第24話 3日目...6

 クローニンがズボンのチャックを上げる。「それで、これからどうするよ? まだ日は高いし、ポイント稼ぎに行くんだろ?」

 疲労でうなだれていた亮司は顔を上げて汗を拭いた。「いいのか?」


 いまチーム内でポイントが足りていないのは自分だけだ。最悪の場合は放逐されることを考えていた。当面の脅威も去ったいま、少なくとも彼ら二人はこれ以上チーム内に留まる意味は薄いし、連中に目をつけられたのがそもそも自分たちが共闘した理由のはずだ。ニコルがそういった当たり前の、合理的な判断を下すかどうかは別として。


「いま俺たちは流れに乗ってる。こいつをふいにすることはないさ。なあ?」

 水を向けられたクラッチも頷いた。「別にここで分かれたからって勝ちが決まるってわけでもないからな」

 思わず悪い、と言いかけて亮司は口をつぐんだ。ここで謝罪をするのは違う。


「助かる」


 まだ腰が持ち上がらない亮司は、ペットボトルの水を飲み干して工場の配電ボックスの足元に置いた。時刻はちょうど昼をまわったところで、一息ついたせいで安堵と一緒に空腹感もやってきた。体は状況などお構いなしに栄養を欲しがる。


『おわ……ちょっと、これ見てくださいよ』


 ナビゲーターからのポップアップ通知。触れて表示されたのは自分のステータスだった。それを上から下まで二回も眺めます。いったい何を見て驚いているのか──ようやく理解が追いついた。自分の口座の預金が、恐らく大半の日本人は一生拝むことのない額にまで膨れ上がっている。


 三億。眩暈がする。囮になって連中を誘い出すためにほとんどをライフにつぎ込んで、残金はゼロに近かったはずなのに。


 亮司は呆然として呟いた。「なんでだ……?」

『さあ? といっても、妄想を膨らませても二通りしか思いつきませんけど。ミスターの検討を称えるためか、今しがた殺した連中が嫌われていたか。ああいうルールの穴をついたプレイヤーは敬遠されるものですし、私だったら後者の理由でおひねりを投げますね。まあどうでもいいじゃないですか、大金が手に入ったんですよ? 素直に喜びましょうよ! これだけあればライフを買いまくって比較的安全にゲームをクリアすることもできるでしょうし、いくらか残しておいたって──』


 このゲームが始まってから初めて聞いたかもしれないナビゲーターの弾んだ声を、亮司は強い調子で遮った。


「買いたいものがある」


 ヘッドセットの向こうでガタガタと何かが揺れている。多分、机や椅子。貧乏ゆすりの音。


『正直聞きたくないですね。いま、すげー嫌な予感がしましたよ』


 奇遇だなと思わず言い返しそうになった。嫌な予感──自分もだ。亮司は音声でのやりとりから文字のチャットに切り替える。


≪情報が欲しい≫

『何の?』

≪誰が何人殺したかっていうのは分かるか?≫

『ちょっと待ってください……駄目ですね、項目にありません』


 ということは、キルカウントについては各プレイヤーの自己申告を信じるしかない。どこまでも混乱を助長するルールになっている。


≪だったら──≫亮司は二人の名前を思い出すのに少しかかった。なにせ初日の、最初の十数分の出来事だ。≪グレース、バリーが生きているかどうかについて。最初の──≫

『最初のチームメイトの、ですね? 生存者のリストからプレイヤー名検索がかけられるので、それらしい人物が生きているか死んでいるかくらいは分かります。ヒットしたとしても貴方が考えている人物と同一かどうかは分かりませんけどね』

≪〝00014〟のグレースとバリーについて調べてほしい。死んでいれば、いつ死んだかまで知りたい≫

『そこまで条件をつけられるとそこそこかかっちゃうんですが……ええと、1500万円だそうです』

 亮司は即答した。≪買ってくれ≫

『ええ、ええ、確かに、いまのミスターなら買える金額ですよ。ぶっちゃけ余裕です。ですが、ちょっといいですか? いまは少し感覚がマヒしてるかもしれませんけど、1500万円っていうのはとんでもない大金ですよ?』

