第3話

 中学を出て、高校は鈴姉が通っていた美術系の高校に進学した。

 高校二年生の文化祭には当然展示で参加する。書きためたものの中からこれはと思う作品を五枚、出した。文化祭なので何か趣向を凝らそうと言うクラスメート達の意見から、「戦国展覧会」と銘を打って、部屋をそのようにしつらえて、スタッフはみんな戦国時代のコスプレをした。絵は特に関係なく展示されるのだけど、そういう遊びが思っていた以上に楽しくて、凪はコスプレをした状態で客の反応を、戦国に対してと絵に対しての両方、見たいと思って積極的に展覧会に出た。

 そのときの格好が姫だったので、凪姫と呼ばれ、これがその後も渾名として定着する。

 反響を直接見るのは面白い。

 かなりの客が一つひとつの絵に数秒以上かけてゆっくりと観てゆくのに対し、コンマ一秒も殆どの絵にかけないかと思ったらじーっとひとつの絵を観ると言う少数派も居る。わざわざ戻って同じ絵をもう一回観る人もいるし、仲間と喋りながら鑑賞する人もいる。

 凪は自分の絵をひとまとまりにして展示していて、その脇に立っていた。

「この絵はあなたが描かれたのですか?」

 初老の男性が訊いて来る。はい、と頷くと、ふうむ、と唸る。

「何がしたいのかがはっきりと伝わって来る。君は美を識っているね」

「ありがとうございます」

「この絵は、売ってはくれないのかな?」

「え、あ、多分、ダメだと思います」

「分かった。じゃあ、先生らしき人に訊くことにするよ。いや、眼福」

 豪快に笑って、男性は去っていく。

 くのいちの格好をしたクラスメートが早足に凪のところに来て耳打ちする。

「凪姫、今の仲谷鉄姫だよ、有名な写真家の。私写真見たことあるもん」

 その名前を聞いて居ても立ってもいられなくなり、彼を追いかける。

「あの」

「はい。ああ、さっきの絵のお嬢さん」

「仲谷鉄姫さん、なんですか?」

「そうですよ」

 何か? と言う表情。

「『鈴』と言うアマチュア写真家をご存知ありませんか?」

 鉄姫はニカっと笑う。

「知ってるも何も、彼女の『愛は必ず』と言う写真をコンテストの大賞に推したのは僕だよ」

 そうだったのか。

「あの、ありがとうございます。鈴姉は、鉄姫さんの作品に打たれて、絵画を捨てて写真家になりました。その彼女の作品を観て頂けて、本当にありがとうございます」

「そっか。彼女、元々はこっちの人だったんだね。あれは技術の問題はとうに超えていて、表現の問題のところでの勝負をしている。だから、もし彼女が絵筆を持っていたら、同じように秀逸な表現をしたのだろうと思う」

「これからも是非、鈴姉を、いや、鈴をよろしくお願いします」

 深くふかく頭を下げる凪。姫格好なので妙に艶やかだ。

「うん。彼女はもう僕と同じ土俵の上だよ。彼女が望めばライバルにだってなれちゃう。彼女が何か言ってきたらきっと助けるよ。今日の素晴らしい絵のお礼だと思ってくれ」

「はい!」

 それから凪は鉄姫が視界から消えるまで頭を下げていようと思ったのだが、まださっきのくのいちクラスメートが駆け寄って来る。

「凪姫、あなたに会いたいっておっきな女の人が待ってるから、用事が済んだら持ち場に戻って」

「分かった、すぐ行く」

 凪より頭ひとつ高いスタイルのいい、髪が腰まであって、前髪の辺りの一房が青い。異質感のある文化祭の戦国展覧会、さらに展示されている絵、と言う取り合わせなのに、そこにさらに大規模な異質さをもたらす、女性。

 じっと、私の絵を観ている。

「あの、お呼びでしょうか?」

 凪が声を掛けると、女性は凪の方に向き直った。ただそれだけの動きなのに、芯があることを感じさせ、迫力がある。じっと凪の目を見る。

「あなたが、凪姫さん?」

「はい。凪姫は文化祭用の名前で、凪が本名です」

 女性はにこりと笑う。その笑顔にも力を感じる。

「私は、洪。バンドのヴォーカルをやってるんだ。それで、凪さん、あなたにC Dのジャケットを描いて欲しい」

「ジャケットの、絵、ですか」

「そう。とは言っても私達はメジャーデビューしてないから、私達がライヴのときに売るだけなんだけど。もし、イメージを捉えるのに必要なら曲の入ったC Dを、つまりそのジャケットを着るC Dを渡すよ」

