4-6

 玉座に座った王は、当たり前のようにミヨナを膝に乗せ、柔らかな腰に手を這わせた。


「そなたの番だ。タラシネ皇子」


 凍りついた謁見の間の空気など、長年マルドミ帝国の王宮を生き抜いてきたタラシネ皇子には慣れ親しんだものだ。タラシネ皇子は優雅に胸に手を当て、膝を軽く曲げた。


「私がその椅子に座ることがあれば、その在位期間中に他国の存在に怯えることはないとお約束します」

「それは、マルドミの属国ということか」


 血の匂いに平板な王の声が混じった。

 タラシネ皇子は驚いたように、少し目を見開いてみせた。


「いいえ。私にはニリュシード殿のように財もなければ、ラオスキー侯爵のようにこの国での経験もありません。皇子などという身分もこの国では役に立たぬもの。差し出すにふさわしいものは己が覚悟しかない、それだけにございます。ですが――」

 タラシネ皇子は宰相を、ニリュシードを、ラオスキー侯爵を見た。

「どのようなものであっても、国があってこそ、でしょう? 他国に蹂躙されればそんなものに意味はない。現に私がマルドミを出るころにはこの国を攻めるための編成が考えられておりましたから」


 その言葉に空気が変わる。皆が一斉にタラシネ皇子を見た。領土拡大路線をとるマルドミ帝国の所業を知らぬ者はいない。宰相や将軍は言うに及ばず、ニリュシードやラオスキー侯爵も声こそ上げなかったが厳しい顔を向けた。言葉が分からないハルだけが、きょろきょろと頭を動かし、右へ倣えと難しい顔を作り、タラシネ皇子を見上げた。


「……ほう」


 王は左手でミヨナの長い髪を掬い上げた。艶やかな髪に指を絡め、不穏とも淫靡ともとれる息をついた。ミヨナの髪に口づける。その唇がゆっくりと弧を描き、視線だけをタラシネ皇子に向けた。

 宰相とサルナルド将軍はすぐさま王から距離をとり、タラシネ皇子は腹の底に力を入れた。

 左手で女を愛しみながら、王の右手は剣の柄に触れていた。情事を思わせる視線とは対照的な、笑みとはいえないほど小さく上がった口角は、冷徹に次の標的に狙いをつけているように見えた。

 タラシネ皇子は王を見やり、腰の剣帯にそっと触れた。

 王はミヨナの髪を撫で下ろした。王の指先が、ミヨナの髪先にあった剣帯をかする。

 タラシネ皇子は誰にも分からぬほど小さく息をつき、大げさに手を広げた。


「驚くようなことではないでしょう。あなた方もご存じの通り、我が国の皇帝マグリフィオの領土拡大路線は有名な話ですから」

 宰相は静かにタラシネ皇子に体を向けた。

「あなたが今までにどれだけの国を攻め落としてきたか、我らが知らぬとでも思っているのですか」

 マグリフィオ帝の領土拡大路線を支えるのが皇太子と第五皇子のタラシネ皇子であることは有名な話だった。

「王、タラシネ皇子の拘束の許可を」


 サルナルド将軍も続いた。

 タラシネ皇子は宰相の真新しい首の包帯に目をやると、首を傾げた。


「どうしてでしょうか。私はこのセドに参加する対価として、本気であると信じてもらうため、対価が正当なものであると証明するためにお話したのです。このようなこと、洩らせば私とて命にかかわること。一国を担うお二人ならお分かりでしょう。それとも他国の皇子はセドには参加できないのですか?総史庁長官殿?」


 タラシネ皇子はたった今、自分の力で総史庁長官の座をもぎ取った男を見た。

 ユビナウスは一瞬、虚をつかれたように目を見張った。すぐに我に返り、短く答えた。

「……いえ」

「ユビナウス!」

 声を荒げた宰相に、ユビナウスは血の感触が張り付いた手を握りしめた。

「『セドは、何人も等しく参加の権利を有する』これは揺るぎのない原則です。国籍も身分も、セドの参加に対し問われることはありません。……たとえ、その者がどんな思惑を持っていたとしても……。総史庁長官となった私にそれを否定することはできません」

 ユビナウスは宰相をまっすぐ見返した。



 ピチチチチ。

 張り詰めた空気に不似合いな甲高い鳴き声がして、窓から一羽の小鳥が入ってきた。ミヨナの指先に止まった小鳥は、黄色い尾羽を上下に揺らして跳ねた。

 ミヨナは小鳥の背を人差し指でひと撫でし、王の耳元に口を寄せた。

 王はミヨナの髪に顔をうずめるように横を向く。ミヨナは小鳥を撫でた人差し指で、王の胸板をつっとなぞる。

 王は小さく口元を綻ばせ、宰相とユビナウス、そしてセドの参加者たちをおもむろに流し見た。


「つまらぬ、な」

 王はミヨナを膝に乗せたまま片手で器用に剣を抜き、くるり、くるり、手首の力だけで剣を回した。

「国の対価が紙切れ一枚の約束だと? 口約束、だと?我もずいぶん軽く見られたものだ。守られるかどうかも分からぬ約束など紙切れほどの価値もないわ」


 王は剣を横に振った。玉座の傍らの台に置かれていたニリュシードの目録が、ラオスキー侯爵の冊子が、ハルのそうめんういろうが床に散らばった。

 あ、と間抜けな声を出しそうめんういろうを拾おうとしたハルが手を止めた。

「ほら、どうした。国を買うのだろう?ほれ、ほかの奴らよりも我を楽しませたものにくれてやろう。もっと何かないのか、ほれ」


 王は剣先を一人ひとりに向け、小刻みに動かした。ラオスキー侯爵は真一文字に口を引き結び、視線を下げた。ニリュシードは柔和な笑顔そのままにゆっくりと頭を下げた。謁見の間にかしゃりかしゃり、王が剣を手慰みにする音だけが響く。


