3-8 ヘンダーレ領


 ヘンダーレ領内、木漏れ日の差す森にはらり、髪が落ちた。


「いきなり斬りつけるとは物騒だな」


 ひらりと身を翻しブロードは振り返った。問答無用で斬りかかってきた相手が、国境の警備兵だと気づくと、自分の手の中にある血に濡れた剣と、血の臭いの充満する森の惨状に肩をすくめてみせた。


「言っておくが、俺が来た時にはすでにこの状態だったぞ」


 隊商たちが休憩に使う森の一角に、ブロードが到着したとき、三台の荷馬車の周りには大勢の人が倒れていた。ざっと三十人、生きている人間はいなかった。急所を一突き、多くても三か所以上切られている者はいなかった。血の匂いが真昼の熱でむわんと纏わりつき、腱を切られた馬が悲痛に嘶いた。唯一生き残ったその馬も首元に深い刺し傷があった。


「悪いな」


 ブロードは馬首を撫でると、止めをさした。

 三台のうち、二台はトルレタリアン商会、一台は行方不明になっていたブロードたちのブラッデンサ商会のものだった。

 馬まで殺すような相手に積み荷を確認するのも馬鹿らしかったが、被害を正確に把握するのもブロードの仕事だ。賊がまだ潜んでいるかもしれない。ブロードは剣を構えたまま積み荷を確認するため荷台に乗ろうとした。

 国境の警備兵がやってきたのはちょうどその時だった。間が悪いにもほどがあった。


「身分証ならここにある」


 下手人の疑いを晴らすべく、ブロードはゆっくりと胸元からセドの身分証を取り出した。よく見えるように掲げ、地面に投げた。

 だが警備兵たちは拾わなかった。目を向けることもない。ブロードに剣を向けたまま、じりじりと距離を詰めた。拾うそぶりすら見せない警備兵たちにブロードの行動は速かった。片足で身分証を蹴り上げる。宙に浮いた身分証を鷲掴み懐に押し込んだ。


「殺人の嫌疑ってわけじゃなさそうだな。あんたら何者だ?」

 ブロードは物騒に目を光らせた。

 国境の警備兵の恰好をした十人ほどの男たち、いずれも剣の構えは我流に見えた。鍛えた者たちのそれとは違う。だが連携は取れている。じわりじわりと狭まる剣の型にブロードははっとした。


「お前ら、騎士か」

 それが引鉄だった。男たちが一斉にブロードに斬りかかった。

「ふ、ざけんな!」


 ブロードは剣を下から上へと振り上げた。初手を振り払い、男たちから距離を取ると指笛を吹いた。だが遅い朝食のために兎を追って行ったルシルから応えはない。男たちの攻め手は止まらない。ブロードは悪態をつく暇すらなく、ただひたすら剣を弾いた。国境の警備兵は国兵だ。警備兵のふりをした賊なのか、正規軍なのかは分からないが、正当防衛とはいえ、こんな疑われやすい状況で一人でも殺そうものなら、いや手傷一つでも負わせようものなら、どんな難癖をつけられるか分からない。この隊商を殺した犯人に仕立て上げられてもおかしくはなかった。


「まさか、それが狙いか。だけど、なんで……。いや、そもそもなんでこの場所に。……まさかお前たちがやったのか?」

 生ぬるい血の臭いに明らかな殺気が混じる。

「殺せ」


 一人、指示を出すために離れたところに立っていた男が言った。

 男が二人、ブロードに切りかかる。ブロードは剣を避けようと足を引く。何かに躓き体勢を崩す。とっさに地面に片手をつき、剣を避けた。そのまま一回転、体勢を崩しながらも、荷馬車を背に剣を構え直した。ざっと統制のとれた男たちが一斉にブロードの周りを取り囲んだ。ブロードは男たちに剣を向け牽制しながら、躓いたものをちらと見た。剣を握る手に力が入った。

 顔見知りの隊商、酒を酌み交わしたこともある男が、背中に一太刀浴びせられ、もうすぐ夫婦になるのだと紹介してくれた女に覆いかぶさり死んでいた。

 じりり、ブロードを囲む輪が狭まる。


「どこの家中の人間か知らないが、死んでやるわけにも、利用されてやるわけにもいかないんでね」


 ブロードは剣を握る力を意識的に緩めた。重なり合う二人の指輪を見つめ、押し殺していた殺気を開放した。


「来るならこい。まとめて相手になってやる」

 防戦一方だったブロードの覇気に男たちがたじろいだときだった。


「あっちです。あっちに怪しい人が」


 ヘンダーレ訛りの男の声と、ガチャガチャと鎧のこすれ合う音がした。木立の間にヘンダーレ領兵の姿があった。



「おーい、こっちだ助けてくれ」

 ブロードは声を張り上げた。こんなところで殺されてやるつもりはない。

「国境の警備兵がこの悪事、観念するんだな」

 にやりと笑ったブロードに、男たちは隊長格の男を振り返った。明らかに動揺していた。隊長格の男が静かに右手を上げた。次の瞬間、ブロードの一番近くにいた男が倒れた。背には柄のない短刀。

「お前味方を!」

 ブロードは荷馬車の陰に回りこんだ。その間にも一人、また一人、短刀を放った。男たちが倒れていく。最後の一人が、ブロードの足元で事切れた。

「くそったれ」


 ブロードは足元で死んだ男の首筋から手を放す。せめてあの男だけでも捕まえなければ。ブロードは飛び出す。

 ズシッ。だが踏み出した足の先に短刀が刺さり、ブロードはすぐさま荷馬車の陰に戻った。短刀が飛んできたのは隊長格の男がいるのとはまったく別の方向。牽制だ。木の陰に人影は見えない。気配もない。それでも、動けば確実に殺しに来る。ブロードを刺せたのに、そうしなかったのは今ブロードを殺すつもりはないということだ。ブロードは隊長格の男が死んだ男たちに刺さった短刀を抜いて回るのを見ているしかなかった。男は時折うめく様子を見せる相手には短刀を返し、止めを刺した。短刀を抜いたその跡は隊商たちにもあったものだった。


「お前がやったんだな」


 ブロードの問いに、すべての短刀を回収した男は、首から下げていた警笛をくわえた。

 ピー、ピピ、ピー。

【非常事態につき救援求む】


「急げ、救援笛だ」

 ヘンダーレ領兵の声が一気に近づいてくる。

「この野郎!」

 男は動けないでいるブロードを一瞥し、悠々と馬に乗った。


「逃がすか!」


 ブロードは馬車の陰から飛び出し、走った。視界の端が光る。

 ブロードは剣を一振り、短刀を振り払った。

 ガキン。短刀は荷馬車に弾かれ地面に落ちた。


「そこまでだ。おとなしく剣を捨てろ!」

 ブロードは驚いた顔で振り返った。正真正銘の領兵たちが剣を構えた。

 男の姿はすでにない。


「あー、一応念のため言っておくが、殺していないぞ。国境の警備兵に襲われたんだ」


 一足違いで現れたヘンダーレ領兵にブロードは先ほどと同じセリフを繰り返した。だが、手には血のついた剣を持っている。信じろというのは無理な話だった。


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