第8話 1日目...8

 亮司の頭の中でピンボールの球が跳ね回る。混乱から困惑へ飛んで嫌悪に跳ね返されて激憤へ。言いようのない衝動に突き動かされて全身が震える。とっさに口を押えた指の隙間から喉を逆流してきた胃液が垂れ落ちる。


 何かの違和感を察した寄生虫色の髪の女が振り返った。亮司はとっさに自分の武器へ手を伸ばしかけたが、残り数ミリのところで踏みとどまることができた。銃の上で痙攣する自分の手。テーブルの下をくまなく観察する女──すぐにまた作業に没頭し始める。


 【ハイディング】が効いている。ゴーグル越しの視線は確かに亮司を捕らえているはずだったが、どのような画像処理がなされているのかこちらの姿を認識できていない。


 下手に動けば服が床でこすれる音で気づかれる。亮司は状況が良くなることを信じて待った。ハサミを動かして肉を切る音。流れ続けて床に広がる血だまり。不快感で頭がずきずきする。


 拷問のような外科手術が終わりを迎える。ただじっとしていただけだというのに亮司は汗をかき、息が上がっていた。女は摘出された眼球を掲げて下から見上げ、唇を恍惚の形に歪めている。ひとしきり眺めまわして満足したあと、足元のリュックから透明な液体で満たされた円筒形の容器を取り出して蓋を開け、今しがた手にした宝物をそこに入れる。


 液体の中をゆらゆらと落下していくカリーナの眼球と亮司の視線が交差した。


 亮司の心臓が跳ねる。いま、女は無防備だ。背中を向け、武器を手放し、そのうえ両手は塞がっている。


 黙って嵐が過ぎ去るのを待つべきだという考えは頭の中からどこかへすっ飛んでいた。亮司は密かにイメージしていた通りに自分の体を動かす。テーブルの下から転がり出て、銃を掴んで姿を現し、即座に構えて膝立ちの体勢で女に銃口を向ける。


 女が肩越しに振り返って、笑った。


 胃の部分が熱くなる。後はトリガーを引くだけ。


 だというのに指が痙攣して動かない。


 目の前の不愉快な女を、生きている人間を殺して、物言わぬ肉塊へと変えてしまうことに、今まで生きてきた19年で築き上げてきた観念が頑強に抵抗している。


 ほんの一瞬躊躇っているうちに女が手に持ったものをこちらに向かって投げてきた。プラスチックのケース──腕で受け止める。中の液体が飛び散って顔にひっかかり、カリーナの眼球が額に当たってどこかへ飛んでいった。


 女の姿が無い。


 亮司の頭をよぎったのは自分も使った【ハイディング】だった。スキルはそれぞれユニークだとしても、似たような効果がないとは限らない。


 亮司は横に線を引くように銃を連射──光弾が何かにぶつかった様子はない。


『後ろ!』ナビゲーターが叫んだ。


 慌てて振り返ろうとした亮司の足を何かが絡め捕った。足首をさらわれ、あっというまに床の上に引き倒される。気付いたときには体の上に女が馬乗りになって胸へ銃口を突き付けていた。


 おもちゃの銃。自分の命を刈り取る死神の鎌。背筋が凍って漏らしそうになった。


 女は銃の首を振って亮司の利き手に目をやる。「変な動きはしない方がいいよおにーさん」


 間近で見て分かったが、女は想像していたよりもずっと若かった。同年代か──それよりは下。亮司は両手を上げ、精一杯のへつらいを口に浮かべた。「命だけは助けてくれ」

「いまテーブルの下から出てきたよね? やっぱりあそこに隠れてたんだ。でも覗いたときにはいなかったはずなんだけど──あ、そういうスキル?」

「何でもする。君の手足になって働く」

「言葉が喋れるならコミュニケーション取ってほしいなあ。めっちゃ撃ちたいけどおにーさん瀕死だから今回だけ止めといてあげる。で、どうなの?」

 亮司は女──セーラー服の少女の言葉に従った。「ああ。ご想像通り、相手から見えなくなるスキルだ」

「え、なにそれ。ズルくない?」

「色々条件がある。1日に1回しか使えないうえに30分の時間制限があって、おまけに武器を手にすると効果がなくなる」

「なーるほど。隠れながら殺して回るってのは無理なのね」


 亮司は先ほどから感じる違和感について少女に尋ねた。


「きみ、日本語喋ってる?」


 ヘッドセットが少女の声を翻訳していない。ナビゲーターとの会話以外ではダブって聞こえていたはずの音声は、今はクリアだ。半ば吹き替え洋画の中の世界に迷い込んだような感覚だったのだが、急に現実に引き戻された気分だった。指摘された少女の顔が花でも咲いたようにほころんだ。


