第7話 1日目...7

 亮司はヘッドセット付属のマイクごと口元を押さえた。


「いいか? 例えばこのまま何もせず見過ごしたとして、その結果、彼らが待ち伏せにあって殺されたとする。まんまと俺を襲った連中の目論見通りに事が運ぶわけだ。そうなるのは癪だし、それになにより、俺が情報を伝えていれば彼らが死ななかったかもしれないって可能性が残るのが最悪だ。負い目やわだかまり、後悔っていうのか? そういうのは後々のしこりになって、何をするにしたって足を引っ張ろうとしてくるんだ」

『えーっと……』


 ナビゲーターが言葉を選ぶように口ごもる。


『まだご自分の立場が分かっていないのか、それともちょっとイカれてきちゃったのか判断に迷うっていうか、多分前者だろうなあって思ってるんですけど、つまるところそれが貴方のスタイル?』

「別にそんな大層なものじゃなくて、なんというか……たぶん、性分ってやつなんだと思う」


 気に食わないものをそのままにしておけない。そのせいでこんな馬鹿げた殺し合いに首を突っ込む羽目になったのは、自分でもどうかしていると理解している。


 ナビゲーターの吐息。溜息、嘲笑、あるいは含み笑い。


『まーいいですけどね、馬鹿正直なキャラだってのをアピールするのもマイナスばっかりじゃありませんし。ただ、ひとの忠告を蹴っておいて後でうだうだ言わないでくださいよ?』

「絶対に言うか」

『これだけ大層なことを言っておいてこの後すぐ死んだらすげー間抜けですよね』

「努力する」


 〝00014〟壊滅──亮司はたった一文だけ簡潔にコメントを残した。彼らがこれに気付こうが気付くまいがどうでもいい。さらに言うなら、死のうが死ぬまいが知ったことではない。自分としてやれるだけのことはやった、その事実さえあればいい。


 じっとしゃがんで待っているうちに陽が傾いてきた。窓から差し込む光が鋭角になり、色は濃いオレンジ色をしている。


 このままインターバルが訪れるのを待つのが得策か。それとも、今が千載一遇のチャンスなのか。


 夕日を背に受けて亮司の影が伸びる。膝の関節が鳴った。ずっと同じ姿勢をしていたせいで軽い痛みがある。慎重に、慎重に、手すりを片手に一歩ずつ階段を下りる。


 朱色のがらんとしただだっ広い空間。添え木で固定されたように腕を前に突き出して、亮司は壁に背中をこすりつけながら1階を半周した。角の出っ張りの裏。インテリアを置くための台。カゴのないワイヤーの垂れさがった円形エレベーター。遺棄されたルームサービス用のワゴンの集まり。


 人影──無し。相変わらず外ではそよ風が吹いて葉がざわめいている。緊張の糸が切れかけ、全身から力が抜けて腰が砕けそうになった。練習で全力疾走を繰り返した時にも感じたことのないような疲労感を味わう。


 亮司はカリーナ達によろよろと近づいた。本当に死んでいるのかどうかを確かめるために、椅子の背にもたれかかった細い肩に触れる。その瞬間、目の前に半透明のウィンドウが表示された。


【インビンシブル:発動から3秒間の攻撃無効化。1時間に1回のみ使用できる】

【収奪しますか? YES/NO】


 驚いて飛び退って尻もちをつく。カリーナの体から手を離すとシステムウィンドウは消滅した。亮司は恐る恐る這いよって、もう一度、指先で触れる。表示される同じメッセージ。


 これが【スカベンジャー】の効果──亮司は意を決して他の面々のインナーへ触れていった。【ジャマー:半径100mの敵味方のチーム通信の阻害】。【デコイ:視界内のプレイヤー1名、またはプレイヤーIDを対象とし、マップと視覚情報にランダムな幻像を表示させる】。【ハイディング:再使用、または30分を経過するまで他プレイヤーからは見えなくなる。このスキルは武器を手にしている時は効果を発揮しない。1日に1回のみ使用可能】。【ディスカウント:各種購入における必要金額が30%免除される】。【ロングバレル:10分間、銃弾の飛距離が50%アップする。1時間のクールタイムが必要】。


 スキル情報を見るついでに体をゆすり、頬を軽く叩いてみたりもしたが、誰も、何の反応も返さなかった。熟睡している人間ですらもう少し何かの動きを見せる。呼吸もしておらず、完全に、体から力というものが抜けきっていた。


