5:深きところの大迷宮(5)

 突き出た氷に縫い付けられた、武闘神官たち。その氷の槍を叩き折って、シャルは戻った。命じられているのは、あくまでクレフの護衛だ。


「お、おい。ずい、随分と手間取ってるじゃねねえか。一旦、退くって手はねえのか」


 どのように強がったとして、説得力はない。舌は全く思うように回らず、脚はそういう玩具であるようにカタカタと勝手に動く。

 笑わば笑え。開き直った問いに、シャルはつれなく「いいえ」と答えた。


「苦戦するのはいつものことです。ですがこれまで、負けたことはありません」


 ――そりゃあ一度でも負けてたら、ベアルはここに居ねえだろうけどよ。


「く、苦戦するなら、もっとたくさんで来りゃあいいじゃねえか」

「猊下の起こす奇跡にも限界があります。この人数が最適なのです。たしかに今回は、もっと人数が居ればと思いますが」


 彼らの口ぶりではベアル以下、何度もここを訪れている。それによって得た最適という人数を、今回ばかりは足りないとシャルは言った。

 それはつまり。


「やべえ。ってことか」

「――そんなことは」

「いま、ちょっと考えたよな」

「そんなことはありません。いつもは『必ず』と言えるところが、『きっと』と評価を下げるだけです」


 そいつは頼もしい。こんな時にも皮肉だけは出るようだ。我ながら卑しい性格をしている。

 だがそれもすぐに忘れるようなセリフを、シャルは加えた。


「逃げて逃げ切れる相手ではありません。倒すか倒されるかです」


 下位魔神一体に、武闘神官ひとりずつが足止めに付く。それとは別に、遊撃を行うのが一人。

 その神官が、ようやく一つの勝利を収めた。それで手の空いた神官が加わり、遊撃が二人となる。

 なるほどこれを繰り返して、最後に上位魔神へ全員がかかるのだ。


「誰か一人。死んじまったらダメじゃねえか……」


 半身を黒焦げにしても。吹雪に腕を凍らせても。死んでさえいなければ、ベアルはそれを癒やしてしまう。

 それをも計算に入れて、うまく機能している。

 しかしその計算が狂ったらどうするのか。誰かが死ねば有利はなくなり、じりじりと追い詰められる。

 まさか蘇生まで可能なのか。それにしたところで、現に危険な状況ではないか。

 ――いや違う。

 これはベアルにとっても計算外なのだ。先ほど彼は言っていた。今回はおかしいと。

 それに気付いて、ようやく分かった。感じている危うさの正体が。


「なんでこいつら、死ぬのを怖れねえんだよ……」


 聖職者は、クレフのような貧乏人がどうなろうと気にしない。獣を殺して食うのと同じ、必要な消費だと考えているから。

 だがそれでは、武闘神官たちの行動が説明できない。

 仮に生き返りが可能だとしても、痛みや死が怖くないなどあり得るのか。


「それは」


 問うたつもりはなかった。

 しかし傍に居るシャルには、聞こえたのだろう。彼女は何か、つらそうに顔を歪め、食いしばった歯から絞り出すように話す。


「ずっとわたしが戦ってきた相手。世界から争いを消す為に。狂信という名の。自らでさえ人と思わない、酷い幻覚……」

「幻覚って、あんた――」


 アマルティアを絶対とした、敬虔な聖職者。

 そうだとばかり考えていたシャルの口から、思いもよらぬ言葉を聞かされた。

 うわ言のようでもあったが、発言した自覚はあるのか。横顔を凝視したが、彼女はこちらを向かない。


「フォウゥゥゥ!」


 それそのものが無数の針のごとく、刺々とげとげしい上位魔神の声。思わず耳を押さえ、何ごとかと視線を泳がせる。

 けれども何も起こらない。いやいつの間にか、下位魔神がまた数体消えている。不利を悟った魔神の、苦し紛れの叫びだろうか。

 その答えは、下位魔神がまた倒れるころに判明した。


「今度こそ、やべえんじゃねえのか」


 最初に魔神たちの並んでいた辺りに、これまでなかった赤い炎が灯った。そこは階段か何かに違いない。下からせり上がって来る。


「やばいというのが、状況の転換。こちら側の不利への移行という意味ならば、その通りです」


 シャルというこの女性は、話すごとに性格が違って思えた。多重人格とまでは言わない。だが対面せずに話せば、全てが別人と感じるかもしれない。

 そこへまた、新たな顔が出現した。もちろん彼女の顔面が、実際に剥げ落ちたのではなく。

 話し方。目に宿る意志。食いしばった口許。そんなものが、まさか別人なのかと思わせるほどに印象を違えるのだ。


「クレフさん。ベアルの指示には反しますが、致し方ありません。弓を」

「お、おお」


 命令というのも違う。どうも強気で、逆らいがたい。ただしそれが嫌だということもない。妙な気持ちで、弓を構える。

 いつ神聖語を発したのか、シャルは無言で右手を向けてくる。矢に奇跡を与えようということらしい。

 断る理由もなく、矢筒から一本を抜き取って筈をかけた。するとその手に、シャルが手を添える。


「この矢、どうしたのですか!」

「矢?」


 クレフが持つのは、安物ではないが特に優れてもいない普通の矢だ。個体差はあるが気にしても意味はない。だから今も、どれと意図して取りはしなかった。

 しかし言われて見ると、その矢は黒い。ミラから貰ったものだ。

 誤って失くしてはいかんと、別に留めていたのだが。なぜだかそこに番えられている。


「こいつは――」

「話している暇はありません。上位種が二体となっては、まずいのです」


 聞いたのはあんただ、とは言わない。早く射ろと急かされて、弓を構え直す。新たに現れた魔神は遠い。狙うなら、手前の上位魔神だ。

 しかしそこで、問題がある。

 指が震え、腕ががくがくと勝手に動く。狙いが定まらない。どの魔神にも、最低一人は武闘神官が対峙している。射ようとして視界から外すのは、不可能だ。


「分かっています。ですがもしも神官を一人死なせたとして、それでも他が助かるのです。その矢ならばきっと、中てるだけでもどうにかなります」


 分かる。戦争の理屈だ。千の兵士を死なせても、万の兵士を雇う利益があれば勝ちだ。

 強者とは、誰もその理屈で動く。


「オレは――そっちに行きたくねえ!」


 引き絞った弦から、指を離した。離れたのではなく、自分の意志で。

 狙いは結局、定まらなかった。およそここだろうと、言わばいいかげんに。

 言いわけをすれば、信じたのだ。その黒い矢を。あの無邪気な少女を。

 ミラのくれた黒い矢は、上位魔神を囲む武闘神官に向けて空を裂く。

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