2-6 そ・う・め・ん・う・い・ろ・う

「宰相というより、ゾニウス卿という話だったけれどね」

「ゾニウス卿ですか……」

「ゾウリムシ」


 ぽつりとハルが言った。

 皆の視線がハルに集まる。一瞬探りあう空気が漂い、保護者に責めるような視線が剥けられた。ワリュランスが、「違いますよ」と懐から紙を取り出し、図解し始めた。傍から見ていると、奇妙な絵と文字が並ぶ意味不明な図だが、ハルはふむふむと頷いた。

 ジャルジュは咳払いをし、こちらもいまいち理解していないブロードに説明する。


「ゾニウス卿、元老院の議長です。あなたがちび狸と言っていた人で、彼に逆らったら元老院で生きることは不可能と言われる人物です。彼の息子も今回外交官に任命されています。宰相を引き立てたのはゾニウス卿の父上だったはず」

「ああ、あれか」


 ブロードは年始の挨拶回りにあった老年の男を思い出した。身分と出生に重きをおく、いかにもな貴族だった。


「宰相は中級貴族の出身ですからね。身分にうるさい連中の手前ゾニウス卿を無下にはできないはずです」


 ギミナジウスは王制だが、内政に関しては元老院の発言権が強い。安定して国を統治するための仕組みだったが、長い年月を経て貴族たちの不正の温床になっていた。歴代の王たちはそれを阻むため、平民からの登用や元老院議員削減を進めてきた。今の宰相もそうして登用された者の一人だった。宰相が辣腕と言われるのは、貴族に不利益な法を成立させながらも絶妙の匙加減で反発を食らわないようにしていることもあった。宰相と貴族との橋渡しとなっているのが元老院議長のゾニウス卿だった。


「なるほど。だが、対価を判断するのは王だ。それなら、別にハルが協力しなくともよいはずだろ」

 裁定が王の腹一つなら、次回の謁見のときに理由をつけて、タラシネ皇子にすればよいだけの話だ。

 タラシネ皇子はくすりと笑った。


「国を出たといっても、僕はマルドミ帝国のタラシネ・マルドミだ。侵略と同義語の皇子に国を預けるなんてこと、まともな為政者ならしないよ。それに僕にそのつもりもない。だからこそ、君たちの協力が必要なのだよ。このセドの参加者で、ハル・ヨッカー。彼女だけがなんの思惑もなく純粋にセドに参加したのだから」


 何の思惑もなく参加した、その一点においてハル・ヨッカーは価値があるのだ、とタラシネ皇子は力説した。


「そのあとはどうなる?一介の民、いや外国人の女が国王となることだって、彼らが認めるわけはない。邪魔者を粛正するついでの捨て駒にするつもりなら――」

 愚王でないのだと仮定しても今までの王の横暴は事実だ。気まぐれで人を殺すことのできる人間なのだ。

「捨て駒になどしない。させないよ」


 タラシネ皇子は真正面からブロードに見た。二人はじっと見つめ合った。互いの目の奥のわずかな揺らぎを探した。先に視線をそらしたのはブロードだった。


「分かった。後見人として俺が確認できるのはそこまでだ。あとはハル・ヨッカーの意志だ。ハル、どうする?」


 あくまでもこのセドはハル・ヨッカーのものだ。いくら外国人の女で言葉が拙いといえ、リドゥナをとったのはハルだ。後見人にできるのは不利益がないように話を聞き助言をし、何かあったときにその責任を分け合うこと。決定権はハルにある。いざとなれば、担いで逃げるか。ブロードは王城の逃亡経路を思い描きながらハルを見た。

 ハルはワリュランスの図解から顔を上げた。


「クニ、友達売るはだめです。人売るはだめです」


 ハルはきっぱりと言った。謁見の間で王に意見したときと同じ目だった。

 窓から落とされそうになっても、その意見は変わらないらしい。頼もしいな、とブロードがにやりとすれば、タラシネ皇子はハルに初めて接する人間特有の戸惑いを滲ませた。ハルに視線を合わせるとゆっくりと言葉を紡いだ。


