第4話 1日目...4

「じゃあ、俺が」


 クラッチと名乗った人物がサスペンダーの位置を直しながら立ち上がる。30、40台と思わしきシャープな印象を受ける白人男性。


 続けて二人が立ち上がった。グレースとバリー。足にぴったりフィットしたジーンズをはいた大柄な黒人の女性と、目の大きなチェック柄のシャツを着た東南アジア風の顔だちをした男。

 グレースが白い歯を見せ、きびきびとした足取りで外へ。バリーの方は会釈なしで片手をポケットに突っ込んだまま無言でロビーを出ていった。


 勇気ある三人の背中を見送ってからホルヘが一同を振り返った。「あとひとりくらい立候補者が欲しいが、どうだ? 居ないなら俺が行くが」


 生贄を求めてしばらくのあいだ視線が飛び交う。インホイからジョンソンへ。ノーマンから亮司へ。お互いの立場は同じはずであるのに、まるで吊るし上げを食らっているような気分になって胃がうずく。


 視界の端にはカリーナが青ざめた顔。指名を恐れて小さく震え、今にも取り乱しそうなほど怯えているように見える。


 馬鹿げたくだらない虚栄心が沸いた。亮司は誰にも分からないように息を吐いて腹をくくり、椅子から腰を浮かす。


「俺が行ってくるよ。こう見えて走るのには自信がある。陸上やってたからな」

 ホルヘが亮司に対して向けたのは弟でも見るような目つきだった。「あまり遠くには行きすぎるなよ。危ないと思ったらすぐに帰ってきてくれ」

「もちろんそうするよ」


 席を離れようとしたところで上着が引っ張られる。慌てて腕を伸ばしたカリーナが亮司のジャージの裾をつまんで引き留めていた。


「なんだ?」

「その……ごめんなさい」


 謝罪するカリーナの顔は俯いていて見えない。亮司は諭すようにゆっくりとカリーナの指をほどいた。


「普通ビビるだろ、こんなの。別におかしなことじゃないと思うけどね。俺の方は、あれだ、じっとしていられなくなったんだ。体を動かしてたほうが気が紛れる」


 軽く手を振って別れを告げ、亮司は歩きながら地図を開いて他の三人が向かった方角を確認した。地図上の黒塗り部分を消すのであれば、それぞれ別の方角に向けて移動した方が効率がいい。


「よし、じゃあ残った俺たちでこの建物の調査を──」


 缶か何かが床の上に落ちたような硬質の音にホルヘの発言が遮られる。その異音に振り返った亮司の視界を、次の瞬間、真っ白な閃光が覆いつくした。


 内臓を直接揺さぶられたような衝撃に襲われた。同時にやってくるヘッドホンからの轟音。ホワイトアウトして消え去ったロビー。息が詰まって上下の感覚が狂い、足が絡まる。


 一瞬か、それとも数分だったのか、浮かび上がるように景色に色が戻る。頬にひんやりとした感触。目の前には塵、埃、抜け毛で汚れたセラミックタイル。亮司は自分が倒れ伏していることに気付いた。何が起こったのかと考えるより先にナビゲーターが口を挟む。


『いわゆるダメージの演出というやつです。体力がゼロになりゲームオーバーになって死ぬまで参加者のリアクションがないというのも味気ないと仰る方がいまして、受けたダメージに相応しいショックを、着用していただいたインナーから与えているわけです。これはあくまで一時的なものであり障碍が残る心配は一切ありませんのでその点についてはご安心ください』


 亮司は手を伸ばして取り落とした自分の銃を掴んだ。押しのけるように床を叩いて体を起こし、身を隠せそうな場所を探してがむしゃらに走った。つんのめりながら壁と柱の間に逃げ込み、フッ素塗料が中途半端に塗りたくられた壁面に、ほとんど体当たりの勢いで背中をあずけてへたり込む。


「おい、つまり──俺は攻撃されたってことでいいんだな?」

『理解が速くて助かります。とっさの判断に迅速なリカバリー、なかなかこのゲームに向いていらっしゃるのではないですか?』

「どこだ、敵はどこにいる!?」

『残念ながらそれは分かりません。こちらに回ってくる情報は貴方が得ることのできるデータとほとんど同じものになりますので。ミスター、つまり、貴方ご自身が敵を確認しないことには、その正体は私には分かりかねるということでして』

「おい──」

『まあそれでも現時点で判明した事実を述べるなら、爆発音や光量、減衰していない威力から見て、敵のグレネードによる攻撃である可能性が濃厚、というところでしょうか。ついでに貴方のライフが残り僅かであるということも付け加えておきますかね』


