第23話 3日目...5

 炎が上がる。亮司は頭からかぶっていたビニールシートを押しのけてクローニンに報告した。「うまく動いた」


 手元の車載バッテリーを叩く。自分が敵を引き付けている間に、今朝方見かけたバンから、クローニンにはぎ取ってもらったものだ。そのまま急いでホテルで充電してもらい、工場に先回りして設置をしてもらった。


 バッテリーの端子には導線のついたクリップ。終着点は、塩化ビニルモノマーのタンクのバルブ。


「父さん! 父さん! 助けて!」


 真っ赤な芋虫の誰かが助けを呼んでいる。亮司は燃え盛る人間を尻目に、工場奥の窓から裏に抜けてアスファルトにへたり込んだ。


 うまくいった──まさに奇跡だ。昨日見たときにタンクのメーターが0ではなかったのは勘違いではなかった。まだ心臓がどくどく鳴っていて一向に治まらない。いまさらやってきた腹の内側が締め付けられる感触に両手で自分の体を抱きかかえる。


 亮司は波板スレートの壁に力なくもたれかかった。その拍子に青く澄んで雲が流れる美しい空が見える。背後の工場から響き渡る絶叫。


 連中はもうすぐ死ぬだろう。これはルール上は問題ないはずだ。禁止事項に殺し方の制限について記載はなかった。


 裏の雑木林から喜色満面のクローニンが走り寄ってきた。遅れてクラッチも片手を上げて姿を現す。


「何が自信がないだ、これ以上ないほどうまくやりやがったじゃねえかこの野郎!」


 へたり込んだ亮司の肩をクローニンが笑いながら何度も叩く。


「自分でも信じられない」


 成功したこともだが、提案したのも今思えば完全に気の迷いだった。工場に着いても、ガスが残ってるのを確認してもうまくいくかどうか半信半疑だった。


 亮司はクローニンの手を振り払う。「いてーよ、いい加減やめてくれ」

「こき使ってくれた礼だ。ホテルに戻って仕込みをしてここに先回りして、走りすぎてマジで気分が悪くなったからな」


 クローニンが指さした草むらの上には吐しゃ物。亮司は顔をしかめた。


「おかげでうまくいったよ。ほとんどあんたのお陰だ」

「それで、いったいあの爆炎はどういう仕組みなんだ?」


 クラッチが鼻をこすりながら言った。亮司は息を整えて種明かしをする。


「ポリ塩化ビニルって知ってるか?」

 クローニンが自分の銃に向けて顎をしゃくる。「これだろ?」


 配給されたゲーム用のおもちゃの銃──そのグリップを覆った軟質の合成樹脂。亮司は頷いた。


「ああ、それだ。世界中どこにでもあるし、どんな部品にも使われてる。問題はそれの原料の塩化ビニルモノマーなんだが、常温だと引火性の高い気体で、よく事故の原因になってる」

 クローニンが目を丸くする。「おいおい、これってそんなに物騒なもんだったのかよ」

「原材料の時点の話だよ。大体、ほとんどの化学物質は化合する前は危険なんだ」

「はー……なるほどね。そういえば昨日の時点でPVCがどうとか言ってたな。それで、そいつを利用してやろうって考えたわけか」

「しかし、どうしてそんなことを知っている? 日本の学生が全員化学に詳しいというわけでもないのだろう?」クラッチが茶化すように笑った。「実は日本赤軍なんだ、とか言い出さないでくれよ?」

「違う。テロ目的じゃない。実家が工場で、たまたま知る機会があっただけだ」


 父親の働いている工場に遊びにいって興味本位でパネルをいじっていたら、とんでもない剣幕で怒られた。未だにあの時の怒鳴り声が記憶に残っている。その経験がこのような形で──人殺しに役立つとは露ほども思わなかった。


『腰を抜かしてるところすいませんが、いいですか?』

「なんだよ」亮司は疲れた声でナビゲーターに応じる。

『いい知らせと悪い知らせが一つずつです』

「あー……そういうあれか。じゃあ、いい知らせから」

『今の殺害方法に物言いがついた様子はありません。ルールに則っていると判断されたようです』

「そりゃよかった」


 確かにゲーム開始時点で武器を提供された。しかし、それで殺せとは一言も言われなかった。ビルの屋上から突き落としても、ドブに顔を突っ込ませて溺死させても、火災に巻き込んで焼死させたとしても。


 それらはゲームシステムで殺すことより実行に移すのが困難というだけで、プレイヤーが死亡してリタイアすることに違いはない、そう亮司は解釈した。そもそもが、連中のようにライフを馬鹿買いしている相手でもなければ、配布された銃で撃ってしまったほうが圧倒的に手間がかからないのだ。


「それで、悪い知らせっていうのは?」

『彼ら3人ですが、ミスターのキルカウントへの反映はありません。察するにゲーム上では事故として処理されたようですね』


 つまり、まだあと一人殺さなければならない。どっと疲れがやってきて亮司は思わず肩を落とした。


≪Hear the trumpets,hear the pipers≫


 うんざりしきったところでヘッドセットから歌が聞こえた。これ以上ないほどご機嫌なことが分かる声。碌でもないことの前触れ。


 亮司はゴーグルにワイプでチーム共有の視界ウィンドウを表示した。プレイヤーネームはニコル・ユアン。映っているのは今しがた焼死した3人の死体だ。燃えながら力を振り絞り、工場の外へ這い出ようとしたところで力尽きている。


