第3話 脱出

 王太子とサキが階段を下り終わるのを見計らって、アーロンが松明に火をつける。そして階段に踏み出し、隠し扉を閉める。アーロンは足元を照らしながら階段を下ってきた。


 彼が下り終わると、松明に照らされて辺りの状況がわかってきた。この通路の壁は土が剥き出しになっており、木材で最低限の補強がされているだけだ。


「さあ行きましょう」


 アーロンの先導で穴の中を進んでいく。単調で何もない通路は、同じところをぐるぐると回っているような錯覚に陥る。少し歩くと、一行は岩の壁にぶつかった。


「行き止まりか?」


 王太子の問いにアーロンは「いいえ」と答え、岩に足を当て体重をかけていく岩が動き、下り坂を転がっていく音があり、次に岩が止まる音がする。岩を転がして開いた穴からひんやりとした空気が流れ込んできた。その先は天然の洞窟になっていた。


 アーロンが先に穴をくぐり、短い坂を滑り下りる。王太子とサキはアーロンの補助で穴をくぐり滑り下りた。そこからは洞窟の中を進んでいく。


 やがて行く先の岩肌に月の光が当たっているのが見えてきて、出口が近づいてきたのが知れた。アーロンは松明の火を消して「ここでお待ちください」と言って一人出口に行って外の安全を確認する。アーロンがこちらにうなずいて安全を知らせる。三人は洞窟から外へ出る。


 洞窟の外は森になっていた。山の向こうに日が昇りはじめている。サキは深呼吸して外の空気を吸った。アーロンについていくと、森を抜け、道に出た。

 

 「これからどこへ向かうのですか?」


 「北のレナード様の領地へ向かう。サルアン様の腹心で、信頼できる方だ。しかし道のりは遠い。どこかで馬を手に入れなければな」 


***


 アーロンの後についてしばらく歩くと、段々とあたりは明るくなってきた。突然アーロンが立ち止まり、振り返って口元で人差し指を立てた。耳をすますと、かすかに馬の蹄の音が聞こえる。


 アーロンに「追手かもしれません。草陰に隠れて下さい」と促され、三人は道の脇の草陰に身を隠して息をひそめた。


 草陰から様子を見ていると、騎士の一団が近づいてきた。こちらに気付いている様子はない。道の脇を調べることはせず、まっすぐ道なりに進んでいるだけだ。このまま息を殺していればやりすごせる。そう思ったが、横でアーロンの舌打ちが聞こえた。


 犬だ。騎士たちは犬を連れている。


 一団が目前まできた。サキはこのまま行ってくれるように祈ったが、祈りは届かず、無情にも犬が一団を離れ、こちらに近づいてきた。犬は興奮し、サキらが潜む草陰に向かって盛んに吠え立てる。騎士たちは互いに顔を見合わせてうなずき、馬から降りて草陰を調べるために近づいてくる。アーロンは剣の柄に手をかける。


「私が連中の注意を引きます。殿下は娘を連れてお逃げください」


 アーロンは小声で王子にそう言い残すと、草陰から躍り出て騎士の一人を蹴り倒し、剣を抜いた。


 他の騎士たちは驚いて飛びき、視線はアーロンに集中した。その隙をついて、王太子はサキの手をひいて駆けだす。二人は森の中へまぎれる。騎士たちが気付いて追いかけようとするが、アーロンがすかさず立ちはだかり、追跡を阻止する。


 サキは必死に走った。背後でアーロンが敵を威圧するのが聞こえる。


「ここは一人として通さんぞ! 死にたい者からかかってこい!」


 そして剣を交える音、男の叫び声が続く。


 王太子に手を引かれながらサキは振り返って見た。アーロンの周りにはすでにいくつか死体が転がっている。アーロンは、脇を抜けて王太子たちを追いかけようとする男を掴み、剣を突き立てた。


 しかし背後から太ももに槍を突き立てられ膝をつく。あの人は死んでしまう。

あの人はここで命を捨てるつもりなのだ。


「振り返るな! 振り返らず走れ!」


 王太子も知っているのだ。ここであの人が命を落とすことを。


 夢中でずいぶん走った。もう追手たちも見失ったはずだ。さすがにもう走れない。だが立ち止まるわけにはいかない。犬がにおいを追いかけてくるかもしれない。草木が生い茂る森の奥まで馬では入ってこられないだろうが、追手が徒歩で追いかけてこないとは限らない。重い足を無理に動かし、王太子に手を引かれて休まず歩いた。

