第8話 蒼月長石(2)

ふと視線を前方にやると、調理室の扉に手をかけながら廊下に出てくる臣人が見えた。

「あ、臣人先生」

その声に臣人も気がついて、手元から視線を上げた。

「おお。」

急いで鍵を回して掛けた。

錠のおりる小さな音がした。

その様子を見て綾那も美咲も怪訝そうな顔で臣人を見ていた。

「あれ!?鍵を閉めてしまうんですか?部活は?」

その声に臣人は視線を彼女たちに合わせないようにしながら、こう言った。

「悪いなぁ。せっかく来てもろうたのに。今日は、活動できんのや」

「え、何でですか?」

間髪置かずに綾那が突っ込んだ。

臣人は予想はしていたが、理由は言いたくなさそうだった。

「ん?んん、ちょっと用事があってな。せやから、すまんが、また来年な」

何とかごまかそうと必死だった。

二人に手を合わせて、頭を深々と下げて拝んでいた。

「え~!!」

綾那は大声をあげた。

「一方的になしというのは、納得できません。理由をお聞かせください」

美咲は理路整然と臣人に食いさがった。

それを聞きながら、綾那もうんうんとうなずいている。

臣人は頭をかきながら、どうしたもんかという表情だった。

「今から、わいは有給もらって、実家へ帰るんや」

「何かあったんですか?」

バーンの姿が見えないことも相まって心配そうに綾那がたずねた。

「いや、別に。」

たいしたことやない。という雰囲気で二人を見ていた。

自分の心の内を明かしたくはなかった。

この数日を何事もなかったように平気な顔で過ごせるほど、自分は強い人間ではなかった。

それは嫌というほどわかっていた。

沈黙する臣人に、綾那も美咲も違和感を覚えていた。

「?」

「そんな、人のことあんまり根ほり葉ほりするんもんやないでぇ」

困ったように笑いながら、いつもの調子で言った。

「説明になっていませんわ」

美咲はごまかされない。

さあ、どうやって追及してやろうと顔に書いてあった。

「だから、ちょっとした用事や。」

これ以上は口にできん。と言うように臣人は首を傾げて、言葉を濁した。

「そうですか」

逆に綾那は、美咲のこれ以上の暴走を止めるように納得したように見せた。

美咲もそんな綾那の様子を察して、口をつぐんだ。

「すまん。この埋め合わせはいずれするさかい」

鍵穴からキーを抜くとポケットにしまった。

埋め合わせという言葉に綾那はいち早く反応した。

表情がぱっと明るくなった。

「じゃあ、クリスマスパーティーをしましょう!臣人先生。今、みっさとその話をしていたんですけど。三月兎同好会発足6ヶ月記念のパーティーを!!」

我ながらグッドアイディアと言わんばかりに捲し立てた。

だが、

「却下。」

きっぱり臣人に拒否されてしまった。

「なんで~!?」

「理由は、わいが仏教徒やからや」

臣人は腕組みをしながらうなずいて見せた。

「今時、この日本でそんな宗教なんてあまり関係ないんじゃ。クリスマスっていったって、宗教色はあまりないじゃないいですか。」

パーティーがしたいだけの綾那は納得できなかった。

「そんなことあらへん。わいは坊主やさかい、キリスト教のお祭りには興味ないんや」

それをわかっているのか、臣人は正当な理由を付けた。

「ぶ~っ」

ぷっくり、まるでタコかフグのように綾那はふくれっ面だ。

「結構、重要なことやで」

「では、葛巻先生?」

「ん?」

そんな綾那の顔を横目に美咲が淡々と口を開いた。

「なぜ仏教徒の葛巻先生がカトリックの学校で先生をおやりになっているんですの?」

この質問にはさすがの臣人もドキッとした。

「そ、それは」

「きっちりと答えていただきたいですわ。素朴な疑問ですから」

「………」

その事情は言えるわけもなく、答えに詰まってしまった。

自分の祖父國充から紹介された仕事。

それを承諾したバーン。

そのバーンについてきた自分。

それ以上の理由はなかった。

教員の仕事がしたくここにいるわけではない。

バーンを護るためにここにいる。

彼がここにいるというのなら、自分もここにいなければならない。

と、そう思っていた。

それ以上のことは考えたこともなかった。

おそらくは祖父の方がその理由をわかっているのだろうが。

ただそんなプライベートなことは彼女らに言いたくなかったし、知られたくなかった。

他の時期ならいざ知らず、今、この12月の時期には言いたくなかった。

もっともらしい理由をつけたところで美咲の耳には嘘にしか聞こえないだろう。

どう切り返してやろうかと頭を巡らせた。

「今日はいつになくツッコミが鋭いなぁ、本条院?」

苦笑いをした。

「笑ってごまかさせるようなことですか?」