「君はこの国を売らせたくないということなのだね、私もだ。私と王に協力してほしい」

「タコワサ、仲間なりたいですか?」

「そうだね、このセドを一緒にやってくれるかい?」

 ハルはじっとタラシネ皇子を見つめた、頷いた。語尾がよくわからなくても、並んだ単語で物事を推測し、頷くのはハルの癖だ。

「ハル!」

 ワリュランスが悲鳴を上げた。ハルはまとわりつくワリュランスを雑にあしらいながら、斜めがけのカバンから一枚の紙を取り出した。

「これ、する大丈夫、なら、タコワサ仲間一緒なる、ます」

「これは……」

 幼い子供が書いたような線がいたるところに跳びまくり、字というよりもはや絵であった。

「読めないですね」

 ジャルジュは冷静に現実を告げた。


「これは、なんて書いてあるのかな」

 タラシネ皇子は控えめに訊ねた。

「そうめんういろうです」

 ハルは腰に手をあて胸を張った。

「なんだそれは」

 ブロードの率直な感想と、周囲の怪訝な表情にハルはため息をついた。物わかりの悪い大人たちのためにもう一度言った。


「そ・う・め・ん・う・い・ろ・う!」


 はっきり、大きな声で言いましょう。だが、世の中それで全ては乗り切れない。越えられない壁に三人は頭を抱えた。しばらく部屋は沈黙に包まれた。




「で、なんなんだこれは」


 ブロードは頭を一つ振り、その紙を手にとった。前衛芸術もかくやといわんばかりの、すさまじい《文面》を見直した。

「大丈夫、皆も慣れれば読めるようになります。この曲がり具合もとても滑らかで素敵ですよ」


 ワリュランスはブロードから問題の『そうめんういろう』を奪い返すと、愛しげに撫でた。

「読めるのか?」

 ブロードの問いにワリュランスは答えない。

「読めませんね。一文字も」

 ジャルジュは伴侶至上主義のサイタリ族を冷たい目で見ると、切って捨てた。

「どうしよう、そうめんういろうできません?」


 ハルは青い顔でジャルジュを仰ぎ見た。

「私は読めますよ、ハルの伴侶ですもの」

「ない」

 ハルはじっとワリュランスを見て、首を振った。自分に甘いだけの同居人より、ジャルジュの方が、実務的に有能だということはハルにも分かっているらしかった。幼気な瞳に見つめられたジャルジュはため息をつき、文箱からペンと紙をを取り出した。


「それで、何と書きたかったのですか?」

「ジジイ、書いてくれます?」

 ハルの顔が輝いた。

「ジャルジュです」

 ジャルジュはぴしゃりと言った。ブロードのように許容できない呼び名を許すつもりはなかった。

「ジャ、ジイ?」


 ハルは恐る恐る口にした。そのせいで大半の人に嫌われる粘性動物の名前になった。ジャルジュの頬が引きつった。保護欲をくすぐりながら、微妙に神経に触る。子供よりも質が悪い。何か間違えたと悟ったハルが、ジャルジュの袖にすがった。


「ごめんなー、ジジイ」

 ジャルジュは手に持ったペンを強く握りしめた。樫の木でできたペンからインクがぼとり、紙に落ち、染みた。

「で、なんと書くのです?そこのサイタリ族でも売りますか?」

「みんな、ごはん用意します」

 多少の意趣返しを滲ませれば、ハルは大まじめに違います、と首を振った。ジャルジュは思わず顔を上げた。

「みんなとは、この街の人間ということですか?」

「このクニのみんな」


 ハルは恥ずかしそうにジャルジュを見ながら、でもはっきりと口にした。ジャルジュはまじまじとハルを見た。確かに貧民街では孤児も多く、貧富の格差は如実に表れていた。王となるなら貧民街の対策は急務に思えた。


