第三十六話 ハイジ、犬から何か預かる

 学園祭が終わって、本井浜はお祭りシーズンを消化し、いつもの静かな浜に戻った。夏より濃く染まるようになってきた海面は、賑わいの後の寂しさをどこかに漂わせている。まだかすかに残っていた夏の名残は引き潮と共に沖合に連れ去られ、ひたひたと押し寄せる秋と、その奥にある冬の匂いが波音をかき回すようになった。


 季節の歯車が一つ、かたりと回る。それと共に、わたしの周りも少しずつ変わり始めた。


 まず、部活。学園祭の生物部展示がこれまでにないばたばたになってしまったことに、顧問の杉田先生が激怒した。部員全員を、おまえらぶったるんでるって激しくどやしたんだ。普段はとても穏やかな先生だから、怒るとその怖さははんぱない。学園祭の打ち上げがお葬式の雰囲気になっちゃったのは、創部以来初めてじゃないかと思う。

 先生が槍玉に上げた一番手はだらけてた一年生たちだったけど、返す刀で部長の大伴先輩もばっさり切って捨てた。


「したくないなら最初から承けるな。無理やり部長をさせるつもりはない」


 生物部部長っていうポストは、大学受験で推薦を受ける時に有利に働く。先輩にはそういう計算があったのかもしれない。でも「部長」っていうバッジだけつけて、実際には何もしないっていうのは論外だと思う。

 だからって、後輩のわたしから部長に生意気なことは言えなかったんだ。それがすっごいストレスだったんだけど、先生がわたしの悔しさや辛さをちゃんと代弁してくれた。涙が……出た。


 今年の一年生の自主性欠如を深刻に捉えた杉田先生は、大胆な役の組み替えを実施した。わたしを部長にして、大伴先輩を副に降格させ、その大伴先輩に一番サボっていた一年生四人をサポートさせることにしたんだ。正副がひっくり返ったんだよね。


「拝路は部長の仕事を実質こなしてくれたし、今期の残り期間が短いからもう動かんでいい。象徴でいい。副の大伴は一年生四人を二学期中にぎっちり鍛えて、その中から来年副のできそうなやつを推薦してくれ」


 杉田先生は、大伴先輩につべこべ言わせなかった。それは紛れもなく懲罰。去年のわたしなら、いい気味だ、ざまあみろと思っただろう。でも……わたしは怖かった。これが、わたしがこれから船出する社会ってやつなんだなあと感じて。良くも悪くも、権力を使える人が組織ってものを動かしてる。そこからはみ出して生きるってことは、すごく息苦しいんだなって。

 まさに福ちゃんの言った通りだ。とんがればはみ出す。つるめば埋没する。そのどこかに折り合いをつけろっていう……。


 たかが部活。だけどそれは、しっかり社会の縮図なんだってことを思い知った。


◇ ◇ ◇


 学校からも町のコミュニティからもスピンアウトしちゃったエバ先生は、静かにでも滑らかに復帰した。事情を知ってるわたしたちは先生をイジらなかったし、先生も赴任してきた時みたいなケバさをぎりぎりまで押さえ込んだ。肌の露出と口数が減り、おもしろくはなくなったけど、崖っぷちに立ってるピエロみたいな危うさもなくなった。二年生のわたしたちは、修学旅行のあとで一気に進学準備ムードが強くなる。浮かれてる暇がなくなるから、それでいいんだろう。

 子供たちのケアだけで手一杯なんだよとぶつくさ言ってた福ちゃんも、がちで本音の吐き出し合いができる相手ができたって考えたんだろう。保健室から雄叫びが聞こえてくることはなくなった。あの二人は絶対百合になるわーと、クララがげひげひ変なことを想像してるけど。福ちゃんの回し蹴りを目撃したわたしは、絶対にそんなのありえないと思う。


 まあ、学校の方はいろいろあったどたばたが落ち着いたってことになるんだろう。でも、うちはあまりいい方には変わってなかったんだ。


 タロの様子がどこかおかしい。もともと少なかった口数がもっと減って。わたしへの視線は切らさないけど、言葉が出て来なくなった。

 おばあちゃんも夏の暑さでへばってしまったのか、横になっていることが多くなった。


 一年。そのたった一年の間に、少しずつわたしたちが変わっていく。望むと望まざるにかかわらず……変わってしまう。


◇ ◇ ◇


「のりちゃん。気ぃつけてな」

「はあい。行ってきまーす」


 十一月初旬。修学旅行に出発する日。タロは朝早くに仕事に出かけたみたいで、わたしの見送りには来なかった。寂しいけど……しょうがないね。


「ああ、そうじゃ」


 心配そうにわたしを見上げてたおばあちゃんは、何かを思い出して家の中に戻った。お小遣いでもくれるのかな? もうもらってるけど。


 おばあちゃんが持ってきたのは白くて細長い紙箱だった。あ、学園祭の時にタロが言ってたやつだな。箱は真ん中が紫色の紐で縛ってあって、手紙が添えられてた。向こうで読んで欲しいってことなんだろう。


「太郎さんから、出る時に渡してくれぇ言うて預かっとる」


 わたしは、おばあちゃんの差し出した箱を無言で受け取り、もう一回ぱたぱた手を振った。


「じゃあ、行ってきまーす」


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