「やっぱりおにーさん日本人なんだ? 日本のアニメとかゲームとか好きだからさー、めっちゃ勉強したの! どう? 変じゃない?」少女がセーラー服のスカートをつまみ上げる。

 亮司は首をふった。「日本全国どこでも通用すると思うよ」


「あー、それ気になってたんだよねー。なんで日本全体のことを全国っていうの? もともと小さな国に分かれてたからとか?」

「さあ。俺も詳しくは知らない。多分……そうなんじゃないか?」口の中に溜まった唾を吐きかけてやりたい気持ちを堪えながら亮司は訊いた。「それで、俺は助かるのか?」

「ゴーグル外して」

「……なに?」


 少女の銃口が亮司の胸に強く押し付けられる。片手は降参の姿勢をとったまま、亮司はゴーグルの端を掴んで上にずらした。


「やっぱり。おにーさん演技が下手だね、全然命乞いしてる顔じゃないよ。これっぽっちも萎えてない」


 少女の方もゴーグルを外して亮司の方へ顔を寄せる。鼻先が触れそうになるほど近くでの舌なめずり。少女の緑色の髪が額と頬をくすぐり、その藍色の両目が亮司の眼窩に収まったものを品定めする。


「すごくセクシーな目つきをしてる──鷹みたい。眼球だけみるとありきたりに思えるんだけど、眉と瞼とのバランスが完璧で溜息が出る」


 少女の唇が近づく。桜色の唇から触手のように赤い舌が伸びる。半ば意地で少女から視線を逸らさなかった亮司の眼球を、一舐め。


 少女が顔を離してゴーグルを下ろし、空中で指を動かす。「もう付けてもいいよ」


 亮司もゴーグルを装着しなおした。目の前には、チームへの加入要請のダイアログが表示されている。


「私と組もうよおにーさん」

 亮司は即座に〝YES〟を選択──無駄口を叩いて少女の不興を買うような真似はしなかった。起き上がって背中についた埃を払う。「……理由を聞いてもいいか?」

「おにーさん舐めプしたでしょ?」

 亮司は首をひねった。「どういう意味だ?」

「撃って当てれるタイミングだったのに、しなかったでしょ? 一発くらい撃たれると思ったのに。で、このまま殺したらなんか負けた気がするから、一旦お預けっていうのが3分の1くらい。それと、あんまり大人数でつるむのは好きじゃないから前のチームはさっさと抜けてきちゃったんだけど、さすがに1人はいろいろ不便かなって思ったのがもう3分の1」


 少女が言葉を区切る。亮司は訊いた。


「残りは?」

「一目惚れしたから。おにーさんの首から上……なんていうのかな、そう、素敵だと思う」


 ごく自然に近づこうとする相手を亮司は押しのける。少女は笑った。


「おにーさんの名前教えて?」

「前島、亮司」

「リョージくん」少女が自分の下唇を指でなぞる。「名前までかっこいいね。私はねー、ニコル・ユアン」

「……日本人でも、中国人でもないよな?」

「アメリカ人だね。中国系ってやつ」ニコルが床に落ちたカリーナの眼球を拾い上げ、わざとらしく肩を落とした。「あーあ、傷がついちゃった。片方で我慢するしかないかー」

「……なあ、別に他意があるとかじゃなくて純粋に疑問なんだが、なんで死体から目玉を取り出してるんだ?」

「綺麗だから」


 ニコルは屈託なく笑ってカリーナの左目に取り掛かった。


「あ、そうそう、インターバルも近いし、今晩はここに泊まるつもりだけどいいよね? 一番左奥の部屋は私が使うつもりだからリョージくんはそれ以外のところ使ってね」


 また肉が切られる。また血が飛ぶ。亮司は無言で背を向けた。どうか階段を上ってくるときに足を踏み外して死んでくれと願いながら、薄暗くなってきた通路を通って最初に起きた部屋に戻った。

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