 ナビゲーターに指摘され、亮司は慌てて自分のステータスに目をやった。3000あったはずのライフが153まで減っている。


 一瞬で10分の1以下に──これが0になれば死ぬ。


『貴方の背後で爆発は起こった。つまり、あの攻撃は雁首揃えて談笑していたチームメイトを狙ったものだと推測されます。彼らから距離をとったおかげで貴方は偶然にも僅かに殺傷範囲から外れることができたのでしょう。うら若き乙女にいいところを見せようとした下心からの行動とはいえ、それが命を救うことになるとは。いやー、世の中ってつくづく皮肉で出来ているとは感じませんか? ああ、そういえばグレネードの使い方を説明していませんでしたのでこの機会にお教えしておきますね。視界の利き手側の下あたりに円筒形の物体が表示されてらっしゃるでしょう? 実際にそれを掴む動作をとっていただければ──』

「彼女たちはどうなった?」

『ご覧になってみては? 慎重にお願いしますよ。なにせ敵がまだ近くにいるかもしれないんですから』


 亮司は慌てて柱の陰から顔を出した。もといたロビーの客間に向けて目をこらす。


 ついさっきまで顔を合わせていた仲間たちは全員がぐったりとしている。ホルヘ、ノーマン、ジョンソン、アージュン、インホイ──カリーナ。椅子に座ったまま、あるいはずり落ちて不自然な態勢のままぴくりともしない。外傷は無かった。血など一滴も流れていない。


「寝てるように見える」

『そうですね。でも、貴方にも彼らの上に表示されたライフのバーが空になって、赤く表示されているのが見えているでしょう? あれがゲームオーバーになった状態です。紛れもなく死んでいます。心臓が止まっているのです。まあ、ライフの尽きたプレイヤーに対してそうなるようにインナーから衝撃を与えているわけですがね』


 ナビゲーターの声はどこまでも事務的で淡々としている。さっきまで会話していた連中があっさりと殺され、自分の命も風前の灯火ときている状況に胃が裏返る。彼らを死に追いやったものと同じものを身に着けているという事実に耐え切れなくなり、亮司は衝動的にジャージの上からインナーを掻きむしった。


 頭の中にもやがかかって現実感が遠のいていく──これは本当に自分の身に起こっていることなのか。


 このままでいるのはまずい。


 亮司はあらゆる感情を腹の中に押し留め、腕を限界まで力ませて前かがみの姿勢をとった。競技場のスタートラインに向かう自分をイメージ。頭上に輝く太陽。軽めの追い風。まばらな観客席。去年、自己ベストを更新して予選突破した時の光景。


 今更どうにもならないマイナス要素を脇に置いて、これからやるべきことを頭の中で列挙して精神状態のリセットを行う。


「おい」

『なんでしょう?』

「どうすればいい?」

『と、おっしゃいますと?』

「どうやれば生き残れるかって聞いてるんだ」

『あっは』


 喜悦の乗った電波を浴びせかけられてげんなりしそうになる。亮司は立ち上がって柱を蹴り、次の発言を促した。


『あー、いえいえ、誤解なさらないでください、今のは好意的な反応ってやつですよ。さて──いま画面上にマーカーを表示したのですが、見えますか?』


 四角いサイトが五つ視界に現れる。目の前には柱しかないが、どうやらその奥にある何かを表示しているらしかった。


「これは?」

『推測される敵の攻撃地点です。ロビー内に怪しい人影はありませんでした。で、つい先ほどお聞きになられたバウンド音が発生した位置に向けて外からグレネードを投入できそうな場所が今しがたマークした窓になります』


 柱の陰から、今度は先ほどとは逆側から顔を出す。確かにロビーの窓の位置にマーカーが出ている。5つの窓はいずれもガラスが嵌まっていなかった。自分が最初にいた部屋といい壁の塗料といい、この建物自体が作りかけのような印象を受ける。そういえば1階に降りてきたときに観葉植物用の植木鉢を見かけたが、植物が植えられているどころか中には土も入っていなかった。


「何が言いたいか分からん」

『逃げるってことです。その際、マーカーの地点に対してひたすら射撃を行って下さい。こちらが撃っている間は相手もおちおち姿を現していられません。こういったファーストパーソンのシューティングにおけるセオリーってやつですよ。まあこのゲームに関して言えば様々な例外がありますが、今はそんなことを考えていられる状況でもありませんからね』

「どこへ逃げる? 外か?」

『私としてはあまりお勧めしたくないですね。なにせ、その外から攻撃されたわけですから』


 フロアの床に矢印で大きく移動ルートが表示される。向かう先は1階に降りてくるのに使った階段だった。


「戻れって?」

『もちろん強制はしません、メインプレイヤーは貴方ですから。それに今の私の提案はナビゲーターの職分をやや超えたものではありますし、無視されたとしても、こちらとしてはこれっぽっちも気にしません。ああ、もたもたしていると相手も移動するでしょうね。敵が複数だった場合、囲まれてしまうかも』


 亮司は唾を吐き捨てて身を屈めた。足に力をこめ、床に一瞬だけ手をつき、ロケットをイメージして柱の裏から飛び出す。

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