第5話 弔詞(2)

7年前の感覚が甦ってくる。

自分の眼の前で起こった悲劇。

彼女の身体を貫いた無数の闇。

初めて自分の『力』を100%解放した瞬間。

一瞬の差。

刹那の瞬間。

間に合わなかった。

冷たくなった彼女の身体をどうすることもできずに抱き締めるしかなかった。

彼女の名を叫ぶ以外にできなかった。

深い藍色の瞳は、もう二度と開かれなかった。

長い金髪を手で梳きながら呼びかけても、もう彼女の唇が彼の名を呼ぶことはなかった。

(ようやく君に会いに来れた)

そう思いながら、ゆっくり眼を開けた。

(ようやく……)

不意に涙が頬をつたって流れ落ちた。

「!」

バーンは驚いて、頬に手をあてた。

泣くつもりはなかった。

しかし、彼の心が何かを感じ取ったように涙が落ちた。

止められなかった。

(もう…君のために流す涙なんてなくなってしまったと思っていたのに。

7年前のあの日に…… 一生分の涙を流しきったと思っていた。

それとも、…君が泣いているのか?)

バーンは涙を手でぬぐった。

あの時以来、初めて涙を流して泣いた。

いつもでも、どこでも無感情・無表情を装っている彼からは考えられないことだった。

感情に素直になっていた。

最も怖れていた感情の変化に、素直に反応している自分に驚いた。

バーンは力無く倒れ込んでいた体を起こし、立ち上がった。

晴れない表情のままで、じっと彼女の墓石を見つめていた。

(……遅くなって、ごめん。ラティ…)

真っ白い墓石が太陽の光にキラキラと反射していた。

(ずっと、この場所にひとりでいたんだな)

何度も何度も墓石に刻まれた文字を心の中で繰り返してみた。

(やっぱり、君の墓石を前にしても、信じていない自分がいる。

今でもどこかで君が生きているんじゃないかって、思っている自分がいる)

その刻まれたラシスの名前をじっと見ながらそんなことを思っていた。

(君の『死』は夢だったと。ここで永眠っているのは、君じゃない。別人だと。)

バーンは白い墓石から視線を空へと上げた。

抜けるような青空が、雲ひとつ無い青空が広がっていた。

この青空の向こうに天国と呼ばれている国があるのだろうか?

神の国と呼ばれている国があるのだろうか?

そこに君もいるのか?

いや、いてほしい。

風の吹く音しか聞こえない静寂の中で佇みながら、そんなことを思った。

(今まで…1日だって君のことを忘れた日なんて無かった。いつもいつも…どこへいても、何をしていても……俺は君を想い出していた)

この7年間。

ラシスを亡くしてから、彷徨った7年間。

日本に居ついてからは4年の歳月が流れていた。

(君が変わることはもうない。

俺は?

あの時から比べて俺はどこか変わったのだろうか?)

今も耳に残るのは。

甦るのは。

バーンはラティと交わした会話を想い出していた。

学校で、海辺で、自宅で交わした言葉を。

ひとつひとつのことが、まるでつい昨日のことのように鮮明に想い出すことができた。

(君を想い出す時…不思議なんだ。君の笑った顔しか浮かばない。

……ずっと。)

バーンは眼を伏せた。

わざと怒らせるような事をラシスに言った時もあった。

わざと冷たく突き放した時もあった。

(君にあんなに酷いことをしたのに…

君にあんなに冷たくしたのに…)

そうすることが彼女をどんなに傷つけてしまうかわかっていた。

自分の想いを伝えるよりも彼女に生きていてほしかった。

自分から離れていってほしかった。

自分から遠ざけたかった。

彼女もつらかったに違いない。

でも、彼女は俺のそばに居続けた。

まぶしい笑顔を向けながら、いつもいつもそっと包んでいてくれた。

(俺の中にいる君は、今でもとびっきりの笑顔を向けてくれてる)

もっと素直に彼女と接していたら、結果は違っていたかもしれないという後悔もあった。

(どうして? ラティ……俺はまだ自分自身を許せやしない。

自分がしたことも。君の命を犠牲にしてまでなぜ、何のために生きているのかわからない。

『生』も『死』も今の俺には、状態の変化を表す言葉でしかない。

同じことなんだ。両方とも。

でも、ひとつだけ確かなこと…。

7年前も、今も変わっていないこと…。

これからも絶対に変わらないこと……それは)

ラティに…逢いたい」

震える声でそうつぶやいた。

心の底から絞り出すような声だった。

「逢って、謝りたい……」

(許してくれとは言わない。君に…俺は……)

あの時、自分の前に立ちはだかるように走り込んできた彼女はそのまま帰らぬ人になってしまった。

彼に最後のキスを残して。

バーンは唇を人差し指で押さえた。

「俺は…君のことが、……」

結局、その言葉をバーンは口にすることはできなかった。

うつむきながら、その場に立ち尽くすしかなかった。

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