「さて、困ったな。総史庁長官、こういう場合どうするのだ?」

 ユビナウスはそれがすぐに自分のことだと分からなかった。慌てて口を開いた。

「示された対価より、買主がこれと思われるものを選ぶこととなります。気に入らぬ場合、交渉をし、対価をつり上げる場合もあれば、条件を出して達成できたものに譲る場合もあります」

「条件、な」

 王は顎に手を当てた。

「ラオスキー、そなた私兵がいたな。それもよこせ」

「は?」


 各領主が持つ私兵は領主を守るためであり、またその家と領地を守っていくためのものだ。大貴族であればあるほど、領土の広さに比例し抱える私兵の数も多い。それを取り上げるのは実質的なお家取り潰しと同義だ。


 「ニリュシードそなたは、そうだな都での商業権もよこせ」

「な!」


 ニリュシードの顔から笑みが消えた。

 ニリュシードの商売の拠点は王都にある。交通交易の重要地点である王都での商売ができなくなれば、トルレタリアン商会の商売は根本から見直さなければならない。大商人たるニリュシードからその資産の源である商売をする権利を返上させるのは彼の生命線を絶つのと同じことだった。


「お前たちは王になるのだろう?ならば、王になる以前のそなたたちの持ち物を我が貰ってもよいだろう? 譲位した後の我の暮らしもあるからな。位を退いてのち命を狙われてはたまらん。それに王都でのみの商業権の返上としたのだ。優しいだろう」


 王はからからと笑った。

 本気だ。ラオスキー侯爵は絶句し、ニリュシードは柔和な笑みの裏で奥歯を噛んだ。

 だがそれでも――自分が王になれば、いかようにでもできる。


「承りました」

 二人は粛々と頭を下げた。

「私は!」


 ハルがわくわくした目で、ワリュランスから「大事なことはここに書くのですよ」と持たされた書付を取り出した。

 王は言葉の通じぬ女を睥睨した。


「おまえは、そのそうめんういろうとやらを一万人分そろえろ」

 王は面倒くさそうに手を振った。ハルは一万、とペンを走らせる。そんなハルを横目に、タラシネ皇子は王を見つめた。

「私はいかがしましょう。まさか皇子の座を交換するわけにもまいりませんが」

「そうだな」

 王は視線を窓の外に向ける。


「申し上げます!ヘンダーレ領より、急報、マルドミ軍が接近。その数およそ千。旗印は黄色い獅子に剣、皇太子旗下の軍と思われます」

「なんだと!真か」

 ヘンダーレ領主であるラオスキー侯爵は険しい顔で飛び込んできた伝令兵を振り返った。全速力でやってきた伝令兵が頷き、甲冑から泥が落ちた。


「なるほど、タラシネ皇子。そなたの情報は真であったらしい」


 王は玉座の上、目を細める。

 サルナルド将軍が片手を上げた。広間に控えていた護衛の兵士が一斉にタラシネ皇子に槍を向けた。

「王、ご命令を。マルドミが攻めてきたのならば、セドなどしている場合ではありませぬ。ただちにタラシネ皇子を拘束すべきです」

 サルナルド将軍はタラシネ皇子に鋭い目を向け、王に裁可を促した。

「王、ご決断を」

 宰相も言いつのる。


「なるほど、な。攻めてきたのなら敵、か」

 王は獅子の彫られた肘掛を二つ、中指で打った。

 タラシネ皇子はそっと息を吐いた。気づかれぬよう少しずつ、右手をいつでも剣が抜けるように動かした。気づいた兵士が、さらに槍を突き出した。


「やめよ」

「王!」


 王の制止に宰相とサルナルド将軍が声を上げた。悲鳴のようなその声に、兵士たちの槍先が躊躇いに揺れる。

 王はタラシネ皇子を見つめ、薄く笑った。タラシネ皇子は動かしかけた手をもとの場所に戻した。

 王はひらひらと遊ばせていた剣を鞘に収めた。


「そうだな、ちょうどいい。タラシネ皇子。そなた、マルドミ軍を退却させよ」

「王! 何を仰るのです。マルドミの第五皇子といえば、智略謀略を尽くす侵略者です。すぐに拘束のご命令を」

「それではタラシネ皇子を敵に返すようなもので」

 宰相とサルナルド将軍が叫んだが王は彼らを見なかった。

「できる、だろう?」

 剣帯に触れた。

「はい」


 タラシネ皇子は慇懃に頭を下げた。

 もはや王の言葉は覆らない。悟った宰相は絶望的なまでに苦い顔で言った。

「ではタラシネ皇子、御身の潔白はその行動でもって証明していただきましょう。よろしいですな」

「では、期限は五日。最初に王に献上した者が王となります」

 総史庁長官となったユビナウスの言葉で、二度目の謁見は終わった。

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