後編 「穢れって、何だ」

 拘束こそされなかったが、シエロたちは物々しい黒衣たちに囲まれて、火口へ連行された。先に捕縛されていたレミと女性とは、教会の下で合流させられた。

 硫黄の臭いが鼻をつく。

 夜明けが近い。星の光も灰に阻まれ、火口からのぼんやりとした赤黒い光だけが灯りだった。


 ひとりがシエロの前に進み出た。その者の黒衣だけ、フードと襟周りを金糸の縫い取りで飾られていた。司祭らしい。

 筋張った手で上げられたフードの下から、緑色の澄んだ目が現れた。まだ若い。鼻から下は灰避けの布に覆われているが、男性と思しき声もまた、張りがあった。


「此度は、獣に奪われた神聖なる祭儀の贄を取り戻していただき、感謝いたします」

「の割には、扱い酷いな」


 シドがこそりと呟き、合流したレミに思い切り爪先を踏みつけられた。 


 司祭にも、シドの呟きは聞こえたのだろう。僅かに目が細められた。が、咎めることもなく、別の一人が抱えていた赤子を腕に取る。

 赤子は、周囲の異様な空気を察してか、小さく泣き続けていた。包んでいる布が、内側から盛り上がる。手足のばたつきを見て、女性が嗚咽を漏らした。

 司祭が、冷ややかに彼女を見下ろした。


「竜の怒りを収める為、穢れしこの赤子を捧げることに異論は無かったはずだな」


 女性は小さく頷いた。

 司祭に歩み寄った黒衣がふたり、恭しく赤子を受け取る。三名はそのまま、火口へと歩み始めた。シエロたちもまた、数歩距離を置いて歩くよう命じられた。

 足元の地面が揺れた。


「穢れって、何だ」


 シドの問いに、女性は涙を拭った。


「あの子は、いずこの者とも知らぬ旅人の子。この町に生きてはいけない子を、私は身篭ってしまったんです」


 シエロは驚いた。宿でも市でも、この町の人は温かく迎え入れてくれた。排他的な空気は感じられなかった。

 そのことを言うと、女性は項垂れた。


「往来は歓迎されます。ご覧の通り、農地の少ない町です。交易がなければ枯れてしまいます。行き交うことは歓迎すれど、しかし、住まうことは許されていないのです。悪しき血を、入れてはならないのです」


 先を行く三名の後ろ姿を、女性は腫れた目で見やった。


「あの子は。私の邪な、後先考えない欲情から生まれてしまった子。竜神様がお怒りになり、火を噴くのは当然です。だけど」

「あんたは、あの子のことも、あの子の父親のことも、愛してんだね」


 言葉はやや乱暴だが、レミの声は湿っていた。親兄弟の誰にも認められず、愛されず育ったレミには、思うところがあるのだろう。


「ばかばかしい」


 吐き出すように言うと、シドはマントから杖の先端を覗かせた。


「穢れだと? 神の怒りだと? どんなに正直に生きてたって、起きるときは起きる、それが自然災害ってもんだ。でなきゃ」


 噛み締められた語尾の代わりに、シドは強く目を瞑った。泣くのを堪えるような。シエロは、その手をそっと握った。


 悪い、とシエロの手を押しやり、シドはレミを見下ろした。


「どうする」

「って言われても、ね。面倒ごとであたしらにも火の粉が被るのは、ごめんだけど」


 次第に、地面から熱が上がってくる。水蒸気を噴き上げる地面の割れ目は、すぐそこに迫っていた。ファラが目を細めた。


「すでに、火の粉の中ですね」

「ったく、あんたはどうしてこの期に及んでまで冷静なの」


 謝礼を口にしたが、おそらく黒衣の者は、シエロたちをもまとめて竜神への贄にするつもりなのだろう。背後では、密かに剣が抜かれる音が立ち上った。


「どう?」


 そっと、シドへ問う。彼は、しばらく周囲の気配を探るように視点を彷徨わせ、ニヤリと口端を上げた。


「行ける。俺の側を離れるな」


 妨害魔法くらいは使用されているだろう。が、シドの術具を没収しなかったのは敵の過ちだ。彼の魔術は、見かけによらず強い。レミとファラも、さり気なくシドと体が触れるところまで近付いた。

