第三章 ハイジ、犬と歩く

第二十一話 ハイジ、犬の携帯に驚く

 おばあちゃんとタロからホームシックだと言われて、絶対そんなんじゃないもんて反論したかったけど。わたしは指摘を認めるしかなかった。


 わたしは……ずっと寂しかったんだ。


 乙野高校の海洋研究科に行くことにしたのは、わたし自身の意思だ。誰にも振り回されてない。海に関われること、おばあちゃん、本井浜の雰囲気……ここにはわたしの好きなものが全部揃ってる。だけどわたしの動機や意思は、親を振り切ってまでここで暮らすにはまだ弱かったんだろう。

 乙野高校に行くことを親に強く反対されていたわけじゃない。むしろ、わたしがそうすべきだって自分に言い聞かせてたところがあった。ずっと親の庇護下で暮らしていたわたしが、その影響圏からぽんと離れて。本当はすっごく強い不安や寂しさを感じてて。そのネガを、無理やりアドレナリン出して打ち消してたんだ。ドーピングが効いてる間は自己中街道まっしぐら。タロに捕まった時は、それがピークだったんだろう。


 そのあと、わたしの過剰なアドレナリンは全部タロに向けられた。自分を作り上げる用途にはこれっぽっちも使えなかった。親から離れた寂しさをタロに流し込んじゃったんだ。それは……恋愛とは言わない。ただの「親代わり」。でっかいクマのぬいぐるみと同じだ。本当に情けない。


 自分はガキだ、バカだ、弱っちい、情けない……どんなに自分を責めたてても、それで自分がましになることはない。せめて、タロの隣にいられるくらいには自分を立て直したい。

 わたしは、今とこれからのことを全部見直すことにした。まず、成績と部活を修正しないとならない。高校にいられなくなっちゃうのは最悪の結末だから。


◇ ◇ ◇


 わたしが年末年始にかけて必死に書き上げた研究計画書を見てくれたのは、水谷部長じゃなくて顧問の杉田先生だった。


「水谷さんが君にきついことを言ったみたいで、すまんね」

「いいえー。当たってましたから」

「まあ、部長の彼女には彼女なりの深い悩みや葛藤がある。それを理解してくれると嬉しい」

「わかります」


 杉田先生からは、一切のお小言はなし。そして、水谷部長と全然違うことを言った。


「水谷さんが強制退部云々と言ったんだろ?」

「はい。レベルが……」

「いくら彼女が部長であっても、そんな権限は彼女にないよ。部活での生徒の自主性は尊重するけど、部活はあくまでも学校側の管理運営事項だ。同じ学生の水谷さんに、部員を振り回す権限はない」

「え? うそ」


 思わず目が点になってしまった。


「じゃあ、退部とかなんとかっていうのは……」

「最後っ屁だよ。もう卒業、引退なんだから」


 脱力。嫌がらせだったってことか。はああ……。


「それだけ部長っていうポジションは荷が重いのさ。そう考えて欲しい。君も水谷さんと同じ立場になれば、きっとわかる」


 すっきりはしないけど、確かに水谷部長はもういなくなっちゃうんだよね。


「あの……水谷部長のあとは誰が部長になるんですか?」

大伴おおともくんだ。彼はのんびり屋だからね。部員の仕事は増えるだろうけど、水谷さんの時みたいなことはないだろ」

「はい」


 ちょっとだけ、ほっとした。

 生臭い話が終わって、本筋の計画書のことでいくつか指摘があった。


「瀬戸内にいる迷魚めいぎょを調べるっていうテーマはおもしろいし、社会的にもニーズがある。これまでの調査データもちゃんと活かせるし、よく出来てると思うよ。誰かにアドバイスをもらった?」

「はい。タロが働いてる水試の所長さんに」

「ああ、黒部さんね。さすがだな。ちゃんとツボを押さえてる。ただね」

「はい」

「高校生が個人でやるには、まだ規模が大きすぎる。もうちょっと調査対象を絞り込んだ方がいい」

「そっか……」

「調べ方にも少し工夫がいるかな。混獲されたのをチェックする方式だと、手間のわりにデータが揃わないよ」

「うーん。もうちょっと考えます」

「そうして。どうしても方法が思いつかない時には助け舟を出すけど、基本は自分で調べ、自分で組み立てることだから」

「はい!」

「よーし。じゃあ、あとは期末でへましないようにな」


 ううう。さすが、先生だ。各務先生みたいにがりがりは言わないけど、ちゃんと釘を刺された。はあい。がんばりまーす。


◇ ◇ ◇


 タロは、わたしの気持ちが上向きになったことをちゃんと読み取ってくれた。


「ノリは、少し元気になったな」


 ご飯の時ごとにそう言われて。すっごい嬉しくなる。タロはわたしのことをちゃんと見てくれてる。そういうことだから。

 そうだね。今はまだ、花火に火が着いたみたいな爆発的な想いは心の奥にしまっておこう。巻き上がってしまった汚い感情の泥がちゃんと沈むまで、想いをかき回さないようにしよう。何気ない毎日の中に、こっそり織り込むようにして。少しずつ、タロとの間に使える言葉を増やして。言葉に淡い心の色を乗せる。それでいい。


「ありがと。期末試験が終わったら、春休みは呉に帰る。年末年始に帰れなかったから」

「それがいいと思う」

「タロは、その間、大丈夫?」

「なんとかなる」


 ごそごそと、タロがシャツのポケットをまさぐった。


「え!? 携帯?」

「所長に、俺の代わりに契約してもらった。通話料は全額俺が払う」

「すごーい!」

「いや、仕事の連絡ができないのは困るって言われて」


 タロが、弱ったなーという顔をしてる。なんだ、わたしのためじゃないのか。がっかりはしたけど、これでタロと離れててもやり取りできる。こんな小さなことでも大きな進歩。そして、わたしにとってはすごく嬉しいことだ。今は……それでいい。


「じゃあ、あとでラインアプリ入れとくね」

「いや、もう入ってる。水試のグループラインがあって、必要なんだ」


 ああ……タロはもう大人なんだなあ。嬉しいことの裏っかわには、こんな欲しくないおまけもついてくる。でも、それをこなさないとね。


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