わんばかりである。ベランダに近いところでジンジャービスケットをかじっていたジョニーに「俺は今夜は無性に誰かをブン殴りたい気分だ」と凄んでみせた。その北京語がどのような広東語に訳されたのかわからないが、一服して戻ってくると見栄っ張りデブは集まってきた連中の目付け役としてよく働いていた。


「そこ!ジュースを飲み残すな!」

「おい!ゴミは分別しろ」

「こら!女の子に対してちょっとしつこいぞ!」


 結局まだ火曜日だというのに、全員寝不足のまま朝を迎えた。しかし見栄っ張りデブの巡回警備のおかげで、アヤコにとってオーストラリア最後の夜はアクシデントもなく過ぎていった。



「――なぁ。さすがに今日は学校休もうよ」


 早朝5時、ジョニーは後れを取りながらウィスロップへ戻る途中泣き言をいった。


「俺たちは学生だ。パーティークラウンをやりたければ学生証を返してからにしろ!」


 一睡もしていない時のほうが妙にテンションは上がるものだ。俺はどこまでも続く閑静な住宅街を走り始めた。ジョニーはヒイヒイ言いながら追いかけてくる。


「こっちが訪ねた時セックスしてただろ?わかるんだよなぁ、部屋の匂いで!」


 朝のさわやかな空気の中、ジョニーが後ろから大声をあげている。周りに追いつくために途中からハイペースであおったスパークリングワインが、今頃になってヤツの理性を壊し始めている。


「最後の夜だぞ。玄関チャイムなんて無視されて当然だろうが!」


 俺は腹がよじれるほど笑いながら走り続けた。


「ファーック!何回ヤリやがった!?」


 俺はその声を無視してスピードを上げた。とうとう後ろのほうで派手に草むらに倒れ込む音がした。ヤツは胃の中の物をまき散らしながら大型犬に吠えられている。笑いすぎて足元を奪われつつ、俺は朝日に向かって走り続けた。



 その後、30分だけ寝ておこうとしたのが仇となった。気付いた時には朝の10時半を回っていた。


「まったく!夜中じゅう飲み歩いて大騒ぎしながら帰ってきて、その上学校に遅刻するなんてとんでもないわね!」


 ナンシーはランニングマシンの上をドタバタと走っていた。

 そういうあなたも先週デートの帰りに酔っぱらい、ガレージで車のドアをこすっていたではないか。一度ナンシーのお相手らしきオッサンと遭遇したことがある。ジョニーと近所にアイスクリームを買いに行った帰り、道に停めてあったナンシーの赤いカローラからいきなり失礼な挨拶が飛んできた。


「キミたちか?いつもナンシーを困らせている悪ガキどもというのは」


 豪快に太った白人で、エラの張ったアゴと飛び出た大きな目は深海魚を彷彿させた。となりのジョニーに「(夕飯は『深海魚の甘酢あんかけ』にするか?)」と中国語でささやき、バカ笑いをしながら部屋に戻った。


「――ところでミス・ナンシー。パース空港までどう行くのが一番早いですか?」


 ナンシーはランニングマシンに後ろに押し戻され気味になりながら汗をぬぐった。


「学校に遅れたぐらいで逃げ帰る気?あと1週間なんだから頑張りなさい!」


 よほどランニングマシンのスピードをあげてやろうかと思ったが、事情を丁寧に説明した。学校が終わるのが3時半。5時になったら出国カウンターに入るとアヤコは言っていた。できればそれに間に合いたい。


「ああ、その子ね!ジョニーから聞いたわよ。アナタ横から奪ったんですって?」


 いちいちうるせぇなぁ。

 それにしてもジョニーのヤツ、ナンシーにまで泣きついていたとは呆れた。


「車じゃなきゃ1時間以上はかかるわよ!しょうがないわね、3時半に学校の前で待っていなさい!空港まで車で送ってってあげるから!」


 思わぬ申し出に礼をいい、まだ高いびきを上げているジョニーの部屋にメモを貼り付けた。

<ナンシーが空港まで車を出してくれるらしい。それまでに歯だけは磨いておけ!>

 「気を付けて行きなさい!」という声を背に、俺はカバンを背負って走り出した。



 ナンシーが一般道をぶっ飛ばしすぎた結果、途中で切符を切られるという余計なアクシデントに巻き込まれた。空港のパーキングでハンドルにつっぷしたまま動かなくなったナンシーを放置し、とにかく俺とジョニーは走った。

 フライト情報を映し出す大きなモニターの下で、眠そうな顔をしているアヤコを見つけたのは5時数分前だった。


 やはり、アヤコは泣いた。だがもう言葉を交わしている時間はない。


「ゴメン…」


 アヤコは俺にそういうと、ジョニーに抱き着いてその頬にキスをした。

 突然の展開にニヤケたまま固まっているジョニーを放すと、アヤコは俺の唇に別れの挨拶をした。

 

「Thank you, and good-bye…」


 絞り出すようにそう言うと、アヤコは乱れた前髪を手ぐしで整えると無理やり笑顔を作った。そして俺たちに背を向けて進みだした。その背中が人ごみに消えるまでジョニーと見守ったが、とうとうアヤコは一度も振り返ることなく出国ロビーの中に消えていった…。

 

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