サフランのせい


 ~ 一月二十四日(金)

  1500メートル 4分22秒 ~

 サフランの花言葉 残された楽しみ



 残り少ない楽しみな時間。

 藍川あいかわ穂咲ほさきのクッキングパフォーマンス。


 三年生になってからは。

 ギャラリーの数がずいぶん減っていたのに。


 卒業を間近に控えると。

 日に日にその人数が増えて行き。


「……邪魔」


 とうとう、落ち着いてご飯を食べることができない程に。

 押し掛けてくるようになりました。


 そんな俺たちの席で。

 久しぶりにお昼をご一緒することになった六本木君と渡さん。


 居心地悪そうに体を揺すりながら。

 苦笑いで言いました。


「すげえ注目されてるな」

「食べづらそうね」

「え? 香澄ちゃん、それってもしかして……!」

「違うわよきっと。この間からずっと探してるみたいだけど、またなの?」

「ええ、食べづらい目玉焼きだそうですが、今回ばかりは無茶な気がするのです」

「……なに言ってるのよ秋山」

「いえいえ、俺にだってできることとできないことが……」

「違うわよ。無茶なのは今回ばかりじゃなくて、いつもじゃない」

「……そうでした」


 教室の前側スペースを埋め尽くすギャラリーに見守られながら。

 玉子パックを鞄から取り出すのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を耳の下にリーススタイルにして。