≪分かってる。多分熱にでも浮かされてるんだと思う≫

 ややあってナビゲーターから回答があった。『お二方とも初日に死んでいますね。あのー、何を考えてるか大体わかっちゃったというか、次に何を言い出すか想像がついたというか……いったん冷静になりませんか? ここに貴方は何をしに来たんです? 金、でしょう? 過去じゃなくて前を見て未来に向けて歩きませんか? 言っておきますけど、どっちの結果に転んでも後悔しますよ』

≪俺もそう思う。多分、あんたが俺を多少は心配してくれてるんだろうってことも分かる。でも、けじめをつけなきゃならない。少なくとも、ここまでこのゲームをプレイしてきた動機のいくらかはこれなんだ≫


 ナビゲーターが舌打ちをした。諾々と従う素振りではなく、なんとか説得の言葉をひねり出そうとしているような沈黙。


『インセンティブの話おぼえてます? ミスターの獲得金額の10分の1を私が貰えるって話です。こういう言い方をしてはおこがましいかもしれませんが、ミスターは自分が生き残れたのは私の尽力の甲斐あってのものだとは思いませんか? 思ってるはずですよね? なにせミスターは馬鹿みたいに義理堅いわけですから』

≪いくら必要なんだ?≫


 亮司から即座にカウンターを食らってナビゲーターは犬のようなうなり声を上げた。


『エキセドリンがほしくなってきた』

≪金額を教えてくれ。できるだけそれの足しになるように残す≫

『……………………日本円で2000万』ナビゲーターが胃液を絞り出すように言った。

≪1億残して、生存、死亡に関わらず、俺の初期チームを除いた290人──他の全プレイヤーのスタート地点を買えるだけ買ってくれ。俺の手元には賞金と合わせて2億残る。これで、あんたの要望は満たせるはずだ≫

『マジでキレそう』


 しばらくしてナビゲーターから情報が送られてくる。島のマップ上に白丸と黒丸が表示される。黒丸の数が圧倒的に多いことから、恐らくこちらが死亡したプレイヤーを表している。


『プレイヤーの個人情報にまで踏み込んだせいで高くついたので全部は買えませんでした。200と51人で限界です。ただ、知りたい情報はこれでも分かるでしょうけどね』


 プレイヤーの初期位置には規則性があった。これで初日の冒頭にナビゲーターが言っていたことの裏付けがおおよそ取れたことになる。10人ずつが30組にランダムで割り振られ、開始時点ではチームごとにそれぞれ離れた位置に配置されている──


「おい、さっきからどうした?」クローニンが亮司の眼前で手を振る。「なにかまずいことでもあったのか?」

 他のプレイヤーが敵がやってこないか遠くを眺めていたクラッチが肩越しに振り返った。「疲労がたまっているのか? まあ、大仕事の後だからな、少し日陰で休んでいるといい。俺は少しその辺を見てくるよ。怪しい人間がいたらすぐに知らせる」


 歩き去ろうとするクラッチ。初日のあのときと同じように。それで踏ん切りがついた。亮司の中で何かが最後のハードルを越えた。


「クラッチ、ひとつ聞きたいことがある」

「なんだ?」

「俺たちの最初のチームの面子、あれを皆殺しにしたのはあんただな?」

「どうしたいきなり」


 眉根を寄せるクラッチに、亮司は叩きつけるように言った。


「ゲーム開始時点では各チームはそれぞれ500mの距離をおいてバラバラに配置されていた。俺たちに攻撃を仕掛けられたのは、俺たちのうち誰かしかいなかったんだよ」

「それが本当だったとして、どうして私がやったことになる? チーム内での同士討ちは──」

「フレンドリーファイアはダメージが大幅に軽減されるってやつだろ? 知ってる。ただ、あのときあんたが既にチームから抜けていたとしたらどうだ? チーム脱退に関して制限事項は無い。本人が抜けたいときにいつでも抜けれる。それが初日の開始前であっても」ナビゲーターからそうするかどうか提案されて即座の断ったことをはっきりと覚えている。「元チームメイト同士の戦闘禁止時間として設定された30分以上前に抜けておいて、そのあとは素知らぬ態度で顔合わせに参加する。あんたのチームを偽装するスキルなら、これができるんじゃないか?」


