3-3 タラシネ・マルドミ

 高級宿サンタロスの最上階はその広さ、造り、調度品とも一級品だ。タラシネ皇子とラブレヒト将軍が挟んで向かい合っている机も、何の飾り気もない一枚板に見えるが、その裏には貼り木細工が施されている。扉の取手は木製ではなく真鍮製、窓のガラスも向こうがはっきりと見える最新のもの、他にも一つ一つが見る者が見ればかけられた金と手間に慄くほどの造りである。

 タラシネ皇子は手ずから杯に茶を入れ、ラブレヒト将軍と自分の間に等間隔に置いた。ラブレヒト将軍が杯の片方を指さした。タラシネ皇子は指された杯を手に取り、ひと口飲み、机に置いた。今度はラブレヒト将軍が、タラシネ皇子が口をつけた杯を手に取った。タラシネ皇子が口をつけた部分に口を当て、ひと口茶を飲んだ。マルドミ帝国において毒が入っていないことを示し、害意がないことを示す作法だ。

 皇太子の派閥に属するラブレヒト将軍と、第二皇子であるシリルと同腹であるタラシネ皇子は元来敵対する関係性だ。カーチスは淡々と進む手順をタラシネ皇子の後ろに控え、見守った。


「それで、皇帝陛下はなんと?」

 ラブレヒト将軍が杯を置くと、タラシネ皇子は訊ねた。

「セドへの参加を認める。血を流さず手に入れられるのならそれにこしたことはない、と仰せだ」


 ラブレヒト将軍は皇帝の遣いとして、マルドミ帝国第二将軍として答えた。


「そう」

 タラシネ皇子は顎に手をあてた。

「ただ、皇太子殿下が援軍を送れと進言されてな」

「あの方が言いそうなことだ。あなたも大変だね。一国の将軍ともあろう人間が僕の見張りなんて」

「まあ、そういう方だ」

 ラブレヒト将軍は困ったものだと笑った。

「でもね、援軍の報せだけなら、伝令でも鳩でもよかったはず?わざわざ将軍自ら単身ここまでやってきたのは。直に私に会う必要があった。違うかい?」

「……」

「なるほど、味方のふりをして僕は殺されるのかな?」

 カーチスは素早く剣に手を伸ばす。

「カーチス」


 タラシネ皇子は即座に片手を上げ、カーチスを制した。

 それでもカーチスは剣から手を離さなかった。鋭い目でラブレヒト将軍を見た。

 ラブレヒト将軍はタラシネ皇子とカーチスを見比べ、毒見のすんでいない杯を手に取り、一気にあおった。敵対派閥である者の前でありえない行動だった。

「特にそのような命は受けておりませんが、手兵を持たないタラシネ皇子の手伝いをするように、とは申しつかっております」

 ラブレヒト将軍は口の端をぬぐった。

 小細工を弄することの苦手なラブレヒト将軍らしい物言いだった。机の上に置かれた空の杯に、タラシネ皇子はくすりと笑った。


「相変わらずだね、あなたは。それであの方は僕のためにどれだけの援軍を送ってくださったのかな」

「千です」

「千、指揮権はどうなるのかな?」

「私の指揮下にあります」

「……それはそれは、兄上らしい」

 タラシネ皇子は大げさに目を丸くしてみせた。懐から扇子を取り出し、熱気のこもった室内に風を送った。

 千程度の手勢で敵国を攻めるのだとしたら死にに行けと言っているのと同じだし、指揮権を与えない援軍など形ばイリシャのは明らかだった。何より、ラブレヒト将軍の力が生きるのは絶対的に力押しでの戦だ。千ばかりの手勢で遊撃軍の真似事をよしとする性格ではない。これほど援軍にならない援軍もなかった。


「で、兵はどこに?見たところ供も居ないようだったけれど」

「国境の外れに」

「外れ?どこだい?」

「ヘンダーレ領の外ナジキグ地方です。何か不都合が?」


 ラブレヒト将軍はタラシネ皇子の目を探るように見つめた。


「まあ、色々とね。ところで将軍。小さなころ、あなたから一本とったら何でもいうことをきいてくれるという約束をしたのを覚えているかい?あの約束を果たしてもらってもいいだろうか」

「随分とまた、突然ですな」

 ラブレヒト将軍は目を瞬いた。


 タラシネ皇子が幼いころから皇太子に虐げられてきたということを知らない宮廷の人間はいない。誰も止めなかった。止められなかった。それはまだ隊長だった若き日のラブレヒト将軍も同じだった。腕が立つだけで皇太子の指導係に抜擢されただけだったラブレヒトは皇太子を諫めることはできなかった。人目を盗んでタラシネ皇子に剣を教えたのは罪滅ぼしのようなものだった。強くなるのだ、という強い意志をもったタラシネ皇子は腕をあげた。


「是、と申し上げたいところですが、今はお互い立場もありますからな。できることならば、と申し上げましょう」

「ありがとう。じゃあ、あなたは誰の命令で今ここにいるの?」

「皇太子殿下の命にて。そのようなことタラシネ皇子はご存じでしょうに」

 何をいまさら、とラブレヒト将軍は笑った。

「ラブー?」


 それは少年だったタラシネ皇子に僕から上げられるものはこれくらいしかないと、つけられた愛称だった。ラブレヒト将軍は弾かれたように顔を上げた、微笑むタラシネ皇子に息をのんだ。皇太子に大切にしている物を取り上げられたとき、仲の良い近侍を傷つけられたとき、大人が誰も助けてくれないと知ったときと同じ、笑顔だった。

 ラブレヒト将軍は口を開きかけ、言葉を飲み込んだ。声にならなかった空気が二人の間に落ちる。


「父上か」


 タラシネ皇子は冷めてしまった茶に口をつけた。露店の客引きの声が静かな室内に響く。どちらともなく窓を見た。タラシネ皇子は席を立ち、窓辺に立った。

 ラブレヒト将軍は黙って若き日の皇帝を思わせる後ろ姿を見つめた。

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