第19話 時は止まらない、それでも世界は美しい

 僕が目を覚ますと、施設はボロボロに壊れていた。天井はなくなり、壁は崩れて石くずとなっていた。

 僕は地下の階段の近くで、グロリオサを抱きながら横になって眠っていた。彼女に何かあったのだろうか? 今は何時で、皆どこにいるのだろう? 僕にはわからないことが多すぎた。とりあえず起き上がり、僕は軽く全身の関節を確かめるように動かしてみた。こきこきと音が鳴るが、とりあえず上々だ。腕と肩が痛い。しかし、医者に行くほどでもないだろう。


 こつこつと靴の音が上から聞こえて来た。額に傷のある男が階段を下りて来た。

「殿下。こんな時ですが、お客様です」男の陰から、一人の女が靴を鳴らして出て来た。サクラ先生だった。先生はグレーのスーツにピンクのシャツを着ていた。

「ご依頼人、クローバー様」と彼女は言った。よく通る声だ。彼女は階段をゆっくりと降りて来た。

「相変わらずお綺麗です」と僕は言ってみたが、相変わらず彼女は僕のことを無視して話し続けた。

「結論から申し上げます」彼女はそこで一呼吸置いた。階段を下り切らず、そこで一度歩みを止めた。

「お探ししている方は既に亡くなられておりました」

彼女は頭を下げた。僕は彼女を下から見上げていた。なんて言えば良いのかわからなかった。この知らせを真っ先に聞くべきなのは、おそらく僕ではない。もう家族のいない少女だ。

「既に何年か前から、亡くなられていたみたいです」

「死因は?」

「殺害です。彼の今現在の、戸籍上の妻が彼を殺害したとみています。詳しい事は後から色々と分かるでしょう、いずれにせよほぼ黒だと見ています。現在、彼女を拘束しています」

「ごめんなさああああい」聞き覚えのある高い声が階段の上から聞こえて来た。

「もうすぐきっと、拘束も解けますから。もうすぐの辛抱です!」ピンクのスーツにピンクのヒールを履いた女の子が、僕の隣の家の大家さんの両手に手錠をかけ、拘束していた。彼女も元気そうで何よりだ。

「やあ」と僕は声をかけた。

「クローバーさん、大丈夫ですか? すごくやつれているように見えますけれど」ピンクの女の子が高い声で叫ぶ。

「大丈夫だよ。それより、早く彼女を部屋に連れて行ってあげて」

「はあい」頬に傷のある男が、ピンクのスーツの子と大家さんと共に消えて行った。

「殿下をおおおお、ずっと見守っていたのはああああああ、この私よおおおおおおおお」という声が上から聞こえて来た。そのすぐ後に頬に傷のある男が「黙れ」と諌め、ピンクのスーツの子が「もう少しの辛抱ですからねええ」とあやすので、その光景はいまいち緊張感に欠けた。

僕はサクラ先生と二人きりになった。

「辛い現実かもしれませんが、私からもう一つ報告があります」彼女は毅然と言った。

「どうぞ」

「あの方、戸籍上の彼女(グロリオサ)の母でありあなたの隣人は、あなたとミス・グロリオサを殺そうとしていました」

「発電所で?」

「おそらく」彼女は淡々と答えた。

「そうか」沈黙が訪れた。何を言っていいのか、本当にわからなかった。

「グロリオサ……、彼女には、あなたから事実を伝えてもらえませんか? 申し訳ないけれど。なんなら、何か書類でも良いんだけど」僕が言えたことはこれくらいのことだけだった。

「書類は既に作成段階です。まだ殺害の件についてはこれから調べられて色々と決められていくでしょうが、私の依頼自体は既に完了しましたので。報酬は前に貰った分だけで結構です。時として死んでいる人間を調べる方が簡単な時が多いのです。生きている人間と違って移動しませんから。今回のケースは時間もかかりませんでした」

「彼女の父の死体はどこにあるかわかりますか?」

「おそらく、巨大な水槽か何かだと思いますね。しかしその点はよくわかりません」僕にはその場所がわかったが、敢えて詳しい言及を避けた。どちらにせよ、それはもうこの世に存在しないのだ。

「そうですか」

「おそらく、彼の死体は粉々になっていると予想されます。妻は彼の持つ何かを恐れていました。それを隠すために、彼を粉々にするまで殺さなくてはならなかったのです」

「記憶を所持していたから」

「そうだと思います。それが何の記憶なのかは、今となってはわかりません」

「そうですね」僕らは沈黙した。話すべき言葉は何もなかった。

「ところで、失礼ですが先生はおいくつですか?」

「私は三十三歳ですが」彼女は何でもない事のように答えた。

「その半分でも通用しますよ」お世辞抜きの感想だった。

「褒め言葉と受け取っておきます」


 ううう、と後ろから声がした。見るとグロリオサが寝返りを打っていた。そう言えば、僕たちは固い床で寝ていたのだ。これではとてもグロリオサがかわいそうだ。よく見れば、彼女の身体にはところどころあざが出来て青黒くなっていた。

「先生、ありがとうございました。彼女が起きたら、会ってやってください」

「はい、説明責任は私の職務の一つですから」

「そうですね」先生らしい言葉に思わず笑った。

「でも僕はあなたに、これからまた会えると嬉しい」

「そうですね」先生は笑った。

「私もです」

 僕は起きようとするグロリオサを抱えた。軽いような重いような不思議な感触だった。全身の力が抜けているせいで重く感じるのかもしれない。僕は彼女を抱えて一階まで歩いた。僕は一人の職員とすれ違った。

「殿下」と、彼はぼろぼろの僕を見て言う。

「彼女を温かい場所に寝かせて、上等な服を持って来て。彼女は……この国の姫だ」

 職員は一瞬何のことかとぽかんとしたが、すぐに「はっ」と素早く返事をし、空いている上質な部屋を探しに行った。他の職員も、彼女の傷の手当てをした。

「殿下、彼女をどうしますか?」と一人の職員が聞いた。

「どうもこうも、まず僕たちは腹が減っているよね、それも、すごくかなり」

「畏まりました」







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