 

 やがて日がすっかり姿を現したころ、ふたりは森を抜けた。草をかき分けて進むと、道へ出た。


 ふと馬車が近づいてくる。王太子は草むらに身を隠して、様子をうかがう。追手ではない。馬を操るひとりだけだ。その格好と荷台に積まれた荷物から察するに、行商人のようだ。


 王太子が草むらから馬車の前に飛び出て、声をかける。


「止まってくれ!」


 行商人が慌てて手綱をひき、馬車を止める。


「畜生! なんだってんだ」


 行商人がぶつぶつと文句を言いながら王太子を睨む。


「北へ向かう行商人だな? レナード殿の領地も通るだろう」


「だったらどうしたというんだ? いきなり飛び出してきやがって」


「レナード殿の城まで乗せていってくれないか」


「何の義理があって俺がそんなことしなきゃならねぇんだ」


「こうしよう。レナード殿の城に着いたら金を渡す」

 

 金の話を持ち出され、行商人の目つきが変わった。値踏みするように王太子を見る。


「信用できんなぁ」

 

 王太子は自分の所持品を一通り検討し、結局首飾りを外し、商人に見せる。


「これでどうだ? 金が払われなかったときはこれを渡す」


 商人が首飾りを取ろうと手を伸ばすが、王太子は手を引いて商人の手をかわす。


「渡すのは金が支払われなかったときだ」


 行商人は舌打ちするが拒絶はしなかった。


「交渉成立だな」


 そう言って王太子が荷台のほうへ行こうとするのを行商人が制した。


「待て。乗せられるのは一人だけだ。あいにく積み荷が多くてな。二人も乗せられねえ」


 行商人が顎で荷台のほうを指す。


「積み荷を少し捨てれば二人乗れる」


「積んでるのはどれも大事な商品だ。捨てられるもんはねえ」


 行商人に譲歩する気は無いようだ。王太子は少し思案し、行商人に


「……ではこの娘を頼む」


 と告げると、振り返って首飾りをサキの手に握らせた。


「君が乗るんだ」


「でも……」


「僕は大丈夫だ。子女を見捨てて自分だけ逃げれば死ぬまで笑い者になる。僕に恥をかかせないでくれ。それに奴らの狙いは僕だ。僕といるほうが危険だ。僕らはここで別れるべきだ」


 それでも躊躇するサキにウェンリィは続ける。


「君の手を引きながら逃げるより、ひとりのほうが身軽で逃げやすい。僕は乗馬もできる。どこかで馬を手に入れ必ず子爵の城へ行ける。子爵の城に着くまで決してその首飾りを渡すな。レナード殿に事情を説明するんだ。そしたら彼がこの商人に金を渡すだろう。そして君も安全に庇護される。さあ行って」


 王太子はサキを馬車に乗せる。王太子が行商人にうなずいてみせると、行商人が馬を動かしはじめた。馬車は王太子を残して去って行った。


***


 王太子はひとりになって道なりに歩いた。道のりは遠い。この山を越えれば村落があったはずだ。そこでなんとか馬を手に入れたい。王宮の厩舎に残した愛馬を思い出した。生きてまた会えるだろうか。父上と母上は、叔父に殺されてしまったのだろうか。彼は次々湧き上がってくる疑問や感情を振り払って歩いた。……今はとにかく生き残らなければ。


 かなりの距離を歩き、疲労が限界を迎えた。少しだけ休もうと道端の木にもたれかかり目を閉じると、そのまま眠りに落ちてしまった。


***


 王太子が馬のいななきで目を覚ます。重い瞼を持ち上げると、馬の顔とその上に騎士が見える。……騎士!


 王太子は騎士に囲まれていた。(しまった!)彼は飛び起きて短剣を抜き、構える。


 相手は4人。逃げ場はない。ここまでか。


 しかし正面の馬に跨った男の顔を見てはっとした。その顔には見覚えがあった。まさか。


「レナード殿!」


「殿下」


「なぜ貴方がここに?」


「叔父上の宴会に参加するために王宮へ向かっていたのです。その途上で叔父上の謀反を知りました。殿下は王宮を脱出し私の城に向かっているかもしれないと思い、

道々貴方のお姿を探しながら私の城に引き返していたところです。敵も血まなこになって貴方を探しているはずです。我々が先に見つけることができて実に幸運でした」


 レナードは深く息は吐く。


「さあ、ぐずぐずしてはおられません。追手が来る前に私の城へ向かいましょう」

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