2:はじまりと終わりの街(6)

 教会から大通りを北へ進んだ東側に、石積みの古い酒場がある。一度に三十人ほども座れる店内の、隅のテーブルにクレフは居た。シャルと待ち合わせた酒場ではない。そちらへは、風変わりな女司祭が来たらと伝言を頼んだのだ。

 お世辞にも清潔な店ではないが、賑わっている。日ごろは山へ出払う鉱夫や、肉体労働で日銭を稼ぐ者が集っていた。そういう者たち独特の体臭と、濃い味の肴の臭い。煙る香草や、強い酒の臭いが入り混じる。


「そうか、助かる」


 差し向かいの男に、クレフは小さな宝石を三つ渡した。トロフの大聖堂から盗んだ物だ。

 話がついたところで、息を上げた女司祭が店に飛び込んできた。入り口で立ち止まって中を二度見回す間に、息は通常に戻る。


「連れが来た」

「じゃあ俺はこれで」


 席を立ってすれ違いに出ていく男を、シャルは見送った。それでようやくクレフに気付いたらしく、じっと確かめるように目を凝らす。

 クレフは指の長さほどあった髪を、半分に切っていた。チュニックの柄にも、知己の染め粉職人に明るい差し色を入れてもらった。

 聖職者や聖騎士などといった連中が、クレフのような下々の顔をすぐには覚えられない。背格好と髪型と、服装で見分けているのだ。

 やれやれ、と。予想した反応に呆れつつ、感心もする。一応は顔を認識していたらしいと。


「クレフさん!」


 手招きすると、店の空気に怯みつつも入ってくる。先の男が座っていた椅子に、清潔な布に包まれた尻を乗せた。


「ミラさんが――」

「ああ、聞いたみたいだな」


 シャルが言うには、聖堂内で表の騒ぎはそれほどの話題になっていなかったらしい。たまにはあることだと、聞き流す程度の話なのだ。

 だがそれで捕まったのが、とても美しい女児だと聞いて、シャルはすぐに思い至った。用件を途中で切り上げ、クレフを探したのだと語った。


「教会は告げ口屋まで雇うようになったのか? よほど財布が寂しいらしいな」

「告げ口? そのような職は抱えていないと思いますが」


 あのとき、周囲は兵士に囲まれていた。ミラが聖騎士とやりとりを始めてしまったからとはいえ、クレフよりも先に逃走を図った者は居ない。

 だのに振り返る余裕ができたときには、既に二、三人が消えていた。

 クレフやミラを狙い打ちにする理由は思いつかない。ならばあの広場には、密告者が不定期に巡回していると考えられる。


「そうかい。まあそれはいいが、ミラをどうするかだ」

「もちろん助けなくては」


 論ずるまでもないと、前のめりに言うシャル。しかし「どうやって?」と聞くと、はたと口を閉ざした。

 相手は魔物や無頼漢でないのだ。言いがかりではあるが、罪状も存在する。力尽くでも、異論を唱えても、情に訴えても、取り返すのは無理だろう。


「……司教さまに、お願いしてみます」


 ここウルビエの聖堂に大司教は居ない。複数居る司教が、分担で責任者として機能している。その誰かに頼もうと言うのだろうが、自信なさげな表情だけでも成功しそうにない。


「お願い?」

「ええ。ミラさんは異郷の生まれで、ここへお連れしたのはわたしだと。知らず犯した罪であれば、許されるべきだと」


 シャル自身は、そうあるべきだと強く思っているようだ。強い語調であったが、最後に萎んでしまう。

 教会の強権を知ってはいるが、まだ夢を見ている。そんなところだろうか。


「あんたに現実ってものを見せてやるよ。来な」

「現実、ですか?」


 残っていた木の実とエールを頰張り、席を立つ。着いてきているか、振り返りもせずに店を出た。

 大通りに面した店の前を二軒通り過ぎ、現れた横道に折れる。そのすぐ先へ、一面に土の見える広場があった。聖堂の前とは比べるべくもないが、それでも詰めれば二千人は並べるだろう。

 その土地はぐるりと通りに囲まれて、境には腰高の塀が設けられている。中央には磔に使う柱があって、晒し者にする為の場所だ。


「ミラさん……」


 その柱にロープをかけ、繋がれているのはミラ。足は何とか地面に着いているが、両腕を上げたまま下ろせない。


「連れの名を言え。この場へこそこそと来ているなら、ここに呼べ!」


 刑吏けいりの兵士が、枝鞭えだむちを振るう。薄い巻布は既にあちこちが破れ、剥き出しの真っ白な太腿に赤い筋が残る。

 だがミラはまっすぐに前を見たまま、声を出さなければ痛みに顔を歪めることもない。

 それがまた腹に据えかねるのだろう。刑吏は鞭の先を水に浸けて、今度は頰を打った。小さな身体の少ない面積へ的確に、腕に覚えのある刑吏らしい。


「ひどい――」

「と思ってるのは、オレたちだけさ」


 囲んだ塀の外に、多少の見物人は居た。さらにその外へ、何人かずつで集まっている者たちも。彼らは鞭が打たれる度に、「もっとやれ!」「背教者め!」と囃したてた。

 打たれるのが幼い姿のミラであることに、その瞬間だけ目を背ける者も居る。だがすぐに目を開き、「何者も女神を冒涜してはいけない」などと仲間同士で語り合う。


「献金のやり方に疑問を唱えるくらい、冒涜などと言えないのに」

「あんたがそう思うのは、ミラを知ってるからだろう? あれが見ず知らずのガキだったら、詳しく何を言ったか気にしたか?」


 シャルの悲しむ気持ちを、クレフは否定した。咄嗟に反抗的な表情を向けた彼女も、すぐに下唇を嚙んで俯く。


「こうなったのはオレのミスだ。オレのやり方であいつを助ける。手伝えとは言わんが、せめて邪魔をするな」


 言い捨てた言葉に、シャルは首飾りを握りしめて黙り込んだ。

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