第22話 目を瞑っていても光は感じられる

 暗闇の中で手を伸ばすとグロリオサの肩に当たった。肩、少し手を伸ばせば腕。もう少し上に。首。ああ、頬が見えてきた。やっと口が姿を現す。それは動く。

「ジャン。どこにいるのよ」

「きっと君の目の前。君は心を強く持って――

「あなたが暗闇に囚われているんじゃないの? ねえ小さい頃の事って覚えている?」

「覚えているよ」僕は手探りで彼女の顔に触れる。

「父さんと一緒に虹を見てさ」

「へえ、虹ってそんな意味があるんだ」

どこからか声が聞こえた。まだ若い、少年の声だった。僕は驚いてあたりを見回した。グロリオサの感触はまだ残っている。大丈夫、まだ彼女に触れている。

「にしてもずっとこんな調子かあ。ここって。まいったな。ずっと光だけの場所もきつかったけど。何の呪文が効くんだろう。とりあえず転移かな……。でもここの構造気になるし。何か物とか落としてみて……」少年の声はやけに近くで響く。

「誰かいるのか?」僕はグロリオサの唇と思われる部分を手で押さえ、彼女の声をふさいだまま、話しかけてみた。

「ん。何か声が聞こえる」と少年は――おそらくこちら側を向いて――言った。さっきより声が近くなっている。

「誰かいますかあ?」少年の声はだんだん大きくなってきている。

「ジャンだ。僕の名はジャン。場所はわからないが、この暗闇の中にいて――」

「ん。なんか微かに声が聞こえるな。声の増幅の呪文ってどうすればいいのかな。空気の振動を大きくすればいいのか。ってことは……」少年はぶつぶつと何事かを唱えていた。

「ええっと、誰かいますかあ?」

「男が一人いる、男が一人――」僕はほぼ無人島で遭難しかけた人のように、何を話せばいいのかわからなくてわけのわからないことを口走ってしまった。

「あ、本当にいるんですね」

 なんと、目の前に光が現れ、眼鏡をかけた十代ぐらいの少年が現れた。彼の姿がくっきりと見える。

「僕はジャンだ。家で食事をしていたら突然ここに来ちゃって――」

「ああ、世界の記憶の中に来ちゃったんですね、お互い。僕もよくわからないんですけど、おそらくお祖父ちゃんの中には『記憶の湖』の歴史の記憶があって、消化されている最中みたいですね。まあ仮説なんですけど」

 少年はほとんどなにを言っているのかわからなかった。

「ここはどこだって?」と僕が聞くと、

「ん、二人いますね。……ええっと、僕もここについてはよくわからないんです。お爺ちゃんの中に入ったらここに来ちゃって。さっきまでは『歴史の記憶』の中の皆さんの魂と話してたんですけど、あなた方は肉体が僕と同じようにあるみたいですね。っていうわけで、ここからは実験になります」

「実験?」少年はわけのわからないことを、こちらの都合もお構いなしに喋ってくる。

「ええ。ここから出られる方法は僕にもわかりません。だから実験します。まず第一の仮説として『世界の主』みたいな、流れを司る者に働きかけます。それをどうやるのかわはわかりません。でも、なにがしか主張すれば、機械仕掛けの神が出てきてもいいと思うんですよ」

「要は神頼みだな?」と僕は返す。

「ええ。でも唐突にじゃなくて、ある程度流れが必要なんですけどやってみる価値はあります。やらないよりは」

「じゃあ機械仕掛け神よ、出てこい」と僕は言ってみた。沈黙が訪れた。

「何も起こらないじゃないか」

「まあ、何度もやっていくのが大切ですしタイミングもありますからね」少年はやけに淡々としていた。というより、ちょっと何かこの危機的状況が楽しそうだ。

「あとはあなたがここに来た時って何か話していませんでした? 何か世界の記憶にかかわることとか」

「虹が出たときの話とか、自分が何者かの話をしていて……」僕が説明し、グロリオサも頷いた。

「あー、なるほど。『真理』を開いたってことですね。それでここに来れるのか……。ふむ。ってことはやっぱりもう一度僕たちがお互いに夢を見なければならない、認識を『現実という虚構』に合わせる必要があるわけですね」

「よくわからないな。君はどこから来たんだ?」

「僕はオータスです。僕はオータスの王子ですから」少年は手を頬にあて、何か考えたまま僕と目を合わさずに答えた。

「オータスの王子? それは僕なはずなんだけど」

「あれ。そうなんですか。失礼ですがお名前を伺っても?」

「ジャン・クローバー」

「え、

 足元の闇が消え、底なしの光に包まれた。

「ごめんなさい、認識が現実に合ったみたいです。クローバーさん、あなたたちは、今一度『動かされているのではなく動いている』と信じてみてください」少年は光に包まれ、だんだんと姿が見えなくなってきていた。

「たとえ機械仕掛けの神がいたとしても、それでもその神は全能ではないと、そう信じてみてください。僕らは確かに受け入れるしかないです。けどそれは絶望であってはならない」もうほとんど、眩しくて目を開けているのさえ辛い。しかし少年のあどけない高い声は、僕の脳に直接響いてくる。

「多分信じれば、戻ります。たとえ雑多でうまくいかない、美しくない混沌が現実でも、僕らのいる場所が永遠に壁の中だったとしても、絶望せずに生きましょうね。始まりが絶望でも、その中で僕らは僅かな光を追い求めましょうね。同じ学者ですから、僕らが見た光は、闇は、いつか誰かの光になります」

「君、いったい――

 風が吹き荒れた。少年は光に包まれ、やがて見えなくなった。少年は僕のことを知っているのか? そんな疑問が沸いたが、考える間もなく風の中に包まれ、息もできないほど苦しくなり、目も開けられず、風圧で頬が痛んだ。

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