シクラメンのせい


 ~ 一月十四日(火) 170センチ ~

  シクラメンの花言葉 気後れ



 食べづらい。

 ええ、これは。


 食べづらいですとも。


 二本の竿に張られたロープの中央から。

 さらに、ぷらんと垂れ下がった一本のロープ。


 その先端に付けられた洗濯ばさみに挟まれ揺れる。

 白いツヤツヤな物体。



 その名は。



 目玉焼き。



「毎日毎日。よく思い付きますね」

「さあ、行ってみよーなの」


 いくらなんでも高すぎ。

 助走しないと、届かないでしょう。


 そしてもう一つ。

 そいつを食べづらくする理由というものがありまして。


「せ、せ、先輩! 行ってみよーです!」

「……帰りてえ」


 一年生の体育の授業に混ざって。

 パン食い競争ならぬ。


「目玉焼き食い競争なの」

「競争していません」


 ……授業中の皆様が放つ。

 俺の背中を穿つ視線の矢。


 それらがむしろ好意的で。

 なおさら俺を情けない気持ちにさせる。

 


 ええ、これは。

 パン食い競争ならぬ。

 ただの、罰ゲームなのです。



「食べづらい」

「じゃあこれが……!」

「いいえ、言い間違えました。食べに行きづらいのです」

「じゃあ、これも?」

「ハズレですってば」


 どうしてそんなことも分からないの?

 そして、どうしてぶら下がっていることができるの?


 俺が良く知る目玉焼き。

 白身を洗濯ばさみで挟んで。

 ぶら下げることなどできようものか。


「さあ、こいつにがぶっと」

「やりませんよ? なんの罰ゲームなのです」

「罰じゃないの。食べづらさがみんなの笑顔に変換される至高のエンタテインメントなの」

「俺一人、笑顔じゃないのですが」


 自分でもよく分かる半目。

 自分でもよく分かる両肩の脱力。


 俺に、あとコンマ1Gでも加われば。

 きっと地面に肩が落っこちる事でしょう。


「でも、頑張って作ったの」

「…………そうでしょうね」


 片栗粉ですらここまで硬くは作れまい。

 一体、何を混ぜたらそこまでの硬度を獲得できるのか。


 穂咲さんの場合。

 目玉焼きやになるのではなく。

 発明家になれば巨万の富を生めそうです。



 しかしここまで頑固だと。

 永遠に二人の後輩を解放しなさそう。


 俺はやむなしとばかりにため息をついてから。

 嫌がる右足と逃げようとする左足の二人を交互に応援して。


 助走をつけてからの両足ジャンプ。


「くっ! 上手く齧り付けん!」

「食べづらい?」

「ええ、とってもね!」


 俺がぴょんぴょこ跳ね回るたび。

 一年生たちからは、キャーキャーと黄色い歓声があがり。


 俺は今。

 ご飯を上手に口に運ぶことができない子供の心境がよく分かりました。


「あれはきっと、わざとやっているのです」

「何がなの?」

「ええい、やっぱり助走が無いと届かん! ……ちょっと雛ちゃん。そんな目で見ないで欲しいのですが」

「知り合いと思われたくねえから話しかけんなおっさん」

「ひどい」

「あ、あ、秋山先輩、凄い人気ありますね! 羨ましいなあ……」

「ちょっ? コタロー!?」


 羨ましがられるのも迷惑なのですが。

 そんな言葉を小太郎君が口にするなり。

 雛ちゃんがアワアワし始めています。


 殺伐とした心に、一服の清涼剤。

 初々しくて可愛いなあ。


「せ、先輩、ファンクラブがあるんだよ?」

「知ってるけど! 羨ましいの!?」

「隠れなんとかって言うんだって!」

「質問に答えなさいよ!」

「何て言ったかな……」

「もう! 人の話を聞け!」

「あ、そうだ! 隠れミチチタンだ!」

「軽くて頑丈そうなのです。……ん! くあえることができまひた!」


 いやちょっとまて!


 やっとはじっこを咥えて。

 洗濯ばさみからからぱちんと取れて。


 穂咲が出してきたお皿に。

 目玉焼きを乗せて第一声。


「こええ! これ、なんの素材でできてるのさ!」

「企業秘密なの」


 洗濯ばさみで挟めて。

 口で噛んでも切れない。


 そんなもの……。


「食べづらかった?」

「いえ。これ、噛み切れないでしょうに」


 俺の指摘にしばらく惚けていた穂咲さん。

 ようやくああそうか、からの。


 てへっ。


 ぺろっ。


 醤油をかけて。


 召し上がれ。


「ですから、召し上がれないでしょうが」


 噛み切れない不思議を上回る。

 混ぜ物の恐怖。


 さすがに気後れしたものの。

 でも穂咲は、俺が食べるのを。

 ニコニコしながら待っているわけで。


 ……と、言うことは。

 これは食べることができるという事なのですね。


 このマッドサイエンティストと俺が。

 おじさんから教わった大切なこと。


 食べ物を粗末にすることができないからです。

 

「……では、いただきま……、んがっ!」


 おお。

 気合いと共に齧り付けば。

 確かに白身を噛み切ることができました。


 でも、この一口分。

 まるでホルモン。


 どれだけ噛んでも口の中に残る謎の物体と戦っている間に。

 すでに満たされ切った満腹中枢。


 このマッドサイエンティストと俺が。

 おじさんから教わった、もう一つ大切なこと。


「食べづらい?」

「…………味はいいです」


 穂咲の変な行動も。

 それが善意に基づくものだった場合。


 素直に従わねばならないのです。


「味はってことは、総合的には食べづらいの?」

「……まあ、そうですが」

「じゃあ、これが……っ!」


 いかん。

 穂咲の善意を傷つけずに。

 否定するにはどうすればいいのか。


 俺は必死に頭を回転させて。

 我ながら、気の利いた答えを導きだしました。


「いいえ。俺がソース派だからです」




 ウスターソースを追加されました。




 …………とんかつソース派なの知ってるでしょうに。

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