「別に誤魔化そうたぁ思ぉてないが。今日に限って何でこんなに知りたがりなんやぁと不思議に思うて」

「それはいつも肝心なところをはぐらかすからですよ。葛巻先生。」

「そないなことあらへんって」

「そうです!」

美咲はいつになく食いさがった。

「しかしなぁお前の論法でいくとメサヴェルデの教員はみなキリスト教徒じゃなきゃあかんっつぅことになってしまうで。違うか?」

「えっ?」

「本来、教員という職業と自分の信じる宗教とは別に考えなぁな。政教分離の原則に反するで」

「!」

やられたっという顔で臣人の方を睨んでいた。

「っうことで、ええかな?」

正論を通し、ニヤリと臣人は笑った。

美咲は悔しそうに歯ぎしりをしていた。

綾那もその様子にちょっと驚きながらもさっきの話に戻してきた。

「臣人先生、別にパーティーは今日じゃなくてもいいですよ」

折衷案を出すも、

「それも却下や」

それもあっさり拒否された。

「え~!?何でですか?」

さらに大きな声で叫んだ。

今日イブも次の日も大事な用が入ってるさかい……」

だんだん臣人の表情がつらそうになってきた。

一年に一度必ず巡ってくる、自分の過ちと向き合わなければならない日。

バーンの誕生日でもあり、ラシスを死なせてしまった日。

贖罪と懺悔と後悔の日。

「彼女とデートですか?」

「ま、そんなとこ…や」

冴えない表情で首をすくめながら、臣人が小さな声でつぶやいた。

「じゃあ、オッド先生は?」

「う~ん。あいつも無理やな」

「一昨日?あたりからお休みだからですか?具合でも悪いのかしら?」

教師がそんなに何日も何日も休みを取ることはない。

それを不思議に思ってのことだった。

「そういうやないけどな」

身体の病気ではないと言いたげだった。

「?」

「何、言われても、無理なもんは無理やから、あきらめぇ」

これ以上の追及に嫌気が差したのか、会話をそうそうに切り上げようとした。

「どこかに出かけたんですか?クリスマス休暇で本国の方に帰ってしまったとか?」

ALTならば、終業式前に旅立つことだってある。

そんなことを綾那は思い出した。

「ん、まあ、そんなところや。この日本にはおらんさかい」

と、言いながら臣人は二人に背を向けた。

「え!?」

そして、彼女らの方は振り返らずに手を数度振りながらこう告げた。

「墓参りや。」

(墓参り!?だれの?)

「じゃな、劔地、本条院、また来年な!!」

そういうと片手をあげながら、足早にその場をあとにした。

「臣人先生!!今なんて言ったの!?ねぇ!?」

臣人の背後から叫んだが、彼は何もなかったようにスタスタと歩いて去っていった。

二人は調理室の前で立ち尽くしていた。

なんだか臣人の態度がいつもの彼ではなかった。

腑に落ちなかった。

うつむいていた綾那が顔を上げた。

「みっさ……」

そんな綾那の方を美咲も真剣な表情で見た。

「なんですの?」

「前にみっさが『しましょうか?』って言っていたこと、してもらっていい?」

「あれですか?」

「うん。」

祥香の事件をきっかけにあの二人にまとわりつくようになり、同好会まで作った自分。

あの一件でバーンの想いを知ってしまった。

表面的には表情もなく冷たく振る舞っていても、本当は心の痛みを知る人。

もちろんそれを陰で支えている臣人という存在も。

あの二人の関係に興味を持っていた。

夏休みに一度臣人とバーン、彼ら二人の経歴を調べようとしていたことがあった。

しかし、そうすることもそれを知ることも良心が咎めていたのだった。

「本当に、よろしいんですの?」

再度、綾那に確認した。

なんだか綾那も意地になっているような気がしていた。

「絶対、臣人先生、何か隠してる」

うなずきながら、綾那は呟いた。

他人ひとには言いづらいことだってあるものですわよ」

彼女が興味本位で人のプライバシーを知りたがることはないとわかっていても、美咲は釘をさしてしまった。

そんなことを言う美咲の顔を綾那はじっと見ていた。

「今、知りたいの。すっごく」

彼女から視線を前に移して、まっすぐ廊下の突きあたりを見ていた。

「何か力になれるものなら、なりたいの」

ちょっと美咲はため息をついた。

「わかりました。綾がそこまで言うんでしたら」

「ごめんね、みっさ…」

無理強いをしたのではないかと綾那は気になって、彼女の方を見ていた。

「明日まで待ってください。大西に資料を揃えさせますわ」

大西とは本条院家の執事の名だ。

「ん。」

それを聞いて綾那は少しほっとした。

窓の外を見るとちらりほらりと粉雪が舞い始めていた。

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