4:魔神王と聖職者(5)

 護衛の男は、一人でクレフを案内した。着いたのはベアルの部屋と同じく三階の、最も端にある部屋。


「ええと、あなたは――」

「クレフだ」

「よろしいクレフ。あなたは司祭が戻るまで、ここに居ていただく」


 廊下の突き当たりにあって、階段は遠い。室内を見ても窓がない。ちょっとした牢獄だ。

 護衛の表情や口調も、ぞんざいでないながら押し付ける圧が強い。


「便所に行きたくなったら?」

「ずっと私が付いているわけにもいかない。近くに居る者を捕まえて、案内してもらうと良い」


 ――見張りは特になし、と。


「へえ。でもわりぃから、勝手に行くとするよ」

「ここは魔神の爪痕だ。客人にもしものことがあっては、私たちが困る。必ず声をかけてほしい」

「そいつはありがたいが、心苦しいね。でも分かったよ」


 ――全員が監視者だから問題はない、か。


「うむ、必ずだ」


 愛想良く、へらへら答えると、護衛は口許に笑みを浮かべた。満足が六割、嘲りが四割といったところだ。

 そのまま男は扉を閉め、錠をするでなく去っていった。

 外から見たところでは、この建物は三階建て。その最上階の窓もない部屋で、階段に向かっても誰かと出会うほうが先。

 扉の出入りさえ見ておけば、どこへも行けはしない。


「おとなしくシャルを待ってるしかねえ。ていうこったな」


 扉に監視用の格子があるでなく、彼らはそう判断したのだ。

 ――ド素人め!


「自分の思い付かないことを、下賤なオレがやる筈もねえ。そういうところが度し難えってんだよ」


 室内にあるのは、カップを二つ置くのがせいぜいの小さなテーブル。背もたれもない椅子が二脚。

 天井は高く、それを重ね合わせたところで届かない。

 しかしクレフは落ち着いて、ポケットからいくつかの楔を取り出した。小指ほどの小さな物だ。

 それを壁板の隙間にあてがい、拳で軽く叩き込む。それだけで、手がかり足がかりが出来上がった。


「天井板にも、仕掛けなんてありゃしねえ」


 革ベルトに仕込んだ、短いが頑丈なピック。これを梃子に使えば、屋根裏への通路が開く。

 当然にそこは真っ暗だが、いくらか目を閉じて待っていればすぐに慣れる。途中に下からの明かりも漏れていて、何の不自由もない。


「ハッ、太い梁だ」


 金持ちの家はどこも同じだ。細身のクレフが乗ったところで、軋み音ひとつ立てることはなかった。用心はするが、足を踏み外すほうが難しい。

 大きな建物であるがゆえに、屋根裏も高く広い。ゆうゆう立ち上がって、足音を抑えつつ走って移動した。


「……くどいな君も」


 総大司教の部屋。屋根裏に届く声は微かだ。

 だが。気配を消した兎の、草を踏む音。未だ羽ばたかぬ野鳥の、羽根が擦れる音。そんなものを聞き分けるクレフの耳に、届かぬことはない。


「なぜあの男だけを死なせまいとするのか。まずその理由から、聞かせてもらいたいな」

「理由……は明確に申せません。してはならないと、アマルティアに言われた気がするのです」


 ベアルは先ほどと変わりない口調で話していた。言葉を詰まらせながら、どうにか意志だけを通そうとするシャルに、手を焼いている風ではあったが。


「天啓は各々に降りるものではあるが。まさか、好いたからとか。そういう――」

「いえ。素よりわたしの身は、アマルティアに捧げております」


 どうやら話題は、クレフの命を失わせるか否からしい。

 それそのものに驚きはしなかった。貧乏な市民など、聖職者には資材と同じだ。木を切らねば家は建たず、獣を食わねば飢えてしまう。


「……本当かな? アマルティアは、偽りを咎めはしない。しかしそうして信頼を得ることも出来ないが」


 シャルの先の答えは、ベアルの問いに食い込んで返された。

 それが疑念を強めたのだろう。再度の問いの後、しばし沈黙が続く。


「偽りを申しました」

「やはり」

「いえ、そうではありません。アマルティアにのみ、身を捧げていることについて」


 そもそもが、その目的で連れてきた筈だ。しかし何故か、彼女はクレフの助命を進言しているらしい。

 けれども理由を言わないままでは、さすがに無理筋と観念した様子だった。


「聞かせてもらえるかな」

「わたしにはこれまで、一人だけ愛した男性が居ます。そしてその間に、子を一人もうけました」

「その男が彼、という話ではないのだね」


 若いシャルに、いつそんなロマンスがあったのか。好奇心などでなく、素直な疑問ではある。

 彼女はずっと戦い続けてきたと言った。少なくとも、魔神戦争からこちらは。

 ベアルとて、きっとその矛盾に気付いている。しかしやはり態度に変化はない。聖職者の頂点にあるのも、伊達ではないようだ。

 ――詐欺師に向いてるぜ。


「彼を見ていると、子を思い出すのです。私の手で育てられなかった子を」

「どこか似ているとか、そんな話かな」


 シャルの声はなかった。が、頷きでもしたのだろう。すぐにベアルは「ううん」と唸る。


「勇ましい君にも、意外な弱点があるものだ」

「申しわけありません」


 シャルの声も抑えた様子ではあるが、彼女らしい張りを保ったままだ。

 正直に、誠実に。信ずる道を説けば、叶わぬことなどない。そんな想いに溢れている。

 ――だけどな。世の中は、そういう作りをしてねえんだ。


「いや、ならば話は簡単だ」

「それでは」

「うん。彼は君の想い人でなければ、子でもない。つまりは勘違いだ」


 聞き届けられた。そう受け取った彼女の声に、張りが上乗せされた。

 だがベアルは、淡々と否定する。


「勘違い――」

「本当にそういう者であったなら、またいつでも言ってくれたまえ。それならば私も考えよう」

「では、クレフは」


 予定は覆らなかった。

 シャルの愕然とする様子が、見えなくとも伝わってくる。ミラのときとはまた違う、絶望感をも滲ませた声。


「クレフ。俗な名だ。念の為に言っておくが、妙な小細工はしないでもらいたい。大功ある君だから話も聞けるのだ。それを裏切れば、君の望みも潰えるのだからね」

「承知致しました……」


 力をなくし、テーブルにでも躓いたか。ガタガタと音をさせつつ、シャルは出ていく。その背中に「明日、早速向かうよ」とベアルの声が投げられた。

 やはり変わらず、冷たくも熱くもない言葉が。

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