Subsection B02「天界からの協力要請」

「痛たた……」

 ユリハは顔を顰めながら、痛めた自分の頭部を撫でる。

 帽子を目深に被った全身赤色の衣装に身を包んだ女の子が驚いたように目を見開いて、抗議の声を上げた。

「いきなり大きな声で呼び掛けられたら、びっくりするじゃないか!」

 女の子は余程驚いたようで、心臓がドキドキしているのか胸に手を当てている。

 対して、ユリハは口を尖らせた。

「何度も呼び掛けたのに、反応が無かったんだから、仕方がないじゃない」

「そうだったか。そりゃあ、気付かなくて悪かったね」

 女の子は持っていた本をパタンと閉じ、今度こそユリハに向き直った。

「冥界の閻魔様ともなると、なかなか業務で忙しいんだよ。最近は特に、ね。メナ・ムーア様の言い付けも多いからね」

 そう言いながら、閻魔が肩を竦める。

 閻魔が口にした『メナ・ムーア』とは──この冥界を統治する冥王である。

 ユリハが今居るこの冥界は、実のところ、メナの能力によって創造された世界であった。

「……ふーん。そんなに多忙だなんてね。何かあったの?」

「あぁ……。うーん……いや……」

 閻魔は一旦は頷くが、言葉を濁してゴホンと咳払いをする。どうやらユリハにも話せない事情があるらしい。

 パイプ椅子に腰掛けて足を組むと、閻魔は話題を切り替えた。


「……まぁ、こっちの忙しさ何てどうでもいいよ。それよりも何の用だい?」

「これ……」

 ユリハは机上に置いた包みを指差す。

「ほぅ……」

 女の子はその包みを自分の方に引き寄せると、結び目を解いて中を覗いた。

 途端に、険しい顔になる。

「こいつは……」

「カーレル・ハース……。少し前に、討伐を依頼されていた山姥よ」

 閻魔は頷きながら、本棚から書類がバインダーされたファイルを取り出す。パラパラとページを捲ると、納得したようにうんうんと頷いた。

「あぁ、なる程ね。ご苦労様。……こいつは謝礼だよ」

 閻魔は包みの結び目を再びきつく縛ると、机の下に置いた。代わりに金貨の詰まった小袋をテーブルの上に置くと、ユリハの前に差し出した。

 途端にユリハの瞳が輝き、にっこりと笑顔になる。

「毎度あり〜」

 金勘定をするユリハは、どことなく嬉しそうだ。


「さぁ〜て……。次は何か目星い依頼はないかしら。できたら、町中とかで簡単なものが良いのだけれど……」

 ユリハは気分良くしながら長机の横に設置されているコルクボードへと視線を向けた。

『殺人吸血鬼“クロス・オブ・ヴァンプ”討伐』

『禁忌人体錬成魔女“クラリミナ・デスア”討伐』

 物騒な見出しの書かれたプレートがいくつかピンで留めてあり、ユリハの目を引いた。

──死を司る女神であるユリハは、罪を犯した妖魔の討伐の依頼を此処で請け負い、排除していくことを使命としていた。

 ここ最近は依頼の数も増え、ユリハも駆り出されることが多くなっている。

「随分と物騒になったものね。治安でも悪くなったの?」

「あぁ。……実は、そうなのさ」

 閻魔がコクリと頷いた。

「そのことで、お前に相談があってね……」

「相談? 閻魔様のお仕事の手伝いなんて、してあげられないわよ」

 閻魔の高度な業務になど、とてもユリハはついていかれなかった。忙しそうに書類とにらめっこをする閻魔の姿を思い浮かべ、ユリハは身震いした。

 自由気ままに人間界を旅する死神業の方が、ユリハには合っている。

 閻魔もそのことを重々承知のようだ。そんなユリハの考えを否定するかのように手を振るった。

「そんなことは頼ないよ。……実は、天界から依頼があってね。そのことでお前に動いてもらいたいんだ……」

──天界。

 その言葉が閻魔の口から出た瞬間、ユリハの額がピクリと動いた。

「……あら、珍しい言葉が口から出たわね」

「まぁな。実際に、それをお受けになられたのはメナ・ムーア様自身だからな」

「えぇっ! メナ様がっ!?」

 ユリハは驚いて声を張り上げたものだ。

 それ程に、この事実はユリハにとって意外なことであった。

──メナ・ムーアは現在でこそ冥界を創り出した冥王として君臨しているが、以前は全ての神々を統治する役割があった。

 ところが、現全能神であるウェラ・スポンスキィーにその地位を追いやられ、こうして暗い世界で暮らすことになってしまったのだ。

 その為、メナはウェラを──天界を快く思ってはいなかった。それも、かなり激しい憎悪を持ち合わせていた。

──そんなメナが天界からの依頼を引き受けたというのだから、驚かないはずがない。

「メナ様直々に、お前を任命なされた。だから、天界に協力してやってもらいたいんだ」

「あらまぁ。しかも、メナ様直々に……? まぁ、やれと言われれば、何だってやるわよ。……所詮、私も冥界の使いっパシリですものね」

 自嘲気味なユリハの言葉に、閻魔は苦笑した。

「詳しいことは、後々、天界からの使者が説明しに行くらしいから、その者の指示に従ってくれ」

「へー。そうなんだぁ。分かったわ」

 この時のユリハは二つ返事でこの任務を受け、まだ事の重大さには気が付いていなかった──。

「恐らく、現在の世界情勢にも関わることだろうから、慎重に頼むよ」

「ええっ!? 世界情勢?」

 取ってつけたように重大なことを閻魔が口走ったので、ユリハは驚きの声を上げたものだ。

──それでも、視界は徐々に暗くなっていく。世界全体がまるでフェードアウトでもしていくように、暗転していった。

「世界の命運は、お前の手に掛かっている。頼んだぞ、ユリハ・ナノ・クレヴァー」

 閻魔の姿も遠退いていき、声も小さくなっていった。目を落とすが自分の手足すら闇に呑まれてしまって、果たしてそこに本当に存在しているのかも分からない。


──虚無。

──静寂。

──暗黒。

 やがて、ユリハの眼前から全ては消え去り、完全なる闇が広がった──。

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