第5話



「大統領。A国の司令部に我々のミサイルが着弾したとの報告がありました」


「うむ。ご苦労。これで無益な侵略戦争も終わったな」


 大統領専用オフィスの窓際に立っていた男は、豪華な装飾の椅子に戻り、ゆっくりと腰を下ろした。机の上に置いてあった高級な酒瓶のうちのひとつを手に持ち、ショットグラスに酒を注いだ。


 R国の国家元首である彼は、A国に正式に宣戦布告をされてからずっと、このオフィスに缶詰になっていた。立場からして仕方のない事なのだが、だいぶ疲労も溜まっていたし運動不足もあって体が重かった。


 大統領は先ほど報告をした首席補佐官がまだ部屋にいるのも気にせず、ほっとした表情をあらわにした。ようやく開放された。家族の待つ我が家に帰れるのだ。その想いを一杯の酒と共に喉に流し込んだ。


「お疲れでしょう。しかし今回も見事な手腕でございました」


「ハウエル、知っているだろう。私は今回も・・・何もしていないよ」彼はまだ熱さの残る胸を押さえて言った。「ただミサイルの発射指示を行った。それだけだ」


「事前の見事な陽動作戦はあなたが立案したものです」


「それも違う。大統領が私でなくても、偉大なる勝利は我が国にもたらされただろう。私は祖先の教えに従ったまでだ」彼は神のしもべらしく敬虔な言葉で称賛を辞退した。


「ご謙遜を……」補佐官は手柄をひけらかさない大統領の態度に感動しているようだった。


 しかしR国の大統領は謙遜などしているつもりはなかった。彼は本当に祖先の教えに従っただけなのだ。


 補佐官が部屋を退いたのを確認すると、彼は鍵付きの袖机から一冊の書を取り出した。それは建国の祖といわれる初代大統領から脈々と引き継がれてきた古い本で、そこに大統領の職務が書かれていた。


 彼はそのうちの栞が挟まったページを開いた。そこには二つの文章で以下のように記されていた。


――――――


 亡国の憂き目にあった場合は、以下の戦略を実行にうつすこと。


 『一、我が国の兵器すべてに暗号名を付けるべし。それは長くて複雑なものであるほど良い』


 『一、その暗号を一冊の暗号書コードブックにまとめ、敵国に情報として流すべし』


――――――


 歴代の大統領たちは誰しも、このような奇策を本当に信じて良いものか大いに迷ったはずだ。しかし結果として選択は正しいと思うようになる。


 なぜなら国に攻め入ろうとしたならず者どもが、どいつも同じ運命を辿るからだ。我々が手を下す前に、どの軍隊も自然と指揮系統が弱体化してゆく。そして最後は我が国の一撃に簡単に沈むのだった。


 この教えが忠実に守られているおかげで、R国大統領の国防に関する仕事は、暗号が充分にややこしいかを時々チェックする事と、最後のミサイル発射の決断をする事だけになった。


 大統領は満足げな顔で本を閉じ、飲み干したグラスを机に置いた。


 不意にかすかな物音に気づいた。彼が顔を向けると、向かいの椅子の上に小さな緑色の虫が止まっているのを見つけた。羽が退化しているせいで姿は醜く、触覚が長いバッタのような見た目だった。


 大統領は立ち上がって本棚の前に行き、幅のある図鑑を取り出した。慣れた手付きで昆虫の写真が載った紙をめくりながら、ついにそのページを見つけた。


「あった、こいつだ」ペンと紙を手に取りその文字をメモに取る。


 彼は大統領専用電話の受話器を手に取り、軍の最高幹部に繋がる長い内線番号をそらでプッシュした。


「あーもしもし、大統領のパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカールだ。ああ、そうだ。この前見せてもらった試作のサイボーグ兵士だがね。いやいや、そっちじゃない。装甲が固く、バズーカでないと貫通できない方だ。あいつのコードネームを思いついた。今から伝える。一度しか言わないから、間違えるんじゃないぞ。名前は『カノウモビックリミトキハニドビックリササキリモドキ……』」




(コードネーム    おわり)

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