第二十五話 ハイジ、犬を心配する

 去年のお盆はお父さんの実家に行ったから、今年はこっちの番。そのはずだった。でも、お父さんが強烈に嫌がったみたいで。今年は、夫婦がそれぞれの実家に行くという形にしたらしい。お母さんからそういう連絡が来た。

 お父さんは、娘のわたしが得体の知れない男と付き合ってるのを見るのがどうしても我慢できないんだろう。


 お父さんの気持ちはわかるよ。わたしが本当にタロと付き合ってるんならね。でも、わたしとタロの関係は恋人どころか、友人としてもどうかなっていうくらいに淡い。タロの感情が薄いから、それは仕方ないんだ。

 わたしとタロとの関係を一番よく知ってるのは、同居してるおばあちゃんだ。年齢とかを考えたら、わたしはタロの妹みたいな感じになるはず。でも淡白なタロは、わたしの隣にいても強い存在感がない。兄妹っていうより、主人と付き従っているわんこ、みたいな印象になるんだよね。おばあちゃんは、それをいつもおもしろがってる。お母さんにそそのかされたみたいな、勢いでどうにかなっちゃうっていう心配がそもそもないんだ。なんか……がっかりするけど。


 でも、お父さんが来ないんなら。お母さんだけなら、もうちょいベタなやり取りができる。今年のお盆は楽しみだなー。

 とか、のんきに構えてたら。突然とんでもない騒動に巻き込まれちゃった。


◇ ◇ ◇


「ええーっ!?」


 はまや食堂でばったりでくわしたクララとぺちゃくちゃしゃべり倒していたら。突然クララが声をひそめてきょろきょろあたりを見回した。


「ねえ、ハイジ。ちょい耳に入れときたい」

「はん? なにー?」

「タロ、迫られてるで」

「はあ!?」


 わたし以外に、ぼーっとした身元不詳の犬男にアプローチする物好きがいるとは思わなかった。でも、急に心がざわざわし始める。


「だ、だれ?」

「エバ先生」

「げ……」


 捜索隊出さないと外国人が見つからないくらいマイナーな田舎町では、色気過剰のエバ先生は目立ちまくりで、その一挙一動は全部町民に筒抜けだ。先生も、あえて自分のプライベートを隠そうとはしないで、おおっぴらに振舞ってる。


 んで。エバ先生は積極的に男狩りをする。それはやましい意味ではなくて、真正面からの婚活だ。クリスマス過ぎてるからそろそろっていう感じなんだろう。それなら田舎じゃなくて、もっと賑やかなところで探せばいいのにって思うけど。


 でも、高校の男の先生たちは全員妻帯者のおじさん。唯一独身の牙城を守ってた各務先生が転出しちゃったから、校内には対象者が誰もいないんだ。そして対象範囲を町内全部に広げても、エバ先生が掲げてる条件をクリアできそうな人はほとんどいないんだよね。

 先生っていう仕事には転勤がつきもので、場合によっては別居婚になったり、逆単身赴任ということもありうる。結婚しても仕事をやめるつもりがないエバ先生にとっては、女は家にいろーみたいなクラシックな考え方は論外なんだろう。

 生き方を束縛しないで自由に泳がせてくれて、安定した仕事に就いている、若い独身男性。そんなの、なかなかいないよねえ。探す場所を間違えてる気がするけど。


 そんなエバ先生が、どうもタロに目をつけたっぽい。まじめに仕事をするし、ぼーっとしてるから下心丸出しで近づいてくることもない。メンもいいし、所長の黒部さんの信頼も厚い。こりゃいけると思ったんちゃうかな。さすがにお互いの勤務時間中にはアプローチできないけど、オフにエバ先生の方から積極攻勢をかけているらしい。


「タロは、そんな話一言も……」


 ものすごーくむかむかする。


「てか、エバ先生の肉弾攻撃の意味に気づいてないんちゃうか?」


 え? 面食らって、でも納得した。


「そっか。タロだもんなあ」

「でそ? 今晩にでも聞いてみたら?」

「うん。そうする。クララ、情報サンクス」

「どういたましてー。情報料はメシ代ってことで」


 うう。お小遣いが……。とほほ。


◇ ◇ ◇


 早速、夕飯の時にずばっと聞いてみた。そしたら、タロがすごーく困ってるっていう顔をした。そんな表情を見せたのは、お父さんと対面で話した時以来だな。


「ああ、あの女の人か」

「うん。なんかタロが誘われてるって聞いたから」

「断ってる。俺はあの人苦手なんだ」


 基本的に好き嫌いを表に出さないタロにしては珍しいなあと思った。


「へえー、意外。どして?」

「あの臭いが……」

「に、臭い?」

「そう。あの人が来ると潜水作業に悪影響する。本当に困る」


 うわ……そういう理由だとは思わなかった。確かにエバ先生は、ノートのはっきりしたコロンを使ってる。


「ノリは、ああいうのは使わないのか?」

「高校生はメイクとかそっち系全部禁止だもん」

「ああ、そうか。それでか」

「それに」

「うん」

「強い匂いものつけちゃうと、潮の匂いがわからなくなる。わたしは海風の匂いがいっちゃん好きだから」


 タロが、目尻を下げてにこっと笑った。


「そうだよな」


 うん。心配いらないみたい。タロが大事にしていることは、他のみんなとはかなり違うんだ。エバ先生も、それがわかったらきっと諦めるでしょ。タロに直接聞確かめてよかった。ほっとした。


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