 地鳴りがした。地面が大きく揺れ、ガスと共に黒煙が噴出された。熱風と礫を、数名の黒衣が張った結界が弾き返す。

 先頭を行く司祭がよろめいた。


「急げ。供物を、早く」


 叱咤され、赤子を抱えた黒衣が火口へにじり寄る。

 シエロたちも、黒衣に背を押されて急斜面を押し上げられた。

 せり上がった地面を上りきると、その先は大きく落ち込み、はるか下方が火口になっていた。投げ込むまでは生かしておくつもりらしい。体表に沿って張られた結界が熱を防いだが、それでも頬が火照る。赤子は顔を真っ赤にして泣き叫んでいた。


 黒衣のひとりが懐から細長い布を取り出した。赤子を乗せ、ふたりで両端を握ると振りをつける。投擲の要領で火口まで投げ入れるつもりだ。


 我が子を呆然と見ていた女性が、ふらりと足を踏み出した。

 シエロが手を伸ばした時には、遅かった。女性は、まっすぐに赤子へと走り出していた。

 が、辿りつく前に、赤子の体が宙を舞う。勢いをつけて放たれ、黒煙を上げる火口へと吸い込まれていく。


「私の」


 女性の足が、地面を蹴った。赤子を追うように、身を投げた。

 たちまち点となり、闇に沈む姿をへ腕を伸ばしたが、掠りもしない。叫びたくとも、彼女の名前も知らなかった。

 前のめりになったシエロの背を黒衣が押した。


「シエロ!」


 すぐさまレミが黒衣を蹴り飛ばし、ファラがシエロの腕を掴む。

 シドが印を結んだ手を杖に交差させた。地面に突いた杖の先から放射状に青白い光の線が走る。バリ、と硬いものにヒビが走る耳障りな音がした。

 黒衣の者が数名、見えない何かに突き飛ばされて地面へ転がった。

 ファラに引き上げられ、ようよう崖を越えたシエロを認めると、シドは詠唱に入った。足元へ引かれた魔方陣が白い光を放つ。


 山が鳴動した。

 噴き上がる火柱がうねる。宙で大きく二つに割れ、竜の口のごとく一行に襲い掛かった。

 結界が炎を弾く。

 