 そんな話は初めてだ。面白そうだ。でも、それよりも大事なことがある。

「どうして私なんですか?」

「感動したからだよ」

 真っ直ぐにそう言われたのも初めてだ。洪の言葉が凪のこころを鷲掴みにする。洪は続ける。

「私達が音楽をするのと同じかそれ以上の熱量も感じた。ジャケットの絵を描くことがあなたの足しになるかは分からない。けど、受けてくれると信じられるだけのものがこの絵にはある」

「やります」

 感動、それだけで私が関与する根拠には十分だ。

「本当? 嬉しい!」

 洪が飛び上がって喜ぶ。

 私の絵が感動されて、しかも描いて欲しいと言うオファーまで来て、それを承諾したらこんなに喜ばれて。胸がじんとする。暖かいこの感じはそうだ、あの日のホットミルクと同じだ。

 洪がふと真顔になる。

「報酬は言い値で払いたいのだけど、私達も金持ちじゃないから、交渉しよう。幾ら欲しい?」

 これから自分が描く絵に値段を付けろと言う。安く五百円とかじゃやだけど、十万円は貰い過ぎだと思う。

「洪さんは、自分の歌を一曲新しく書いてくれと言われたら、幾らって言いますか?」

「出来上がりを見て、払いたいだけ払っていい、って言うかな」

「じゃあ、私もそれで行きます」

 よろしく、と右手を差し出される。こちらこそ、と握る。


 水の宮と言うバンド名で、C Dの洪さんの歌は凄かった。歌詞世界に没頭しながらも、インスピレーションが次から次に湧く。入ってた七曲のそれぞれに、私は一枚ずつの絵を描き、全体としてもう一枚の絵を描いた。もちろん、洪さんがそれを望んでいた訳ではなくて私がやりたくてやったことだ。描きたい絵を描く。それは幸福な時間だ。その種を貰っただけで、十分に報酬は得ている。

 洪さんとその仲間に八枚の絵を見せたら、洪さんが「いい?」と断ってからその中の一枚を取る。

 正八胞体を正面から見たときと同じ区切りで五つに分割された画面。下は湖、波は静かで水以外何もないのにそれが湖だと分かる。左右は街、誰もが息を潜めている、いや、居ないのかも知れない。静寂にこそ生まれる一本の緊張感。上は砂丘、逆さまに描かれている。そこにひとつだけ生命を色濃く醸すリンゴが、半分弱埋まっている。赤が脈を打っている。そして中央は夜の空、銀河が見える。空を間に挟んで砂丘と湖が、街と街が、力のやり取りをして、それが空に半分、観てる者にもう半分、流れて来る。

 元になった歌が何か、ここにいる全員が分かっていた。「灰に果実」だ。

 洪さんはその絵を抱きしめる。

「私達の歌が、結晶になってる」

 彼女はそう言って涙を流す。

 全部欲しいと言うので、渡す。

「報酬は、払いたいのは青天井だけど、今の私達の限度いっぱいで、いい?」

 彼女の涙は明らかに絵とそれにまつわることで感動をしていて、態度は感動に値段は付けられないことを如実に表していて、私はそんな彼女から、やっぱりもう十分に貰っていると思って。

「報酬はもう貰いました。水の宮の歌、インスピレーションの泉です。そしてそんなに感動してくれている現実。だから、お金は要りません。でも、どうしてもと言うのなら、次のライブのチケットを下さい」

「凪さん、あなたって子は」

 洪さんに抱き締められる。

 こころがじんとする、ホットミルクの感覚がまた広がる。きっと私はこの感覚を何よりも大事にするのだ。それを与え合う誰かを大切にするのだ。洪さんとも、鈴姉とも、そしてこれから出会う、誰かとも。

 凪は目を閉じて、自分の胸の中を、じっと感じた。



(了)

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ホットミルク(連作「六姫」⑤:凪姫) 真花 @kawapsyc

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