第7話 「一緒に」

「じゃあ、俺は一旦帰るからな」


 コーヒーを飲み終えた新田が、膝を打って立ち上がる。


「一旦って、また来るんですか?」

「時折な。その時は立ち寄らせてくれよ」

「……俺の家を休憩所みたいに扱わないでくれませんかね」


 須郷にしても新田にしても、なぜ俺の家を気軽に跨げると思うのか。


「じゃあな」

「あ、ちょっと待ってください」

「なんだ?」


 玄関先で、声を潜めるように言う。


「……その、美也の通っていた病院って帝東大学附属病院、ですか?」

「ん? いや、美也が通院していたのは国際先端メディカルセンターってところだが」

「……そうですか」

「なんだ、急に変な質問をしてきて」

「いえ、ちょっと気になっただけです」


 新田は疑るように眉を上げたが、特に追及することなく部屋を出ていく。


 俺は美也に、強い既視感を抱いている。

 どこかで見たことがある気がするのに、どの記憶を探っても、美也と会った覚えはない。

 奇妙な感覚だった。


 俺は昔、祖父が入院していた病院によくお見舞いに行っていた時期がある。

 その病院に、美也も通院していたならこの既視感にも納得できたのだが。

 

「……うぅ」


 さっきからちびちびとコーヒーを飲んでいた美也が、ようやくカップを空にする。



 俺は食器を回収し、流し台に積んだ。


 ♢


「よし、着いたぞ」


 車を停め、助手席に座る美也に声を掛ける。

 美也と共に向かったのは近くのスーパーである。


 朝食の後買い物に出ようとするときに、頑なに「YES/NO枕」を手放さない美也を説得するのに、時間を食ってしまった。

 あの枕を気に入ろうが美也の自由だが、あれを外に持ち出すには危険物過ぎる。 


 腕時計をちらりと見る。

 大学の授業が始まるのは午後からだ。


 昼前までに、買い物を終わらせれば間に合うだろう。


 美也と一緒に車を出る。

 慣れない土地なのか、美也は興味深げに周囲をきょきょろと見まわしていた。


 都会に出てきた田舎の修学旅行生のようだった。


 

「ほら、一緒に行くぞ」


 スーパーに入る。

 カートとかごを手に取る。


 今回の買い物は、ずばり食材だ。

 

 一人暮らしを始めてからというもの、俺の食生活はコンビニの弁当かインスタント麺類、学食に頼り切っていた。

 母さんから定期的に送られてくる「野菜はちゃんと食べてるの?」というメッセージが実に耳に痛かった。


 もういっそ、これを機に自炊を再開しようかな、と思い立ったわけである。


「しかしまあ、こうやってスーパーをじっくり回るのは、半年前のバーベキュー以来だな」


 車を持っているのは同じ学科では俺だけなので同級生の間では何かとこき使われることが多いのだ。

 

「何か買いたいものはあるか?」


 尋ねてみるも、美也は静かに首を振る。

 買い物は俺に一任するようだ。


「でも、健康にいいものが望ましいよな」

「……?」

「美也って、よく食べるタイプか?」

「……(こくり)」

「何か苦手な食べ物とか? あと、アレルギーとかは?」

「……(ふるふる)」

「ないのか。あんまり食にこだわらないってことか?」

「……(こくり)」


 つまり、出された食事は何一つ文句を言わずに平らげるということか。

 だが、やはり心配なのは健康面。


 美也は、体が弱いらしい。ちゃんと栄養バランスを考えて作らなければ。


「……でも、体にいい料理って何だよ」

「……?」

「味噌汁とかか? 作り方からしてわからんが」

「……」

「そもそも健康食品っておいしくないイメージあるからな……。だったら普通においしいもの食べたいよな。なあ?」

「……(こくり)」

「まあ、俺がおいしい料理をつくれるかは別だが」

 

 傍から見たら一向に返事をしない相手に延々と話しかけるイタいやつみたいだが、俺からすればまた違う感覚だった。


 彼女は言葉こそ話せないが、日本語は理解できている。

 こちらの話に、ちゃんと相槌を打ってくれているのがわかる。


 不思議なことに、それだけで彼女と「会話」をしている気分になっていた。

 それに彼女は――


「……♪」


 会話を楽しんでいるようにも見えた。

 きっと気のせいではない。

 

 彼女の浮かべている微笑が、上機嫌であることを如実に示している。


 さて、一通りの食料品は買いそろえた。

 買ったものを袋に詰める。


「おっも……!」


 パンパンになった袋が三つ。

 数歩抱えて歩いただけで音を上げそうになる重さだ。


 車を持っていて本当に良かった、と思う。

 


「……っ」


 そっと、袋を持つ手に、別の手が添えられる。

 柔らかな手が、俺から袋を奪い取る。


「……もしかして、持ってくれるのか?」

「……♪」

「……ありがとな」


 俺が二つ、美也が一つ、それぞれ袋を分担して持つ。

 袋一つだけでも十分な重さだが、美也の足取りは軽い。


 高校時代に運動部だった俺よりも、力持ちってどういうことなんだ。

 病弱なのではないのか。

 事も無げに美也は荷物を車まで運んでゆく。

 

「ぜぇ……ぜぇ……やっと着いた」


 美也に遅れて、俺も車にたどり着く。

 

「……っ」


 美也が心配そうに見つめてくる。


「だ、大丈夫だ。うん……大丈夫」


 荷物を後部座席に積み、運転席に乗り込んだ。


「か、帰るか」


 


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