4-7

「私はこれよりヘンダーレに戻ります」

王が退出すると、ラオスキー侯爵は宰相とサルナルド将軍に駆け寄った。

「頼む。だがこちらからは兵を出せぬ」

「分かっております。このような時のための備えです。ただ、もしもの時はサワーウィン砦にもご助力を願いたく」

「無論のこと」


 サルナルド将軍は頷いた。

ラオスキー侯爵は空の玉座に視線をやると、短く辞去の礼を述べ、未だ横たわったままのヴァレリアン総史庁長官を飛び越え、謁見の間を出た。


「お待ちください、ラオスキー侯爵。ヘンダーレへ戻られるのですか」

「当たり前だ」

 追いかけてきたユビナウスに、廊下を走りかけたラオスキー侯爵は振り返った。

「セドはどうなされるのですか。期日までに戻られない場合は――」

「マルドミが攻めてきたのだぞ。 国売りなどしている場合か!国が落ちればセドなど何の意味もない戯言だ!」

「ですが、マルドミ軍を退却させたならば、このセドは生きております。その時、期日にここにいらっしゃらなければ棄権となります」


 ヘンダーレ領を守ることはマルドミからこの国を守ることだが、同時に守ればセドの参加権を失うかもしれない。どう考えても五日以内にマルドミ軍を退けて都に戻ってくるのは不可能だ。謁見の間から連れだって出てきたほかの参加者たちの姿に、ラオスキー侯爵はぎりりと奥歯を噛んだ。それでもラオスキー侯爵の中で王都に残るという選択肢はなかった。

「私は私の責務を全うするだけだ」

 ラオスキー侯爵はユビナウスを睨み、走り去った。


「なるほど、まずは一人、脱落ということですかな」

ニリュシードはラオスキー侯爵の背を見送り、満足げに肯いた。

「どういうことだい?」

タラシネ皇子はユビナウスを振り返った。

「セドにおいて条件を守らない人間はその時点で失格となります。今回の場合五日以内に王の出した条件を王の前に提示できなければ買主としての資格を失います」

「なるほど、今の状況で国境を預かるラオスキー侯爵が兵を手放すなどできるわけもない、ということか」

タラシネ皇子はしたり顔で頷いた。

「その場合セドはどうなるのだい?」

「セドにおいて条件を守らない人間はその時点で脱落します。本人の意思において棄権を申し出ればその場合は残った者が権利を得ます。もしもラオスキー侯爵が辞退されれば、残った三人でのセドとなります。五日後、もしくは条件が揃いましたら総史庁にご連絡ください。それでは私は前任者の処理がありますので失礼いたします」

 ユビナウスは答えると足早にヴァレリアン総史庁長官の遺体の残る謁見の間へ踵を返した。

ヴァレリアン総史庁長官の周りには人だかりができていた。だがその周りに大臣たちの姿はない。

「どけ」

戸板を持ってきたはいいものの、王の勘気を被って死んだ男に触れるのをためらう兵士たちに、ユビナウスは一人でヴァレリアン総史庁長官を戸板に乗せた。

「運ぶくらいはできるだろう」

 兵士たちは気まずそうに下を向きながら、ヴァレリアン総史庁長官の乗った戸板を持ち上げた。

「因果なものだな」

タラシネ皇子はその光景を見やり、ハルの背中を押した。

 ※

「どういうことですか。これから『そうめんういろう』を一万などと正気ですか」

「ダイジョブ」

 ブラッデンサ商会の執務室、自信満々に頷いたハルに、ジャルジュはこめかみに指を当てた。

「何が大丈夫なのですか。あなたのいう『そうめんういろう』は血判状だと思われて五十しか集まっていないのですよ。それもこの商会の者たちの署名ばかり。それでどうしてその条件で受けたのですか。相手のいうことを唯々諾々と受け入れるなど、それでもセドをする人間ですか。面談では条件の交渉こそが肝でしょうに」

 面談や相談というのは本来、売主と買主の交渉の場だ。売主の提示した条件を買主たちが少しでも自分に有利な条件にしようと交渉するものだ。だが今回のセドにおいては条件の交渉はなかった。一方的に条件を突きつけるというのは本来のセドのあり方ではない。

「いや、僕をそんな目で見られてもね。誰がいたとしても王相手に交渉なんてできなかったと思うよ」

タラシネ皇子は肩をすくめた。

「タラシネ様はお黙りください。ハル・ヨッカー」

 ジャルジュは憤懣やるかたないといった風に、ハルの名を呼んだ。

「ダイジョブ。一、十、一万。そうめんういろう、あともう少し。ダイジョブ」

ハルは胸を張った。

 ジャルジュは眉間の皺をさらに深くすると、今度は元凶と思われる人物の名を呼んだ。

「ワリュランス・ビュナウゼル、数の数え方くらいしっかり教えておいてください」

「そんなことを言われても」伴侶至上主義のサイタリ族は頬に手を当てながら、ハルと視線を合わせた。

「ハル、大変言いにくいのですけれど、一、十、百、千、万ですので、一万は今集まっている五十人があと二百いります」

「なんで?」

 ハルは小首を傾げた。分かっていないときのハルの癖だ。そうと知りつつ、くりりとしたハルの目にワリュランスはのけぞった。

「な、なんて可愛い目で見るのですか」

「だめ?」

「だめではありません。このワリュ――」

「ダメに決まっているでしょう。二人そろって馬鹿なのですか。愛では単位を変えられません。よいですかハル・ヨッカー。十と万の間には百と千があるのです」

ジャルジュは使い物にならない伴侶バカにぴしゃりと言うと、紙にゼロ四つと一を書いた。

「これが一万。今集まっているのは五十です」

 ジャルジュはゼロ一つと五を書くと、ペンで指した。

 むむむ、とハルは唸る。ジャルジュからペンを借り、ゼロを二つと一を一つ、百を書いた。

「一万」

 ハルは百を指さした。ジャルジュが絶句し、タラシネ皇子があらぬ方を見た。

「それは百ですよ、ハル」

 ワリュランスが遠慮がちにハルに耳打ちした。ハルは首を傾げ百を指さす。

「一万」

「百」

ワリュランスが首を振る。

「一万」

「百」

 そんなやり取りがワリュランスとハルの間で交わされること数度。ハルはおずおずと百を指さした。

「百?」

 ワリュランスが頷く。ハルは一万を指さす。

「一万?」

 これまたワリュランスが厳かに頷いた。


「えーっ」


 事実を理解したハルの絶叫が執務室に響き渡った。

「どうやら、ようやく事の大変さを理解したみたいだね」

 タラシネ皇子はのんびりと言った。ジャルジュは痛みすら感じ始めた米神をもんだ。

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