《皆が協力して飢えることのないようにする》


 ジャルジュはペンを走らせ、次を促す。

「みんなでお世話します。一人でお世話は大変、みんなで大変を分けっこします。えらいもえらくないも一緒」


《互いに助け合い、身分の別なく、負担を分け合うものとする》


「さいごまで面倒みます」

「……さいごとはどういう意味ですか?」

 ジャルジュは恐る恐るきいた。自分の舌の奥が震えるのを感じていた。

「死ぬまで」

 ハルは当たり前だ、と口にした。

 ジャルジュは考えた。そしてペンを走らせた。


《もしも、誰も助けられないものは国がその面倒をみるものとする》


「教えます」

「何をですか」

「楽しい、嬉しい、悲しい、痛い、おいしい、ダメ、いい、いろいろ。ちびもでかも皆一緒」

 ジャルジュは額をおさえ、後見であるブロードを見た。ブロードは口の端を上げ、肩をすくめた。ワリュランスは眩しそうにハルを見つめるだけで頼りになりそうもなかった。


《学びを求める者には、国がそれを保証する》

「これで、どうですか」

 ジャルジュはハルに紙を差し出した。


 そうめんういろう

 一、皆が協力して飢えることのない国とする

 一、互いに助け合い、身分の別なく負担を分け合うものとする

 一、もしも、誰も助ける者がいない場合は国がその面倒をみるものとする

 一、学びを求める者には、国がこれを保証する


「すごい、ありがとう、サイコです」

 分かっているのかいないのか。ハルはぱちぱちと手を叩き、ジャルジュに頭を下げた。

 ブロードは、じっとジャルジュの書いた「そうめんういろう」を見た。ジャルジュも、タラシネ皇子も、黙って「そうめんういろう」を見つめた。いつもならハルを賛美するワリュランスも無言だった。


 皆が見つめる中、ハルは「そうめんういろう」の文末に自分の名前を書いた。祖国の文字らしい角ばった文字と、ミミズののたうち回るへたくそなハル・ヨッカーという文字が並んだ。


「タコワサ、書く、仲間なる、ます」


 ハルはタラシネ皇子に笑顔でペンを差し出した。

 この女はこれに名前を書かせることの意味を分かっているのか。

 タラシネ皇子は内心冷たいものが走るのを感じながら、差し出されたペンを見つめた。


「あなたの国ではこれが当たり前なのですか?」


 ジャルジュやブロードとの会話より、このたった一枚の紙きれとハル・ヨッカーの笑顔の方が、得体が知れなかった。王が殺そうとしたのも理解できる気がした。

 ハルは小首を傾げた。


「みんなに説明します。クニ売るの反対の人、名前書きます、オネゲーシマ。たくさん集めます。オーサンに見せます。みんなの気持ち」

「つまり、ハルと同じ意見の人に名前を書いてもらうということですか?」

「それになんの意味があるんだ」

「へーわてき解決……です」

 ワリュランスとブロードの質問にハルは大きく頷いた。

「平和?」

「これのどこが平和なんだ?」


 ワリュランスは首を傾げ、ブロードは胡乱気にハルを見た。

 どう考えても、王への反逆者の一覧表作り以外の何物でもなかった。死刑執行一覧表といってもいい。

 タラシネ皇子が躊躇ったのもそこだった。これらの条項がもし実現すれば、民の暮らしは楽になるだろう。そして翻ってそれは現状の政治を批判することに繋がった。元老院の議員を敵にするだけではない、その決断をする宰相や王をまとめて敵にする行為だ。自殺志願者名簿の作成と何が違うのかさっぱりわけがわからなかった。

 国をセドにかけるより、危ない行為だった。

 分かっているのか、いないのか。ハルはタラシネ皇子にペンを差し出したままにっこりと笑った。

 タラシネ皇子はハルと見つめ合った。協力するというのがどこまでなのか試されている。どんな言葉で疑われるよりも、覚悟を示せ、そういわれている気がした。タラシネ皇子はペンを受け取った。

 

「ここでいいかい?」

 タラシネ皇子はハルのいびつな名前の横に、名前を書いた。


 それもいい。ブロードはタラシネ皇子とハルのやりとりを黙って見守っていた。もし、タラシネ皇子がハルを騙そうとしているのなら、決して名前を書くことはない。それほどに危険な行為だった。だがタラシネ皇子は名前を書いた。

 腹を据えなければならないな。ブロードは乾いてしまった唇を湿らせた。

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