トイレに行きたいお話

勝華レイ

トイレに行きたいお話


 ウンコしたい。


 今、おれの思考はその一点の願望のみだけだった。

 朝から、具体的には二時間目あたりからずっとお腹が痛い。健康的な食事を心がけていたのにこれだ。やはり人間の体というのは時として計算があてにならない 。

 

 学校ではずっと我慢していた。

 授業中にトイレに行きたいとなんか着席すればクラスメートにバレてしまうし、休み時間はいつも誰かが化粧室にいる。頼むから男子も女子と同じ形式にしてくれ。そうなれば個室だけだから誰の目にも触れずに済む。

 帰り道の途中にあったコンビニやスーパーマーケットも無視だった。

 いちいち店員に声をかけなればならないし、今日はサイフがすっからかんのためなにも買わずに排便のためだけに利用するのは罪悪感にかられる。


 今、公園の公衆便所が目についた。

 あそこは老人の溜まり場になっているので今の時間だとたいした利用者もいなく、また一般に開放されて使用者も特定されてないため気兼ねなく利用できる。

 

 しかし、おれはあえてスルーする。

 公衆便所のトイレは全体的に汚いし、もし誰か知り合いでもない人が入ってきたら緊張で出せるものも出せなくなってしまう。


こんな神経質のおれがウンコをできるのは自分の家のみだ。


 だからただひたすら真っ先に、だけどお腹に負担をかけない速度で帰宅を目指す。

 

 深呼吸して新鮮な酸素を取り入れてから、前に半歩を踏む。

 

 直後、視界全体が白い光に包まれる。

 

 気づけば、おれの前にはなんか外人みたいな金髪の美少年がいた。


「えっ?」


 ただ困惑しているおれへ、少年は話しかけてくる。


「ようこそ異世界からの勇者様。魔王マオを倒すべく助力を願うためお呼びいたしました」

「は?」

「つきましてはまず装備に我が王家秘蔵の名剣、そして国総出で選りすぐった旅の仲間をお付けします」

「勇者様。あなたと共になれて光栄です。あなたのためならたとえ命でも惜しくありません」


 なんか鎧姿の美女がおれへ頭を下げながら膝をついてきた。


「勇者様。魔王を打倒した暁にはこの第一王女を妃としてし、金銀財宝と王家に名を連ねる褒美を約束しましょう」

「……それより、ここにトイレってあるか?」

「お手洗いですか? ならばこちらに」

 案内された先では、黄金のおまるがあった。


「王族のみに許された便所です。まだ王族ではない勇者様は本来ならば使用できませんが、今回は特別に」

「できるかこんなので!」

 

 おまるだけじゃなくて床から天井まで室内全てが金でキラキラ。しかも窓の外を確認したら放り投げた跡があった。


 こんなド派手なところで落ち着いてウンコなんてできるか!


 おれがキレると、怯える少年と女。


「ご、ご乱心を」

「そこはアポなしで人を突然呼び出したんだから、当たり前だろうが!」

「ですが、呼び出される勇者様はみな元の世界や状況から脱出したい人や旅を求める人だそうで」

「そりゃおれはババア(母親)がいる家なんか出れるものなら今すぐ出たいし、旅もしたいよ! けど今じゃねえんだよ! 今は他に優先すべきことがあるんだよ!」


 ほんとあのババアは嫌いだ。

 顔を見合わせるたびに、いつも嫌味のひとつやふたつ言ってくる。朝だって、喧嘩別れをして家を抜けてきたくらいだ。


「そ、そんな状態なのに申し訳ありません。ですが魔王を倒すまでは元の世界に還すこともできなくて」

「クソが! なら、この異世界ってやつのトイレはみんなこんななのか!?」

「いえ。庶民が使っているのは違うものらしいです」

「さっさとそっちにつれていけ! 一分一秒の勝負なんだ!」


 すぐに執事とメイドに連れていかれる。


  はあー、異世界転移で魔王退治なんて大事に巻きこまれたのは気が重いが、まずはこの腹痛を回避できることに安心する。


「なんだこのトイレ! ただのバケツじゃねえか!」


 糞尿がこびりついた薄汚い部屋に、木のバケツが中央に置かれていた。


「ひぃいいい! 申し訳ありません! 今すぐ勇者様が満足できるものを用意いたしますので!」

「どれくらいかかる!? 」

「一週間もあれば一から作れます」

「遅えよ馬鹿! もういい! 鎧女、行くぞ!」

「行くってどこへ?」

「てめえら念願の魔王退治だ!」


  おれはもらった剣をかついで疾走し、異世界のトイレの出口をくぐった。




「み、見事なり。勇者 の力」

「勝ちましたー! 勇者すごいー!」


 半日後、おれは消えていく魔王を前にしていた。

 せいぜい旅の途中にでもそこそこのトイレがあればと思ったのだが、四天王が待ち構える最短距離を通ることにしたらこの時間で倒せてしまった。

 

