第7話 二人の誓い

 レベーカはキッシンジャーの指導の下、マンデイの手足をロープで縛り、口にもガムテープを張り横に寝かせた。シドは相変わらずベッドの上で気絶したままだった。キッシンジャーはシドのネルベッドごと彼を移動させ、宙に浮かせた。


「儂にも体力の限界がある」キッシンジャーは言った。


「呪文には体力がいる。人の手でできることはおぬしに手伝ってもらう。良いな?」

「はい」レベーカははきはきと答えた。もう彼女の目に涙はない。


「左様」


彼は自分の本の一ページ目に「乗れ」と書いた。


「儂の呪文で、シドのベッドごと移動するぞ。レベーカ・オータス、儂を持ってベッドに乗れ。少々急ぐから手荒になるが、覚悟してくれたまえよ」


「わかりました、キッシンジャー様」


 彼女は言われた通りキッシンジャーを抱えてベッドに乗り、シドの横に座った。


「ゆくぞ」


 シドの部屋の壁にドアが突然現れ、その扉が開いた。三人を乗せたベッドはその扉をくぐり、寒く深い夜の街へと消えていった。





 その間、ディーンは相変わらず馬なしの馬車に揺られていた。


「なあ、これ、いつ着くのさ?」


風は冷えたが、馬車の上では炎で暖を取ることもできない。布団が一枚かけられていたが、さすがに夜風は凍みる。


「まあ、もうすぐじゃないっすかね、あっしにもよくわからにんでさあ、正味な話」

ドブネズミが答えた。チーズを食べ終え、腹を膨らませたままうとうとしている。


「いい加減だな」


「まあ、あっしは呪文でティム様のところに行くよう、奴さんを運んでいるだけですからね。正味な話、いつ着くのかとかはわかりませんや」


「寒いんだ。湯たんぽなんかはないか?」


「まあ贅沢ですねえ、そうか、湯たんぽがあればいいのか。勉強になりやした、次回からはそうします」


「用を足したいんだ」


「あんさん、もう少しの辛抱ですってば」


ドブネズミはたしなめるように言う。


「この馬車は何もないように見えて、奴さんを保護するように強力な呪文がかけてありまさあ。あっしだけじゃなく、ティム様も直々に呪文をおかけになっておられます。悪いですけど、もう少し辛抱してくださいな」


「まったく」ディーンはため息をついた。


「別に逃げやしないさ」


「どうだか」ドブネズミはあくびをしながら言った。


「悪いですけどこちとら商売上、人を信用できんのですよ。一匹狼、もとい一匹ネズミってやつですかね。あっしは人を信用したら終わりな職業なんす。奴さんには悪いですけどね」