 その中に、サフランを一輪ずつ活けているのですが。


 こいつの花言葉を期待して押し掛けた皆さんに。

 ちょっと悪い気がしますね。


「じゃあ、今日はお願いしますなの」

「任せてください。最高に下手くそな目玉焼きを作ってご覧に入れます」


 食べづらい。

 イコール、美味しくない。


 そんな推理から思い付いたのは。

 俺が作った目玉焼きの事ではないかという推測。


 でも、この実験。

 いわれのない罵声を生むことになるのは明白で。


「邪魔しやがって!」

「俺たちは、藍川の料理を見に来てるんだ!」

「引っ込めロード君!」

「出しゃばるなロード君!」

「知ったこっちゃないのです」


 あと、ロード君と呼ばないで下さい。

 すっごく恥ずかしい。


「…………大人気だな、ロード君」

「やかましいのです。六本木君はご飯でもよそっててください」

「隼人にやらせると伸し餅みたいになっちゃうわよ」

「そんなに下手じゃねえだろ。軽ーくよそえばいいんだろ? こんな感じか?」

「だから。しゃもじでぺんぺん叩かないでよ」


 いつもの二人の光景を。

 幸せそうに見つめる穂咲さん。


 そんな君に、できれば丁寧に作ってあげたいところなのですが。


「では、できる限り失敗な品を作ってみせます」

「お願いしますなの」


 俺は、熱しきっていないフライパンに玉子を落として。

 何も手を加えず、縁が焦げ付いた作品を仕上げました。


「こんなものでどうでしょう」

「…………失敗なの」

「ええ。ならば成功じゃありませんか?」

「ううん? 成功だから、失敗なの」

「ややこしい。ということは、これでもないのですね?」


 こくりと頷いた穂咲は。

 見る間にしょんぼりと肩を落として。


 小さくため息をついたのでした。


「……もう、あと一週間なのよね」


 渡さんは、事の深刻さに気付いているようで。


 おっしゃる通り。

 タイムリミットは、来週の五日間を残すのみ。


「いや、さすがに最終日は料理など作らないでしょうし。あと四日ですね」

「無理だろう。前の……、しょっぱいやつだっけ? あれ探すにも何年もかかったわけだし」


 そう。

 しょっぱくて優しい味の目玉焼き。


 あれを見つけるまで。

 十年もかかったのです。


 今回も。

 慌てて探したところで見つかるまい。

 そう考えたのでしょうか。


 穂咲は、手の平を俺に向けて。

 くいっくいっとサインをよこすのです。


「おや? 今日の実験はお休みでは無かったのですか、教授?」

「せめて、最後に楽しい時間をみんなにお届けするの」


 俺は上着を脱いで。

 いつものように、Yシャツのボタンを外します。


「それがいいのです。六本木君にも、渡さんにも。俺がこさえた目玉焼きでは拷問になりますので」

「二人には、もっと楽しい時間を上げるの」

「ほう? どんな時間?」

「……みんなで鬼ごっことか?」

「君が提供するエンタテインメントの対象年齢な」


 そして教授は実験服をバサッと羽織り。

 実験台へ向かいながらギャラリーの皆さんへ手を振ると。


 盛大な声援と拍手が湧きあがりました。


 ……でも。


「あれ? ……ありゃりゃ」

「どうしました、教授?」

「ロード君! 残念だが、ガスが切れたようだ!」


 教授の言葉に、ギャラリーからは悲鳴が上がり。

 みなさん、膝を屈して頭を抱えてしまうのですが。


 ……いやはや。

 皆さんはあれですね。


 お客さんのプロなのです。


 しかし、ガス切れですか。

 ギャラリーの皆さんには悪いですけど。

 本日の実験は終了です。



 …………いえ。


 本日の。


 ではないかもしれませんね。



 だって、後四回の料理のために。

 わざわざガスボンベなんか買わないでしょうし。



 思えば、五才の頃から。

 毎日。

 毎昼。


 ずっと。

 ずっと繰り返されて来た実験が。




 今日。

 終わる。




 ――別れは思いのほか突然で。

 こんな日が来るなんてことは。

 考えてもいなくて。


 だからでしょうか。

 きっと、いろんな気持が胸の中で渦巻いているのでしょうけれど。


 今は。


 何も感じません。



 

「ガス欠じゃしょうがねえな。玉子かけご飯なんて久しぶりだな」


 気付けば転げ落ちていた時の歯車を。

 六本木君がはめてくれると。


 すっかり呼吸の仕方を忘れていた喉が。

 慌てて酸素を胸に送り始めます。


「私はよく食べるけど。穂咲、バター出して?」

「はいなの」

「ちょっ……、香澄!? バター???」

「……なによ。普通でしょ?」

「お前は、自分の知識の範囲が一般常識だと思う癖を何とかしろ」


 うん。

 いつもは渡さんの肩を持つ俺ですら。

 これには同意。


 渡さんが、ご飯にバターの塊を落とす仕草を呆然と見つめていたら。

 そんな彼女が、教授が手にした、空のガスボンベに微笑みかけたのです。


「……それにしても。頑張ったわね」

「十二月からこいつだったから、確かに頑張った方なの。高校に入ってからだと二十五代目だったの」


 そんな缶に書かれた、彼の名前は。

 『猛火院もうかいん 焼過うぇるだん君』。


「無駄にかっこいい名を、俺も気に入っていたのですけどね。そいつで最後になりましたか」

「そうだけど……、いや、待つの」


 そして教授は、いつものようにおかしな実験を初めて。

 みんなを笑顔にさせたのです。


「……ねえ。教授」

「ロード君! 白身が、うすらぼやっと焼けてきたようだ!」

「新人さん?」

「急きょ、『弱火種とおひだね 生焼れあちゃん』に頑張ってもらっているのだが……、上からあぶるか?」

「よしなさいって」


 着火用の、筒の長いライターでフライパンを熱してますけど。

 ちょっとだけ焼けてるの。

 生焼ちゃんの力じゃなくて。

 余熱ですって。


 さて、残った玉子は二つ。

 玉子かけご飯にするのに。

 変な実験に使われた玉子は嫌だ。


「完全に生の方がいいに決まっているのです」

「俺も取った!」


 俺と六本木君が。

 我先に自分の分をキープすると。


 渡さんが、肩をすくめて言うのです。


「別にいいわよ、私はそっちので。残りものには福があるのよ?」

「……香澄。婆さんみたいなこと言うなよ」

「誰だって言うでしょ!?」

「だから。お前は自分の物差しを一般論にするんじゃねえよ」


 いつもの夫婦喧嘩を聞きながら。

 俺はご飯に生卵を割り入れると。


 まったく無視していた実験台から。

 予想外な音が聞こえてきたのです。


 ごぼごぼごぼ!

 じゅわーーーーっ!


「あれ? ……え!? 教授!?」

「イライラしたから、二十六代目をデビューさせたの」


 一気にお湯を沸かして。

 生焼け玉子をポーチドエッグにして。


 さらにフライパンでベーコンとマフィンを焼いて……。


「バター出したからね……、ほい完成!」

「わあ! ありがとう穂咲!」


 あっという間にこさえたエッグベネディクトに。

 渡さんばかりか。

 ギャラリーも大興奮。


再演電力アンコールワット 程々ミディアムくんなの」

「さっきまでの悲しみは!」

「……何の話なの?」

 

 俺の純情な感傷をずたずたにして。

 ケロッとしている教授にイラついたところへ。


「ほら見なさい! 最後に残った物が一番いいのよ?」


 渡さんが追い打ちをかけてきました。


 ……納得いかない。

 君もそうですよね?


 俺は六本木君とアイコンタクト。

 せーので渡さんからエッグベネディクトを取り上げて。


 一目散に逃げました。


「ちょっと! なにするのよあんたたち!!!」


 そして俺たちは大笑いしながら。

 昼休み中、ずっと。

 渡さんに追い掛け回されたのでした。






 俺の知らぬところで。

 穂咲は一人。


「たのしい鬼ごっこをお届けできたの」


 程々くんで焼いた目玉焼きを。

 美味しそうに食べていたのでした。

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