 火事場の馬鹿力というか頭のリミッターが切れて自分でも想像できない動きをおれはしていた。


 鎧女は、唇を照らしておれへ潤んだ瞳を向ける。


「あの勇者様、私と結婚……」

「トイレに行かせろ!」

「では、元の世界へ再転移を」

「あーん勇者様ー」


  鎧女がこちらを呼び止めるが、おれはこの世界から消えていく。

 

 無事にトイレに着けるとなると惜しいことをしたと後悔するが、それでもまあおれにとって優先すべきはウンコだった。動き回ったうえに時間が経ったことでもう限界寸前になっている。そういえば半日も経ったってことは、おれは深夜まで家に帰ってないのか。帰ったらまずメールのひとつで送っておくことにするか。


 最初に転移した時と同じ感覚があったので、閉じていた瞼を開くことにした。


「■■■■■ (救世主様のお出ましだー!)」

「■■■(宴で出迎えろー!)」


 なぜかタコみたいな頭のやつらに囲まれていた。というかこれどっかで見たことあるな……


「■■■■■■(救世主よ。どうか暗黒の帝王が支配している現在の宇宙を導いてください)」


そうだ思い出した火星人だ。怪奇現象の本で見た。


「って、はぁあああ!?」

「■■■! ■■■!(救世主様バンザイ! 救世主様バンザイ!)」

 

  驚いているおれを胴上げする火星人たち。

 

 どうやらおれは元の現代世界には戻らずに別の異世界へ転移されてしまったようだ。


「待って。それやられると腹に負担が。そうだトイレ連れてけ」


 建物や宇宙戦艦を見るかぎり、文明が中世レベルだったさっきの異世界と違ってこっちはむしろ現代より進んでいる。

 ならば清潔さに関しては問題ないはずだった。


 火星人はおれを担いでトイレへ案内してくれた。


「■■(こちらが最新の科学技術を詰めこんで制作された最新鋭WCです)」

「なんじゃこりゃあああ!?」

無重力みたいに浮いているうえ、なにやら三次元的な動作を繰り返している。

「■■■■(ここを押すと、疑似ブラックホールが生成されて排泄物を消滅させます)」

「そんな危険なの怖くて使えるか! もういい分かった! おまえたちの望みを教えやがれ! 」


  宇宙世紀10952年。

 巨大宇宙戦艦によるワープ突撃によって宇宙全土を支配していた帝国が壊滅する。ワープによる突撃は、かなりシビアなコントロール性を要求され、これ以降の戦争でも使われたことはなかった。




 火星人たちの世界を救っても、おれが元の世界へ帰れることはなかった。転移するたびに、現代ではなく違う世界に呼び出された。


  原始世界にて、


「フンボゴ。フンボゴ」

「なんでこの世界にはそもそもトイレがねえんだよ!」

「フンボゴ? フンボゴ!」

「腹痛いのにマンモスの肉を勧めてくるな」


  アイドルが人類の頂点に君臨する世界にて、


「アイドルは、トイレなんか行かないぞ☆」

「ウンコしてぇえええええええええええええ(シャウト)」


  魔界にて、


「こちらがこの世界の便器です」

「ニュルニュル」

「なんだこの生き物!? やめろ。触手を突っ込んでこようとするな!」


  色々な異世界を渡り歩き、最終的に二十七の異世界をおれは救った。


 そして——


「よ、ようやく帰ってこられた」


 自宅の玄関前に、おれはいた。

 

 最後の世界では、たまには他人の力なんかに頼らずてめえ自分の世界くらいてめえ自分で救おうよって言ったら元々いる住民が奮起して、おれ自身は座っているだけでよかった。

 

 はいっても丸二日もかかって、結局はおれがやればよかったな……と後悔したが。

 実際、二日で世界救うってすごいんだろうけどもう限界が。


 結局まだウンコをしていないおれは、もう無我夢中で扉を開ける。

 

 中へ飛び込むと、やはりというかババアの顔があった。


「すまん。もう限界」

「そう。なにがあったか分からないけど大変ねえ」

「……」

「どうしたの? 急に足を止めて。早くトイレに行きたいんでしょ」

「……てめえ。だれだ?」


 見慣れたババアの顔。


 寸分の狂いもなく、見かけるたびに舌打ちしたくなるほどイラつくあの顔だ。


「だけど、ババアは理由も言わずに土足で家の中を踏んだおれをまず心配することはねえ。怒るか呆れるかだ」

「な、なに言ってるの? わたしはあなたの母よ」

「そしてなにより、おれがいつババアにトイレへ行きたいって言った?」

「……バレちゃしょうがないねぇ」


 歪んだ笑い。

 