 ニコルが陽の当たる場所まで3人死体を引っ張った。亮司のとった行動の結果が白日の下にさらされる。焼け焦げて皮膚の爛れたその死体は、アメリカン・デス・トリップの表紙、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのジャケットとは比較にならないほどのリアルだった。


 ニコルが炎の熱で脇の締まった死体を踏みつける。焼けてひっついた上下の瞼を包丁で乱雑に切り裂いて目を露にする。それが人間の顔で、そこに眼孔があると分かっていなければ、それは一見して人間の目だと理解できない。


≪ああ、やっぱりだめだね≫ニコルが苦笑して焼け縮んだ物体をフォークでほじくり出す。≪これじゃあ嘘とホントが分からない。でも、大切にするよ、せっかくリョージくんが作ったんだから≫


 ニコルは邪魔なものを取り払おうと顔面の皮すべてを引っぺがす。焼けていない部分が露出する。筋繊維の上に付着した黄色い脂にじわじわと血がにじむ。


 眉間に皺を刻んで歯を食いしばる亮司にクラッチが言った。「そんな顔をするくらいなら見なければいいと思うが」

「俺もそうしたい」言葉とは裏腹に亮司の目はワイプ画面に釘付けになっている。「でも、こいつらは俺が殺したんだ」

「いらねー義務感だわそれ。世の中には見てて気分の悪くなるものなんてそこら中に転がってるし、そういうのはわざわざ自分から顔を向けなくても勝手にむこうから目に飛び込んでくるのが相場ってやつだ」クローニンが向こうへと歩いていってズボンのチャックを下ろした。「あ、悪りーけどちょっと水を飲みすぎたわ。襲われないように見張っててくれねーか?」


 クラッチが首を振って警戒にあたる。


 すがすがしい南国の空。澄んだ鼻歌。息苦しいほど暑い空気。こそぎ落とされる死体の肉と皮。海の方から聞こえる鳥の声。小便の音。




 ******




 間違いなく今日のハイライトだ──ゼーラは舌なめずりをした。職務そっちのけでモニタで食い入るように顔を近づける。


 ショーン・クローニンが工場に先回りして廃車から剥ぎ取ったバッテリーと束ねたコードをガムテープと一緒にブルーシートの裏に隠した。クリップのついた導線を入り口近くまで伸ばしてすぐに工場から退散する。


 さあどうなる──ゼーラの胸が高鳴る。うまくいくのか? それとも無残に失敗するのか?


 カメラから送られてくる映像を映すウィンドウを増やす。一つはリョージ・マエシマを自動で追跡するもの。もう一つは、このコントロールルームと同じく島の端に用意されたゲーム出資者用の娯楽施設だ。そこでは着飾った紳士淑女たちが提供された軽食とドリンクを嗜みながらいくつもの専用の大画面モニターでゲームの経過を観戦している。


 リオネッロ・ダンヌンツィオはそこにいた。相席しているのは見覚えのない若い金髪の女──島の中で適当にひっかけたのだろう。レバーペーストを挟んだクラッカーを齧りながらモニタに向ける目は冷ややかだ。あくまでこのゲームは自分の仕事の人脈づくりのための場としてしか見ておらず、ゲーム自体に対するスタンスとしては自分に近いのだろうとゼーラは思った。


 ゼーラは娯楽室のモニターに映る映像を──ちょうどリオネッロの視線の先にあるものを──切り替えた。いま自分が見ているものと同じ、リョージの追跡カメラの映像だ。


 そこに自分の息子が映っていることにリオネッロが気づいてわずかに眉を顰める。連れの女が何か気づかわしげなことでも言ったのか、すぐに女の方を向いて柔らかく微笑んだ。


「フーバーくん、娯楽室の音声を拾えるか?」


 ゼーラに肩を抱かれるように叩かれて助手の青年は椅子から飛び上がりそうになった。


「ええ、まあ、カメラと一緒に防犯の名目で設置してますから可能ですけど……でもスポンサーに対してそういうことをして機嫌をそこねるのもまずいんじゃ……」

「やりたまえ」

「はい」


 娯楽室の映像から音が流れる。客層の品が良いせいか会話は穏やかで歓声などは上がっていない。ゆるやかな弦楽器の音楽。ボーイがテーブルの間を行き来する足音。まるで上質のサロンだとでも自己主張しているように感じられて、ゼーラは可笑しさのあまり喉を鳴らした。


