第5話 愛情豚汁は、夫のためだけの秘伝

「ただいまー。よいしょっと」


 モールから帰宅後、多喜子さんは玄関のカギを開けた。


 葉那は、エコバッグをテーブルに置く。

 多喜子さんの手作りだ。イニシャルを象ったアップリケがカワイイ。


「荷物持ってもらって、ありがとー」

「お料理してくれるんだから、これくらい」


「フフ。さて、やりますか」

 

 多喜子さんが腕をまくった。豚バラ、大根、ニンジン、ネギをエコバッグから出す。



「用意するから待っててね」


 多喜子さんが愛用のエプロンをかける。


「見てていいですか?」


 隣に立とうとすると、「ダーメ」と、退散させられた。

 

「味付けは、天川家の秘伝なので。ソファでくつろいでてね」

 

 キッチンの棚を開き、多喜子さんは味噌汁に使うらしき鍋を出す。


「ハンバーグも一緒に作っちゃうね。お肉被るけどいい?」

「平気です。お腹いっぱいにしたいんで」


「えっと、ハンバーグは煮込みと焼き、どっちがいい?」


 ハンバーグの煮込みって、レトルトモノしか食べたことがない。

 安っぽい風味でいて、母が作ってくれた弁当の中で一番好きだった。

「好物がレトルト」と言えてしまう辺り、葉那の母親がどんな腕前かが窺える。


「煮込みの方で。うちは焼きばっかりで、あんまり食べないから」


 多喜子さんの手作りハンバーグって、どんな味がするんだろう。

 親が作ったら、デミグラスのソースがやけにクドかったのを覚えている。

 

「承知しましたー。あとはレタスのツナサラダにしまーす」


 遠目で見ながら、多喜子さんの動きを観察した。

 

 多喜子さんは手際よく、順序立てて調理をしている。


 野菜を茹でている間に肉を仕込み、ハンバーグを煮込んでいる間にサラダを作り終えた。

 すべての料理が温かい状態で出てくる。見事なタイミングで。


「豚汁でーす」


 ハンバーグと豚汁のセットが、テーブルに並ぶ。

 まるでお店の定食だ。

 

「いただきます」


 リクエストの豚汁から。


「これを、ダンナさんは毎日飲んでいるんですね」


「毎日じゃないけどね」


 大根が口の中でほぐれ、ニンジンは絶妙な堅さだ。


「こういうとアレだけど、葉那ちゃんのチョイスって所帯じみてるね? もっと凝ったパスタとか言われたら、うまく作れたかな?」


「オムライスとの二択でした」


「よかったぁ。この間失敗したんだよー。包む工程でオムレツが割れちゃって。だからトラウマで、しばらく食べたくもなかったんだよー」


 絶妙な選択だったらしい。


「親は料理が苦手で、何が美味しいのか、私自身でもよく分からないんですよ。手作りハンバーグも、焦げてるのが普通で」


 こんなに柔らかいハンバーグを家で食べるなんて、魔法でも使えなければ無理だった。


「忙しいの分かってるから、私も許していて。そのまま苦手を放置しているんです」


 だからだろう。無難な、普通においしい料理が欲しくなる。

 なるべく相手に無理をさせたくないと思ってしまうのだ。

 

「えらいね。お母さまを責めないところが素晴らしいよー。いいお嫁さんになるね」



「いえ。昔、それでケンカになったことがあって。そしたら母親もムキになって、家事も仕事も両方頑張っていたら……倒れちゃったんです」


 故に、葉那は母親に多くを求めることをやめた。

 母は強しというが、自分の親に限っては弱くてもいい、と。


「理由なんて関係ないよ。葉那ちゃんは優しい。わたしは、葉那ちゃんの気持ちを尊重します」



「ありがとうごさいます」

 


「わたしも、親ともっと仲良くなれたら、って思ったときもあったな」

 虚空を見上げながら、多喜子さんがつぶやく。

 

 

「と、言いますと?」

 


「……わたしさ、駆け落ち結婚なの」


 葉那の箸が止まる。



 多喜子さんには、親が決めた婚約者がいた。


「どこかの資産家でね。すっごいイヤなヤツだったの。でも両親にはいい顔しているから、舞い上がっちゃって」

 

 今の夫と別れたくなくて、多喜子さんは家を飛び出したという。

 逃げ回った末、この地に越してきたそうだ。


「ご両親と、その方は、今どうなさって?」

 

「知らない。家に戻る気はないよ。孫だって見せてあげないんだから」

 多喜子さんの言葉には、強い決意と、鋭いトゲがあった。


 ここまで誰かに敵意を向ける多喜子さんを、葉那は今まで見たことがない。

 


「わたしね、たとえ夫が犬だとしても好きになる。その辺に転がっている石ころだとしても、必ず見つけ出して愛するんだ」



 彼女にとって、夫はすべてなのだ。


 誰かの横槍が入るスキなんてない。


 葉那の気持ちにさえ、まったく気づかないだろう。



 それでいい。


 諦めると、自然に箸が動いた。

 黙々と、ハンバーグを平らげる。

 豚汁を一気に飲み干した。


「ごちそうさまでした」


 もう、彼女の料理を食べる機会なんてないだろう。

 ここには、来ない方がいい。二人の迷惑になる。

 

 けれど、何か共通項が欲しい。


 葉那と多喜子さんを繋ぐ、接点が。


「あの、多喜子さん!」

 

 数秒考え込んだ後、葉那は頭を下げる。


「わたしに料理を、教えてください!」

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