 見たことないババアの表情を晒すと、頭の天辺から皮膚を突き破るようにして巨大なハエが現れた。


「名前までは明かせないけど、あっしはいわゆる悪の秘密組織の幹部でねぇ。ここらへんで問題を起こすためにテキトーなやつに変装したら、勘のいいおまえさんに出会っちまった。こうなるんなら、別の家にすればよかったねぇ。まあだからおまえさんにには悪いけど、一足先に死んでもらうよ」

「くっ」


 ガタイに見合わない高速の突進をハエは仕掛けてくる。

 

 異世界でもらった剣で応戦したが、刃が通らず壁に叩きつけられた。


「いいもの持ってるねぇ。正面からやると意外と厄介そうだから搦め手を使わせてもらうよ」


  ハエの複眼部分がまるで巣穴から垂れる蜂蜜のようにドロっと溶け出すと、ナメクジの大群のよう襲いかかってきた。


 おれはナノマシンによってパワードスーツを装着して耐えようとするが、


「溶けてやがる」


 マグマを泳いでも耐えられる金属が、ハエの体液に触れた途端にジュウウウって灼けていく。


  逃げようとするが、やつは羽ばたくとことで燐粉を風に運ばせてきた。

 即効で麻痺していくおれの肉体。


「ひひひ。よく分からない手品を持っていたけど所詮はただのガキ。ちょろいちょろい」

「……」

「おっと、なにをしようがあっしの超感覚は見逃しませんぜぇ。あんたの心でさえ、これで見抜いたんだから」


  呪いを巻き散らかす妖精からもらった小型の笛を、伸ばされた足によって叩き落とされた。


 もはや、打つ手なしになった。


「なあ小僧。その燐粉には命を害する毒もあるから、もうすぐ死ぬぜぇ。最後に言い残すことはないか? 教えてくれたら毒でひたすら苦しむよりは楽に殺してやるよ」

「じゃあ聞きたいことがある……本物のババアはどこにいる?」

「化けの皮に使った女なら殺しちまったよぉ」


 ババアの顔が思い浮かんだ。

 

 白毛が増えたのを気にして茶髪に染め、年々と大きくなっていくシワや染みを気にして濃くなっていく化粧。


 おれが大きくなっていくごとに、怒る回数が多くなっていく。

 心配で悲しそうな時間が多くなっていく。


 赤ん坊のおれを心底から幸せそうに抱きしめ、汚い臭いオムツを嫌な顔せず替えてくれた。


 思えば、おれは旅をしたいと思っていたが、どこに行ったとしても最後の行き先は家に帰ることを想像していた。


 なんで、早く離れたいと嫌悪していた家のトイレでしかおれがウンコをできないのか、今、分かった気がした。


「……そうか」

「心配なさんな。おまえさんもすぐに同じところへ送ってやりますぜ!」

 

  足でおれの心臓を貫こうとするハエ。おれは攻撃が当たる前に、動いた。


 あらゆる毒や呪いを排除する異世界の住人にもらったネックレスのおかげだ。

おれはハエへ持っているものを投げる。


「はっ。なにかと思えばこんな柔らかいものを——って臭っ! 超感覚の鼻がひん曲がる! これはまさか」

「死を前にして、おれは涙は漏らさなかったが代わりにこっちを漏らした」

「このクソ野郎がぁ!」


 こちらを強い声で罵るが、ハエは臭さに悶絶していた。


 剣を振りかぶり、残っていたスーツのジェットによって急加速する。


「あばよ便所バエ」


 ハエは真っ二つになると消えていった。

 

 おれは床に捨てられていた化けの皮を抱きしめる。


「ババア――母よ。あなたがいるところが、おれが帰りたい場所でした」


 今朝まで、いやあなたが昼食の弁当を作ってくれて夕方まで学校に通わせてくれたのでずっとお世話になりっぱなしでした。

 

 今日まで本当に、ありがとうございました。


 できれば喧嘩別れなどする前に伝えたかった感謝。だけどどれだけ後悔しようが、おれの居場所はもう戻ってくることはなかった。


『無事か? バアル。生命装置に異変があったのだが』


 ハエの死体から落ちた貝殻から声がしていた。


 おれはそいつを拾うと、声をかける。


「ハエ野郎は死んだよ。おれが殺した」

『だ、だれだ貴様? 我々に逆らって命があると思っているのか。下手をすれば、それ以上に大切なものが奪われるぞ』

「そういうのは、さっき失った——だからおまえら全員、殺してやるよ」

『!?』


 貝殻の先にいる誰かが、震撼したのは分かった。


「後悔だけはしないように、トイレだけは済ましとけ。それじゃあな」

おれは立ち上がると、玄関を開いて家を出た。




 三日後、おれは国のお偉いさんから誉められることになった。曰く、世界中の政府ですらこまねくしかできなかった組織をよく単独で解体してくれたと。

 

 謝礼になにか欲しいものはないかねと聞かれたので、おれはこう答えた。


「紙を……ください……」


 おれは表彰状をもらうと、そのままトイレへ駆け込んだ。

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