第4話 弔詞(1)

12月22日。

午後。

バークレー郊外。

静閑な林の中をバーンはゆっくり歩いていた。

手には白く清楚なカサブランカとカラーの花束を持っていた。

一歩一歩確かめるようにして前へと進んでいった。

突然、眼の前がひらけた。

広い場所に佇みながら、バーンはやるせない表情になった。

誰もいない墓所。

小さな、白い墓石たちが中央にある教会を取り囲むようにしてあった。

閑静なこの場所に。

緑の豊かなこの場所に。

弔いの風が吹くこの場所に。

ここにラシスが永眠ねむっている。

そう思うと動けなくなっていた。

足が震えた。

事実と対面することが怖かった。

心のどこかで信じていなかった。

あの時、自分の腕の中で息を引き取った彼女がどこかで生きていると信じていたかった。

(ラシス…)

ふいに教会の鐘が静かに時を告げた。

その音にバーンはハッと我に返った。

(ここまで来て引き返せない。……行こう。

ラティが待ってる。)

そう自分に言い聞かせるように、花束を握る手に力を入れ、歩きはじめた。

ひとつひとつの墓石をゆっくり見つめながら、確かめていく。

彼女の名前を探していた。

自分がただ一人心をひらいた彼女を。

彼女が永眠ねむるその場所を。

…いくつ目の墓石になるのだろう。

バーンの足が止まった。

立ち尽くしたまま、その墓石を見つめていた。

「ラティ……」

声にならないくらいの小さい声でそう呟いた。

バーンは力無くその場にしゃがみ込んだ。

花束を持っていた手がひらかれた。

墓石にそっと右手を置いて、その表面に刻み込まれた文字をひとつひとつ指で辿りながらなぞっていった。

愛しそうにその字を見つめた。

彼女の名前を。

(ラシス・シセラ……我が最愛の娘、ここに眠る)

この白い墓石の下に、かつて自分が愛した女性ひとが眠っていた。

自分の本当の想いを何一つ伝えられることなく逝かせてしまった女性ひとが眠っていた。

彼女と過ごすことができたのはほんの数ヶ月の間だけだった。

初めて自分の本音を見せられた女性ひとだった。

自分の過去を知ってすら、それまでと変わらずに接してくれた初めての女性ひとだった。

誰もが自分を忌み嫌う中で、人間として、同じ目線に立って付き合ってくれた女性ひとだった。

自分の気持ちに嘘をつきながら過ごす友達とも恋人ともつかない関係の中で、『別れ』はやってきた。

あの事件が起こった。

彼女を護りきれなかった。

(本当ならここに、この場所にいることすら許されないんだ……俺は

君のご両親にも、俺は顔向けできない。

どんな理由があるにせよ、一人娘を見殺しにしてしまった男。

大切に…大切に育てられていたんだろう?

きっと君の両親は、君の幸せな将来を、夢を、結婚を望んでいたはずなんだ。

そんなどこにでもある当たり前の幸せすら、俺は……

この手で消してしまった。

君の笑顔と一緒に………)

あの事件のあと、ラティの父親に殴られたことを思い出した。

警察に保護され、事情を聞かれたそのあとに、罵られ蔑まれた。

(君の親父さんの手で俺は殺されても仕方なかった。

それでいいと、思っていた。)

あと2日でクリスマス・イブを迎えようとしていた。

1年のうちで最も家族の絆が深まる日のはずだった。

家族と過ごす時間が長い日になるはずだった。

しかし、ラシスの家族にとってはもう忘れ去ることのできない悲哀の日。

ぬぐい去ることのできない愁嘆と怨恨の日。

(償おうとしても償いきれない。言い訳なんてできない。

…俺は君を見殺しにしたんだ。

俺が殺したも同然だった……。)

そう思うと金縛りになったように身体が動かなくなった。

小刻みに震える体を抑えることができなかった。

バーンは静かに眼を閉じた。

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