 クラッチは腕を組んで考える素振りを見せたあと、言った。


「辻褄はあっている。ひとつ間違いを訂正するなら、私のスキルは君が想像するほど便利なものではなく、あくまで騙せるのはミニマップの表示だけだ。だが、君の疑いを晴らす手段を私は持っていない。だから信じてくれとしか言えない」


 クラッチは武器を足元にゆっくり置いて両手を上げる。このポーズにも既視感がある。2日目、再びチームを組んだ時と同じ状況だ。一文字に結ばれた口。真剣な、引き締まった顔つき。こちらに決め手がないことを察して出まかせを貫き通そうとしているようにも見えるし、腹の内を真摯に打ち明けているようにも見える。


 こうやって顔を見ただけで嘘か本当かなど分かるわけがない。それこそ狂人の勝手な思い込みでもなければ、断言などできるはずがない。


 亮司は工場の壁を支えに立ち上がった。「このゲームで生き残るにあたって一番ネックになるのは、いつだったかあんたが言ったように3人の殺害って条件だ。だから、早々にそれをクリアしておいて安全を確保しようって考えるのは理解できる。それに、あんたには危ういところを助けてもらったこともあるし、恨んでるわけじゃない……はずだ、多分。だが、借りは借りなんだ」


 だまし討ちにされた分を返さなければならない。スラムから家族を引っ張り上げようとしていたホルヘ・フェルナンデスや、生まれ育った孤児院の保護と再建のために危険に身を投じたカリーナ・レーマンの人生は、決して無下に踏みにじられていいものではなかった。


 亮司はゴーグルの内側に表示されたグレネードを掴んで持ち上げた。「だから、これでチャラだ」


 見たところクラッチのライフは十二分にある。もし、今、チームを抜けていないのであれば、システム上は即死するようなダメージにはならないはずだ。そもそも、ライフを買い足しているなら十分に耐えられるかもしれない。


 クラッチが笑った。「こちらもいいか?」

「……言ってくれ」

「万が一──いや、念のためかな。理由を言っておきたい。気づいていないようだが、生き残ったプレイヤーの中で条件未達なのは君だけだ。最後のひとりなんだよ」


 自分のお守りで他のプレイヤーと命を賭けて一戦交えるよりは、この方が確実で安全だと踏んだ、そういうことだろう。もし仕留めそこなったとしても逃げ去ってしまえる。


「それともう一つ。私も君のことは嫌いじゃないし、どちらかといえば好意的に見ている。まあ、それだけだ」


 呼吸が乱れる。肩が勝手に上下する。亮司は腕が震えるほどの力を込めて、やっとの思いでグレネードをクラッチの足元に転がした。


 閃光。爆音。


 白い光が晴れる。仰向けに倒れたクラッチ。ライフは赤に染まっている。


 亮司はクラッチのインナーにシャツの上から触れた。システムメッセージが表示される。


【アンダーカバー:半径30m以内の他プレイヤーに対して自分の所属をシステム上、誤認させることができる。対象が範囲外に移動した場合は効果が切れる。1日に3回の使用制限あり】

【収奪しますか? YES/NO】


≪現時点をもってすべてのプレイヤーが勝利条件を満たしました。本日のPM08:00をもってゲーム終了といたします。みなさま、お疲れ様でした≫


 システムが無機質な女の声でアナウンスを行う。亮司はわなないた。


「ちくしょう」

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