「あんまり音を拾った意味がなかったようですね」

 ゼーラはフーバーの肩をまた叩く。「これからさ」


 汗だくになりながらリョージが工場にやってくる。血相を変えてクローニンが隠したものを探す。L字のアルミフレームの束を蹴り飛ばしてそこら中のブルーシートを剥ぎ取る。


≪おい、どこに置いたんだよ!≫画面の中でリョージが焦りもあらわに叫んだ。

≪一番奥だ。昨日、脱出に使った裏窓があっただろ? あそこのすぐ下だ≫


 ようやくバッテリーを見つけたリョージ・マエシマは、一緒に置いてあったぐるぐる巻きになった被服銅線を拾い上げてチームメイトに尋ねる。


≪次はどうすればいい?≫

≪そこのクリップを両方ともバッテリーにつないで、コードの尻のむき出しになった銅線同士をくっつければ火花が出る≫


 まだクリップをバッテリーには繋がずに、リョージは工場の設備のラベルをひとつひとつ確認しながら目的のものを探す。クロロエチレンを貯蔵したタンクの前で足を止める。バルブを開けて鼻を近づける。銅線を結び、バルブの真下にテープで固定。すぐにバッテリーまで戻ってブルーシートを頭からかぶった。


 リカルド・ダンヌンツィオとその友人たちがやっと到着する。ゼーラはこの瞬間に決着がついたことを確信した。あと少し早ければ──あと10数秒早ければ、また結果は違ったものになっていただろうに。


≪おい、奴はまだここに──≫


 リョージがクリップをバッテリーにつないだ。火花はガスに引火し、爆炎が巻き起こる。金にあかせてゲームを荒らしていた金持ちの馬鹿息子どもの盛大なかがり火。胸のすくような清々しい炎。


 ゼーラは自分の口を手で押さえた。まだだ。まだ早い。娯楽室を映したモニターへと目を向ける。


 リオネッロ・ダンヌンツィオはカクテルグラスを傾けたまま固まっていた。こぼれたマティーニがスーツにひっかかっている。オリーブが染みをつくりながらテーブルクロスの上を転がってベージュの絨毯の中に埋まった。


≪父さん! 父さん! 助けて!≫


 リカルドが父親に助けを求める。燃えるシャツを脱ごうとした手に火が燃え移る。リオネッロは椅子を蹴倒してモニターに走り寄った。映像から放たれる炎の赤とオレンジが真っ青になった彼の顔に血色を塗りたくる。


 リオネッロはすぐ近くにいたボーイの襟首を両手で掴む。≪おい! あれを止めろ! あの火を消化しろ!≫

 ボーイが困惑顔で首をふる。彼としては自分がただの給仕であることを説明しかない。やがてその男が何の権限も持っていないことを理解してリオネッロは思い切り突き飛ばした。


≪誰か……誰か助けてください! あれは息子なんです! 私の!≫


 リカルドが絶叫の合間にすすり泣く。許しを求めてごめんなさいと心からの謝罪をする。どうして助けてくれないの父さんと泣きごとを言う。


 リオネッロがよろめいて尻もちをついた。首を絞められたような紫色の顔で痙攣し、とうとう今しがたの軽食を故障した噴水のようにごぼごぼと吐き散らした。見かねた他のスポンサーたちが駆け寄って、すぐに医者を呼んでくるようボーイに命令する。


「ははははははははははははははははははははははははは!!!!」一部始終を見ていたゼーラがとうとう我慢できなくなってげらげら笑った。「見たかフーバーくん! 顔が赤、青、紫に変色したぞ! きっとpH値になにか異常が出たんだ! あのホテルの食事を今すぐ検査するように指示を──っく、あはははははははははははははははははははははははは!!!」


 言葉を濁して曖昧に笑う助手。今の今まで無言で壁際に控えていたボディーガードのクラークがわざとらしく咳ばらいをした。


「流石に品が無さすぎるのでは?」

「品? 品だと?」ゼーラは嗤った。「いま、4、5人の金持ち連中がリオネッロを助け起こしただろう? これ見よがしに痛ましい顔をして。ところがだ、奴らは全員がリョージ・マエシマとニコル・ユアンに金銭的な支援を行っている。馬主というわけだ。そんな紳士淑女の方々が、いったい今日、このタイミングで、なぜあそこに──リオネッロと同室にいると思う?」


 ボディーガードは負けを認めたように口を噤んだ。その反応でゼーラは喜色満面になる。


「今の見世物をじかに見物しに来た──これ以外にあり得ない。見たまえ、ジャックポットだ」


 ゼーラが自分のラップトップPCを叩く。ゲーム管理者用の画面に表示された前島亮司のプレイヤーデータの口座に続々と祝儀が振り込まれている。


「リオネッロは罰金を支払うなり強権を振るうなりでさっさと息子をゲームから引き上げさせるべきだった。今更言っても、というところだがね。子供の教育に失敗して、体面を気にしたせいで尻ぬぐいも中途半端だった馬鹿親──それが自分の間抜けさに相応しい結末を迎えるのは確かにけっさくだった。しかし、それをわざわざ取り澄ました顔をしてまで不幸な目に遭った本人を見に行ってやろうなんていうのは、いったいどんな面の皮をしているんだろうな? それに比べれば、取り繕っていないだけ私の方が倍はマシだとは思わないか? どうだい?」


 クラークは首を横に振った。


「形状が多少変わろうが、大便は大便ではないかと」

「あははははは! まったくその通りだ!」

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