『納得いきました?』

「ああ」


 生まれて初めて触った人間の死体は、まるで病院のベッドの上に力なく横たわる父親に触れた時のように、手に嫌な感触を残した。両手を重ねて揉み合わせ、追い払う。


『じゃあさっさと次のステップに行きましょう。残念ながら回復はないみたいですが』


 ナビゲーターの言う通り多少の肩透かしは食らったが、それにしても様々な種類がある。目にした限り、どれもゲームデータの修正や改ざんという形で効果を発揮するものばかりだった。考えてみれば当たり前の話だ。スキルだ何だとぶち上げたところで、現実の物理世界をどうこうできるはずがない。ゲームとして可能なのは扱っているデータに手を加えることだけだ。


 恐らくは、他のスキルもそうなのだ。例えばいま目にした【ハイディング】だが、あくまでプレイヤーが装着したゴーグル越しの映像に影響を及ぼすだけで、肉眼からも見えなくなるわけではないはずだ。目を外科的にいじっているわけでもあるまいし、できるわけがない。


『で、どれにします?』


 悩ましい選択。いずれも使いどころがあるように思えてくるが、【スカベンジャー】の能力で所持できるのはどれか1つだけだ。もう一度じっくり考えるべく彼女らに手を伸ばそうとして、亮司は油を切らした工作機械のようにぎこちなく動きを止めた。


 砂利を踏みしめる足音。遠く、建物の外からだが、それほど距離はなかった。伸びた影法師の頭の部分が開け放たれた正門から建物内に侵入してフロアに映りこんでいる。


 亮司は慌てて身を隠せる場所を探して左右に視線を走らせる。2階への階段──奥のキッチン──どちらも離れている。周りには生前のチームメイトたちと会話するために使った椅子と、クロスの無いセンターテーブル。


 ジョンソンの死体に触れる──【ハイディング】を収奪。視界の端に点線で表示された人間のアイコンが表示される。テーブルの下に潜り込んで宙空のアイコンをタップ、発動可否のダイアログで〝YES〟を選択した。【ハイディング】の説明文を思い出し、慌てて銃から手を離す。


 侵入者はたった1人だった。足取りは軽い。ここに誰かが潜んでいるなど考えもしていないような呑気さでステップを踏んで1階を歩き回っている。往来する足音が自分との距離を詰めようとするたびに心臓が鳴る。亮司は鼻での呼吸をやめて口を大きく開け、静かに、静かに息を吐いて、吸った。


 上半分がテーブルの裏側で占めつくされた風景に、細い足首がやってくる。女の足首。白いソックス。ズボンは履いていない。女は透き通った声で歌を口ずさんでいた。聞いたことのあるフレーズ──〝A Little Less Conversation〟。


 死体に気付いていないはずはなかったが、女はそれには目もくれずに2階へ向かう。部屋という部屋をひっくり返すような物音。ようやく降りてきたかと思えば、上で見つけたのだろうナッツをゴリゴリと頬張っていた。


 亮司の潜むテーブルの近くまでやってくる。死体のそばにしゃがみこみ、彼らの顔に装着されたままのゴーグルを外す。何をするかと思えば──女は医者が患者の瞳孔を診るような手つきでしげしげと死体の眼球を眺めていた。


 女はセーラー服を着ていた。何故──奇妙な行動に加えてあまりの場違いな格好に亮司の頭が混乱する。日本人にも見えるし、もっと目鼻立ちがくっきりしているようにも見える。


 加えて女は長い髪を奇怪に染め上げている。境目のくっきりした緑系の5段階のグラデーション。亮司はカタツムリの触覚に寄生する虫を想起した。


 ホルヘ、インホイ、ノーマンの死体を検め終えた女は、次にカリーナのゴーグルを外した。それまでと同じように眼球を見て──にんまりと笑う。


 女は椅子にしなだれかかっていたカリーナの体を床に横たえ、その体の上にじゃらじゃらとリュックから取り出したものを並べた。包丁、食器ナイフ、フォーク、ハサミ──包丁を手にする。カリーナの髪を踏みつけて頭を固定し、親指で瞼を押し上げ、包丁の切っ先を走らせる。


 血が噴出する。切り取られて不要になったカリーナの欠片が投げ捨てられる。ナイフとフォークが眼に差し込まれる。女は浮いた眼球を指で持ち上げ、肉体との接合部にハサミを入れた。


 じゃき。じゃき。

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