 黒衣の一人が唱えていた転移詠唱が、恐怖のためか、途絶えた。

 立つのがやっとの大きな揺れが続く。

 地面へ掴まり、恨めしそうに睨む司祭と目が合った。シエロは一瞬躊躇ったが、手を伸ばし、彼の衣の端を掴んだ。


「こっちに」

「何言ってんの!」


 レミが叫ぶが、シエロは必死に皆を呼び集めた。諦めたようにファラが手伝い、レミも腰を抜かした者たちを投げ飛ばすように魔方陣へ入れた。

 ど、と火口から新たな炎が噴出した。


 詠唱が終わった。


「転移」


 杖が掲げられると、青白い光が魔方陣から放たれた。自分の手も見えない眩さの中で、更に大きく地面が唸るのを聞いた。



 火山灰は、町を発って半日歩いた足元にも薄く積もっていた。振り返れば、降りしきる火山灰で影も見えなくなった町から続く足跡が、点々と淡い夕焼けに浮かび上がっていた。


「あの教会は、奴の父親の代に建てられたらしいが」


 ぼそぼそと口を開いたシドは、狼の姿となったレミの背に寝かされ、力なく揺られていた。


「流れ出す溶岩をせき止める形にしたそうだ。祭儀だけに頼らず、一応考えて政をしているようだな」


 転移魔法によって町に戻った司祭を待ち受けていたのは、人々からの蔑みと怒りだった。

 竜に象徴される山神を鎮められなかった。祭儀を穢され、正規の手順でやり直さなかったからだと、酷く責められていた。彼は、ひとつの反論も口にせず、じっと耐えていた。


 己の立場と、私情と。


 旅立つシエロたちを、彼は門の外で待ち受けていた。

 誰にも知られないよう、密やかに、詫びと救出の礼、そして金銭を渡してくれた。見送る姿は、黒衣の者を束ねる長として背筋を伸ばし、凛としていた。

 シエロには、彼の身体を縛る鎖がありありと感じられ、胸が痛んだ。

 それでも彼は、あの町で生きるのだろう。


「おい、シド」


 冷ややかな声が、狼の口から出た。喘ぎながら、恨めしそうに背中を睨んだ。


「くっちゃべる元気が出たなら、下りてくれないか」

「いやあ、口を動かすのに元気は使わないからなぁ。あの状況で詠唱を途絶えさせなかっただけ、サービスしてくれてもいいじゃないか」


 のんびりと言うシドに、シエロは身を縮めた。


「ご、ごめんなさい」


 シエロが黒衣の者を魔方陣へ入れたために、シドにかかる負荷は倍増した。以前までなら、詠唱を止めて怒鳴りつけられるところだった。しかし、彼は詠唱を乱すことなく続け、噴出した礫や溶岩が降り注ぐ前に転移を完了させてくれた。

 だからこそ、いつもなら体力を削ぐ変化へんげを嫌うレミも、狼の姿で彼を運んでくれているのだが。

 艶のある毛並みに体を預け、シドは満足げに目を閉じた。


「ぼちぼち、シエロの無茶振りには慣れてきたよ」

「ったく、ね」


 溜息をつくレミが、何かを嗅ぎつけて足を止めた。レミから預かった荷物を抱えなおし、彼女の視線を辿ってシエロもそれに気がついた。

 この先にある街道の分岐に、あの山猫がいた。側に佇む人影もある。風が、赤子のはしゃぐ声を運んだ。


「あの時の」


 歩み寄ってきた彼女らは、深く頭を下げた。女性は、寄りそう山猫の頭を撫でた。


「私達を、助けてくれたのです」


 大きな頭を女性の手に擦りつけ、山猫はぐるぐる喉を鳴らした。


「すっかり、忘れていました。私が小さいとき、町の人たちに追い回され怪我をしたこの山猫を匿い、食べ物を与えたことがあったんです」

「恩返し、ですね」


 言葉を継いだファラに、女性は頷いた。赤子は、祭儀の時のまま、布にくるまれていた。母子共に、怪我もないようだ。しかし、山猫の尾の先は、毛が焼け焦げていた。


「これから、どうされるのですか」


 シエロの問いに、彼女は寂しげに微笑んだ。


「あの町に戻る場所はもう、ありません。幸い、親も兄弟もいません。こんな私や山猫でも受け入れてくれる町を、探そうと思います」

「きっと見つかるよ。そんな町が」


 力強くシエロが言えば、器用に寝返り、うつ伏せになったシドも頷いた。


「この世界は、広いんだ」

「おい、シド。あんた本当はもう回復してんだろ!」


 レミに振り落とされたシドが悲鳴を上げて街道に転がった。無様な格好に、シエロは堪えきれず笑った。申し訳なさそうに、女性も笑う。


 分岐を、シエロたちは北へ、女性は西へ進んだ。剣士の姿に戻ったレミが、大きく伸びをする。


「はぁあ。誰かさんのお陰で体が痛いわぁ」

「ご、ごめんね、レミ」

「シエロのせいじゃないわよ。誰かさんよ、だ、れ、か、さ、ん」


 指で突かれ、シドはわざと大きくよろめいた。


「か弱い魔導師を苛めるとは、酷い人狼だ」

「なにが。俺は世界最強の魔導師だって吠えてたんは、あんたでしょ」

「はいはい、喧嘩しな……けほ」

「シエロ様、早く次の町へ入らなければ野宿はお身体に障ります」


 過剰に処置をしようとするファラに苦笑しつつ、シエロは竪琴を取り出した。歩きながら爪弾く。

 新たな人生へ踏み出した女性のために。共に旅をしてくれる仲間のために。

 竪琴の音は、疲れを癒すように優しく街道に響いた。

 一行の旅は、続く。


〈了〉

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灰の町〜奪った生贄を預けられても困ります かみたか さち @kamitakasachi

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