3-7 クッチャ亭

 クッチャ亭は四人掛けの机が五つと厨房に面したカウンター席のこじんまりとした店だ。昼は定食屋、夜は旨い酒と肴の食事処だ。気のいい店主とおかみさんのいる美味しい店と評判だ。

 看板の営業時間よりまだ少し早い。タラシネ皇子は年季の入った扉を開け、おやと眉を上げた。


「君もいたの?」

「私のハルと二人きりで食事をしようなどと浮気は許せません。私の目の届くところでなければ」


 客のいない店の真ん中に、華やかな前掛けをしたワリュランスが仁王立ちになっていた。店の奥の机に顎をのせて座っているハルは呆れた様子で眺めている。タラシネ皇子と目が合うと、ハルは力なく手を振った。店の奥では店主が鍋を振っている。


「そういうつもりはないよ」


 タラシネ皇子は笑顔で否定し、ワリュランスの横をすり抜け、ハルの向かいの席に腰かけた。カーチスは通路を挟んで反対側の席に座った。


「今日はお招きどうもありがとう。君の働いているところなのかい?」

「はい、私、看板息子」

 ハルは憮然とした顔で、ワリュランスとお揃いの前掛けを指先でつまんだ。

「娘です、娘。息子は男のことですよ、ハル」

「まちがい、娘」

 ワリュランスは耳打ちした。ハルはむっつりと肯く。厨房から笑い声が飛んだ。

「どっちが看板娘かわからないけどな。できたぞ、ハル取りに来てくれ」


 髭面の店主がカウンターに出来上がったばかりの大皿を置いた。

「お邪魔しております」

 律儀に頭を下げたタラシネ皇子に店主は面食らったような顔をし、軽く手を振った。

「おう、まだ混むまでは時間があるからな。ゆっくり食べて行ってくれ。ハル、こっちはワリュランスがいれば大丈夫だ。ワリュランス頼むからそろそろ手伝ってくれ」

「そんな、私はハルと一緒に」

「ワラビ、しごと、する。約束」

 ワリュランスはハルに抱き着いた。ハルはワリュランスを引きはがし、厨房に押し込む。その帰りに、慣れた手つきでカウンターの大皿を持ち上げた。酒棚からワインを取り出すと木杯を三つ片手に席に戻った。


「これがおいしいのかい?」


 タラシネ皇子は目の前に置かれた料理を覗き込んだ。味付きの揚げ豆、ガルウカ肉の煮込み。どちらもマルドミにはないものだった。

「サイコ」

 ハルは頷き、皿の中でも大きな方の肉の塊を二つ自分の皿によそった。大きな口で肉にかぶりつく。タラシネ皇子はカーチスと顔を見合わせた。

「食べない?」

 ハルはいぶかし気にタラシネ皇子を見た。

「いや、いただくよ」

 タラシネ皇子はカーチスに向かって小さく首を振り、カーチスと自分の分を皿にとった。カーチスが口をつけ、タラシネ皇子も匙をつけた。

 ガルウカ肉の煮込みは匙ですくっただけで赤身肉が崩れた。口の中に入れればほろりとほどける。野菜の味が染みこんだ濃いソースがよく絡み、酒に合った。ぱりっとした揚げ豆をひたすと、風味が変わった。二人とも勢いよく食べた。

 取り皿が空になりタラシネ皇子は匙を置いた。壁に並んだ品書きに目をやった。ガルウカ肉の煮込みも味付きの揚げ豆も人気料理だった。

 温暖な気候で育つガルウカはギミナジウスにしかいないし、寒暖差の激しいマルドミでは油は食料としてではなく燃料としても貴重だ。こんなふうに庶民の味として揚げ物がでてくることはまずない。

「豊かだな」

 タラシネ皇子は夢中で肉に食らいつくハルのつむじを見つめた。

「どうして、君はセドをするの?この国の人間ではないのだろう?」

 ハルは手を止めた。タラシネ皇子と大皿を見比べた。肉が最後の一つになっていた。

「私、友達、守ります」

「友達?」


 ハルは頷き、さりげなく最後の一つになった肉の塊に手を伸ばした。

 気づいたタラシネ皇子も手を伸ばしたが、ハルの方が早かった。ハルは我が物顔でたっぷりとソースをつけ、最後の一つを味わう。むぐむぐと咀嚼し飲み込むと、ハルはタラシネ皇子を見た。


「約束、一緒」

 タラシネ皇子は小首を傾げた。

「私もハルが大事です、約束、一緒です」

 厨房からカウンターに身を乗り出し、ワリュランスが言った。

 なるほど、ハルにとってもワリュランスが大切らしい、とタラシネ皇子は理解した。


「よいね、そこまで誰かを大切にできるのは、羨ましいよ」

「うらまやしー?」

 ハルは唸った。

「うらやましい」

「うらめしやー」

「どうしてそうなるのかな?」

 タラシネ皇子はまじまじとハルを見た。

「僕にはそんな愛情を向けてくれる人はいなかったからね」

 ハルは、はっとした顔になった。席を立ち、タラシネ皇子の横に立つと、背の低いハルと、椅子に座ったタラシネ皇子の目線は同じ高さだった。ハルはタラシネ皇子の頭に手を伸ばした。


「いいこ、タコワサ、いいこ?」


 それは頭を撫でるというより雑に頭の上で手をぽんぽんと跳ねさせ、軽く叩いているといった方が正しかった。それでも大真面目で繰り返すハルに、タラシネ皇子は苦笑すると、そっとハルの手を包んだ。


「タラシネ、だよ」

 青い瞳と、つぶらな黒い瞳が同じ高さで見つめ合う。それを見たワリュランスが私のハルが、と叫んだ。

「タダシネ」

 ハルは言った。

 タラシネ皇子は自分の頭を撫でていたハルの手を掴んだ。


「タラシネだから。それに君、手がべとべとなんだけど」

「悪いタダシネ」


 ハルぱっと手を放し、赤ワイン味のする自分の指を舐めた。


「もう、タコワサでいいよ」


 タラシネ皇子は赤く濡れた金髪を見つめため息をついた。


 一同が食事を終え外に出ると、空は徐々に暗くなり始め、ちらほらと酒場の明かりがつき始めていた。


「ハル・ヨッカー。明日も今日のように『そうめんういろう』をするつもりかい?」

「はい、私、頑張る、ます」

 ハルはクッチャ亭の看板を「開店中」にかけ替え頷いた。

「だが、今日のままなら、街の人は書いてはくれないだろう。もっとやり方を変えた方がいいのではないかい?名前さえ分かっていればこちらで名前を書いた方が早いだろう」

「ダメ。自分の気持ちで書く、が、大事。ムリヤリはだめ」

 誰もが思っていた当然の指摘に、ハルは首を振った。

「そんな悠長なことを言っていられる状況ではない気もするのだけれどね」

「ダメ、絶対」


 ハルは頑として本人が書くのだと言い張った。

 タラシネ皇子は口元に手を当て考え、言った。


「ハル・ヨッカー、僕は君のそうめんういろうに協力したい、いいかい?」

 ハルは何をいまさら、と不思議そうな顔をした。こくり、と頷き、店とは反対の方向へ歩き出した。

「どこへ行くのだい?店へ戻らないのかい?」

「さんぽー」


 ハルはあっという間に雑踏に吸い込まれていく。

 ハルの後ろ姿が見えなくなると、タラシネ皇子は腰の小刀を抜いた。

「タラシネ様、ジャルジュから会いたいと」

「来たか」


 汚れた前髪を切り捨てた。

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