「まあ、もう好きにしろよ」


「湯たんぽも暖かい食べ物もなく排泄さえできない、いつ着くかもわからない馬車に乗るなんて、こんな最高な旅はあとにもさきにもないだろうね」


「まあまあ、もうすぐ着きますって」


「速度を上げろよ」ディーンはドブネズミに高圧的になっていた。


「へいへい」


 風が馬車を切る。風がディーンの身体を伝い、ますます寒く感じた。





 十分くらいしただろうか、ドブネズミは高い声で言った。


「見えましたぜ」


そこは現内閣総理大臣、この国のトップであるティムのバカでかい屋敷だった。


「このまま部屋まで突破しますぜ、坊っちゃん」


「その前にトイレに行かせてくれよ」

 ディーンはつぶやいたが、ドブネズミの耳には入らなかったみたいだ。


 ティムの古墳ほどバカでかい屋敷の一番大きな扉が勝手に開き、馬車ごと中に入った。脇にある棚や壺や生け花などは馬車にぶつからないように勝手に移動した。


「このまま直前まで飛ばしますぜ」


 時折メイドたちが何かを運んだり掃除をしていたが、彼らも勝手に移動した。直線的に移動することから、やはり何かの呪文が働いているのだろう。

 馬車はスピードを緩めない。壁や人にぶつかりそうになりながらも、すれすれのところで避ける。

 ディーンは風を感じながら、内心少しひやひやしていた。


「センブリ!」ドブネズミはある部屋の前で叫んだ。


「センブリはどこにいる?」


ドブネズミは馬車の本来馬がいる位置まで行き、足を三回蹴った。馬車は途端に急停止した。


「センブリ!」


部屋の扉の前で馬車は止まった。


「起きているか?連れてきたぞ」


ドブネズミは部屋の鍵部分を経でがりがりと噛んだ。部屋の中からコツコツと足音がし、きっかり五秒後にゆっくりと扉が開いた。



「ワールテロー、そんなに急かさんでください」


細い声が上から聞こえてくる。


「こっちは仮眠中だったんですからね」背の高い男が現れた。


 彼はそういいながらも、軍服のようなものをびしっと決めてブーツを穿き、髭もきれいにカールさせて生やしていた。とても今仮眠していた人間とは思えない格好だ。頭はスキンヘッドで、背は高い。背筋ピンとしていて、いかにも仕事ができそうだ。


