第七章:それは遠い炎の行方

7:それは遠い炎の行方(1)

 シャルの叫びは、ベアルの興味をひくものではなかったのか。彼はまた「さあ!」と、因果喰いを突きつけた。

 いやきっと、シャルの事情どころではないのだろう。表情から余裕が消え、ちらちらと魔神との距離を測る視線が忙しい。それにもう一方の腕が、メイスをいつ振り上げたものか緊張を帯びている。


「母さま……」


 抱擁を求める子のように、シャルは潤んだ目をミラに向けた。二十歳ほどに見える女性が、十歳ほどにしか見えない少女にだ。

 ミラは静かに、小さく。けれども強く、頷く。


「儂はここに居る。分かるの?」

「はい……!」


 不安しかなかった顔に、確信の炎が宿った。シャルは歯を食いしばると、因果喰いを渡せとベアルに言った。


「――さて、うぬ」


 声を下げて、少女が呼びかける。返事をする前に、腕を掴んで引き寄せられもした。


「な、なんだよ」


 武闘神官に囲まれ、その外からは魔神の群れが迫る。身を隠すような場所もなく、シャルとミラは何かしようとしている。

 そんな中で、クレフに出来ることなどなかった。壺に呑まれたショックから、ようやく立ち直りかけたところというせいもあるが。

 それでも何かないか。この窮地を脱する方法がないか、考え続けていた。

 自分と、ミラと。シャル。

 三人が無事に、元の日常へ帰る方法を。


「あの男の杖。あれは良うない」

「杖? あの、でっけえ紅玉のか」

「そうじゃ。あれを奪うか破壊するか、せねばならん」


 仮にも魔神王とまで呼ばれたミラが警戒する。それはよほどのことと思えば、少女はあっさり言った。


「それほど大した物ではない。ただ奴が儂と対面した折に、一人無事に帰ったのが、あの杖のおかげということじゃ」

「そりゃあ良くないが、どうしてもってほどじゃなくねえか?」


 どうやってだか、己だけを帰還させる力を持つメイス。ベアルがそれを使おうが使うまいが、こちらには関係がない。

 居たところで何をするにも妨害されるだけで、助けてくれなどしない筈だ。


「儂に面倒を押しつけて、ひとり楽をしようなどと。それは鳥の丸焼き千本でも、贖えぬ罪ぞ」


 見慣れぬ苛とした顔をわざと作って、ミラは言う。それはきっと、クレフを和ませる為だったのだ。すぐに「ふん」と、鼻を鳴らして笑う。


「まあ楽しみにしておれ。うぬが首尾よく果たしたあかつきには、面白いものを見せてやるからの」

「了解だ」


 快く、引き受けた。

 少なくとも表情は、うまくそのように作れた筈だ。

 父親のときも、孤児院のことも、クレフは何も出来なかった。いま考えても、どうすれば良かったのかは分からない。

 それでも死んでいった彼らを救う方法が、あったのではないか。胸に抱える復讐の裏には、ずっとその後悔が貼り付いている。


「因果喰いよ――叶える者に伝えなさい。私は望む。ここに居る総大司教、ベアルの願いが叶うことを」


 縛られていたロープが解かれ、シャルは願いを唱えはじめた。

 先にも見た黒い靄がまた溢れ、今度は止まるどころか、地面を広く覆っていく。

 ――しめた、これなら隠れられる。

 靄は光を遮り、しゃがんだシャルの腰までを、あっと言う間に見えなくした。地面に伏せ、顔を上げなければ、姿は見えない。

 問題は武闘神官の何人かが、こちらから目を離さないことだ。これでは伏せてすぐに、意図と位置がばれてしまう。


「ミラ。お前、何色が好きだ?」

「なんじゃ急に? 儂が好むのは、この色じゃが」


 ぎらっと、熱を増した赤い瞳が光る。これから何をする気か、楽しみで仕方がないという風に。


「よし分かった」


 何をするのか言わなかったが、ミラも問わなかった。


「ベアルの声は、生者すべての掟。いかなる遠きも、いかなる壁も突き通し、きっと届くものであれと!」


 再びベアルの願いが、シャルによって謳われた。だがすぐには何も起こらない。いっそ眩しく光でも発せられれば、隠れるのは用意だった。

 が、ないものをねだっても意味はない。何となく腰に手を当てるだけという仕草で、道具袋を探る。


「おい、何をしている!」


 ――さすが目敏いな。

 声を出した武闘神官が、手を伸ばして近付いてくる。

 だが遅い。

 手にした丸薬を「おっと」などと言いつつ落とし、踏みつけた。ぐっと力をこめて捻ると、激しく煙が噴き出す。


「これは⁉」


 毒々しい赤みを帯びた濃密な雲。大人が数人ほどもすっぽり隠れるそれに、二人の姿は消えた。

 もちろんその間にクレフは地に伏せ、素早く移動する。

 しかし小さな丸薬から生まれた雲は、長く持たない。すぐに薄れ、ミラだけが元のまま姿を見せた。


「ふはははははは!」


 意味もなく笑うミラに、武闘神官は僅か身構える。だがやはり何もないと知って、肩を掴んだ。


「何を笑ってる! 男はどこへ消えた!」

「さあ、儂も知らんな」


 腕力と素早さを兼ね備えた武闘神官の腕が、捻り上げられる。男の腰ほどまでしか背丈のない、一見にはか弱そうな少女に。


「笑ったのはの。どいつもこいつも、この場に居るのは嘘吐きばかりじゃ。それが面白うての」


 ぐぎ。と音がしたのは、武闘神官の肘。声もなく膝をつくその男を蹴飛ばして、ミラは笑う。

 今度はニヒルに。この世のものとは信じられぬ、美しき微笑みで。


「さあ儂が、全ての嘘を明らかにしてやろうぞ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る