第5話 絶体絶命ジャーマンホイップ

 上原茉優の奇行はともかく、先制攻撃を仕掛けるまでは打ち合わせどおりだった。

 このあとは逆上したカグヤが望を追いかけまわし、そのまま場外にもつれて両者リングアウト。番組スタッフから手渡された台本には、そう書いてあった。


 だが、実際は違っていた。


 後頭部を押さえてトップロープにもたれ掛かったカグヤが、「このヤロー!」と絶叫しながら望のバックを取って反撃にでたのである。


「──えっ!?」


 予想外の展開に望は戸惑う。

 生徒たちの顔が、体育館の天井が、照明が、一瞬のうちに流れては消え、そして、望の視界は真っ暗闇になった。


「あああッ!? 素人相手に投げっ放しジャーマン! 大日向が危なーい!」

「失神してるだろ! レフリー早く止めろよ!!」


 リング中央では、後転途中の大股と両腕を開いた恥ずかしい姿で停止したままの数学教師が気を失っていた。

 カグヤが勝ち誇った笑顔で、両手のこぶしを天高く突き上げる。観客席は水を打ったように静まり返っていたが、すぐにブーイングの嵐に変わった。


「ひなむー、起きて! ひなむー先生!」


 セコンドの上原茉優が必死にマットを何度も叩く。すぐ目の前では深緑しんりょくの絶景が広がっていたけれど、いまの彼女には、望の股間よりも彼女の安否のほうが気になっていた。

 女性レフリーがすぐさま駆け寄り、優しさで・・・・望の体勢を横へと倒してから頬を指先で軽くはたく。その様子をカグヤはただ、仁王立ちでじっと見下ろしていた。


「やり過ぎだぞカグヤ!」

「カグヤさん、勘弁してくださいよぉ!」


 だが、関係者たちの声は美幸には届かない。

 カグヤの意識は……美幸は、リングの上で過去の残像を見つめていたからだ。



 それは、小学生時代の遠い記憶だった──


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