「奴さんを連れてきたぜ。ティム様はお休みか?」


「いや、着いたらすぐに来いとの命だ」


「ならば行くか」


ドブネズミは呪文で僕の両腕をがっちりと背中の下で縛った。目には見えないロープで固定されているような感覚がディーンを襲う。


「ま、もうすこし辛抱してくださいや、奴さん」


ネズミは飄々と言った。


「お前も行くのか?」


センブリがワールテローと言う名のドブネズミに聞いた。


「まあな、お代はきっちりもらわなきゃいけんのでね、こちとら慈善事業じゃありませんで」


「そうか」


センブリはそう言うとワールテローを呪文で自分の右肩に固定させた。


「それならば私はお前を連れて行こう」


「相変わらずお堅いなあ。センブリさんよお。別に逃げやしないっての」


ディーンたちは長い廊下と階段を上った。途中に、東洋風の二体の銅像が現れた。どちらも怒ったような顔つきをしていて、左手をこちらに向けている。


「「合言葉を」」


二体の銅像が同時に喋った。二つの声が重なり、不協和音のように聞こえる。


「互いに自由を妨げない範囲に於いて、我が自由を拡張すること、これが自由の法則である」


センブリは面倒くさいといったようにスラスラと早口で言った。


「「通るが良い」」


二体の銅像はその場をよけ、道を開けた。


「けっ、相変わらず面倒くさい」ワールテローが毒を吐く。


「良いセンスだと思うよ」


ディーンはくすくす笑った。


「奴さん、何が面白いんで?」


「別に」


「静かにしろ」


センブリがたしなめた。


「ティム様だ」





 扉の向こうに一枚のベールがあった。奥には天蓋付きのベッド。そこには『純粋理性批判』を手にベッドに座っている長髪の男性がいた。


 見たところまだ二十代といった風貌だ。長髪は綺麗に手入れされていて美しく、銀色に輝いていた。毛先が少しカールしている。細身だがディーン同様、筋肉はあるみたいだ。

 センブリが軽く深呼吸をし、跪く。


「センブリです、ワールテローが今しがたディーン・オータスを連れてまいりました」


「……」


 その瞳は銀色だった。こちらを見る目が、まるで蛇のようだ。一瞬でディーンは緊張した。


「ディーン・オータスか」


 彼はベッドから出るでも本のページを閉じるでもなく、そのまま舐めるようにディーンを見て言った。


「大きくなったな……」


 銀色の瞳が、彼を離さない。


「私としてはお初お目にかかります」


 ディーンは言葉を発するのも精いっぱいだった。この部屋の空気が薄いのだろうか、なぜかティムに見つめられると、ディーンは呼吸がしづらくなることに気付いた。


「そうか」彼は本に栞を挟んで閉じた。


「まだ私と会ったとき、君は赤ちゃんだったな」


「……私がティム様にお会いしたことが?」


「そうだ、君は覚えていないがね」彼はじっとディーンを見つめた。


「少し、質問をしていいかな」


 不思議な瞳だった。ティムのその銀色の瞳に捉えられると、何もかも見透かされたような気分になる。


「はい……」ディーンは冷静さを失わないように努めた。嫌な汗が流れる。


「君の優秀さは聞いているよ。特別学級に進学して飛び級し、この国一番の大学を首席で卒業して論文を書いたこともね」


「は、はあ……光栄です」


「実に素晴らしい」彼は口角を上げたが、目は笑っていなかった。


「もしよかったら」と彼は言った。


「君の肉体も見せてくれないか? 聞くところによると、剣術の心得もあるとのことだが」


「はい」


 ディーンは頭を下げる。


「上半身を脱げ」小声で隣にいたセンブリがささやく。慌ててディーンは上半身の衣服を抜いだ。彼は適度に筋肉がついていた。


「ほお」ティムは高い声を出し、目を見張った。


「君はもっとデスクワーク派かと思っていたけれどね、想像以上だよ」


「はあ、ありがとうございます」


「そうか、鍛えているのかね?」


「一応、毎日走り込みなどはしています。好きなので……」


「よろしい、もっと近くに来て見せてくれないか?」


「はい」彼はティムのいるベッドに近づいた。


「ほお」


ティムはディーンの筋肉をまじまじと見た。


「肢にも筋肉はあるのかね?少し裾をまくってくれないか」


ディーンは言われるがままにズボンの裾を折った。


「さすが走っているだけある」ティムは目を見開いて彼の足を眺めた。


「もうよいぞ」


「服を着ろ」小声でセンブリが指示する。ディーンは言われるがままに服を着る。


「よろしい、非常によろしい」


彼はうんうんとうなずいた。


「想像以上によろしい。頭も申し分ない。それになかなか、顔も男前じゃないか」


 彼は笑った。ディーンは何と答えて良いのかわからなかった。


「今日は手荒な真似をして悪かった」


「はあ」


 センブリはディーンの足を踏んだ。「否定しろ」とその目が語っていたが、ディーンは気づかなかった。


「実は優秀な君には少しばかりやって欲しいことがあってね」


 彼はベッドから身を乗り出して言った。


「何、この国のために少しばかり君の頭脳を貸してもらいたいんだ。報酬は莫大だ。少しの仕事をすれば、あとはここの地下室にある図書館を自由に使ってもらっても構わない。君が今専攻していると言われている哲学書も十分にある。研究費用も必要ならば経費で出そう。どうだ?悪く無い条件だろう」


「確かに悪く無いですが」とディーンは口を開いた。


「一つだけお願いがあります」


「聞こう」


「僕の家族に危害を与えないでください」


 ディーンは訥々としゃべった。


「シドにも義母さんにも義父さんにも、私の婚約者であるレベーカにも、祖父のキッシンジャー様にも危害をくれぐれも与えないでください」


「勿論」


 ティムはリラックスして体勢を崩した。そんなことか、とでも言いたげに身構えていた緊張を解けさせた。


「心得たぞ」


「そのためにならば、僕はなんでもします」


「大丈夫だ、お前の家族の保証はこちらで行う。何より、お前の父親のブライアンは私の弟なのだから。もう君と私は家族だ」


「ティム様」


ディーンはその場で片膝をつき、頭を垂れた。


「有難き幸せ」


「期待しておるぞ」


かくして二人の契約は結ばれた。





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 「今日からここで寝ろ」


 センブリが面倒くさそうにディーンに言った。その部屋はかつてディーンが過ごしていた部屋の少なくとも三倍の広さはある部屋だった。机も本も文房具もそろっており、仕事をするには絶好の環境だった。シャワーとトイレもついていて、ここで籠って作業をすることが十分可能だった。


「私の部屋は二階の階段を上がってすぐだ。と言っても普段仮眠室にいることが多いがな。何かあったら私かその辺にいる女中か、ここらをうろつきまわっているこ汚いネズミに言え。何か質問はあるか?」


「特にありません」


「わかった、それでは休め。明日の朝、また声をかけるから支度しておくように」


「わかりました。」


 ディーンはドアを閉めた。ドアの外からはまだ二人の声が聞こえていた。


「あっしはどこで寝ればいいですかね」


「ふん、お前のようなネズミの場所などこの屋敷にはないわ。俺の部屋にハムスター用のケージがある。それを使え……」

「それでチーズはありますかい……」


二人の声はだんだんと小さくなっていった。やっと静かな夜が訪れた。


 これから何が起こるのか、ここで自分はどうすればいいのか、何もかもわからなかった。

 泥のような眠気が彼を襲ってきた。


「レベーカ」

 彼は眠りについた。

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