第二十話 ハイジ、犬の前で泣く

 一年ラストの定期試験の前に、部の課題をクリアしないとならない。部員資格を失ったら、再挑戦はたぶんできないだろう。ハードルは絶対に跳び越えないとならない。でも、学園祭に生物部員が展示したポスターをもう一度じっくりチェックしたら、他の一年生部員の調査やまとめのレベルが半端なく高くて。わたしがいかに部活を甘く見ていたのか、思い知らされてしまった。わたしは……完全に自信をなくしちゃったんだ。

 部長の設定したデッドラインがどんどん近づいてて、焦りだけが溜まっていって。胃が痛くなって。とうとう授業中にぶっ倒れちゃった。保健室搬送。情けない……。


「たぶん、ストレス性の胃炎だろなあ」


 保健室で福西先生の問診に答えたら、あっさり言われた。


「ストレス性、ですか」

「そう。拝路さんだけじゃないよ。学校のレベルを上げようとして外から生徒を呼び込むと、一定の割合で精神のバランスを崩す子が出る。拝路さんが特別ってことはないの」

「うう。それでも……」

「だから学園祭の時に言ったでしょ? 私の出番はこれからだって」

「あ……」

「各務のバカはがあがあどやすだけで全然フォローしないし。論外だ!」


 がなった先生が、ベッドの桟をばしっと叩いた。


「あのね、ここは確かに高度なカリキュラムを採用してる。高校のレベルとしては、かつての水産高校時代とは比べものにならないくらい高いんだ」

「……はい」

「でも、国公立の難関大学や私立の一流校を目指す子は、わざわざこんなど田舎に来ないよ」


 あ、そうか……。


「ここの理念は、ひたすら頂点を目指せとかいうものじゃない。海のように広くおおらかな視点を育てて自分と社会を見つめ、海を活かす生き方を模索する。それが理念なの」

「はい」

「成績はいいにこしたことはないけどさ。だからと言って、成績でばさばさ子供たちを振り落とし、ぶん投げていいっていうわけじゃないんだ」


 福ちゃんがなんで各務先生と相性が悪いか、よーくわかった。厳しい各務先生のプレッシャーで潰れそうになったわたしみたいのが、みんな福ちゃんのところに流れ込んでしまうからだ。


「まあ、各務のバカは校長に、水谷のバカは顧問の杉田先生にお仕置きしてもらうさ」


 うう、お仕置きって……。


「ああ、ただね」

「はい」

「水谷部長があなたをいじったのは、あなたのせいだよ」

「え?」


 どうして? わたしは部長に何もしてないけど……。


「あなたは、共同研究のグループの中でどうしようもなく浮いたの。中山、細井、岡本、西ヶ丘、あなたの五人でしょ?」

「あ、はい」

「あなた以外は、ちゃんと部長に進行チェックしてもらいに行ってる。あなただけがノーチェックで最後まで行っちゃった」

「……」

「それは、あなたが太郎さんに会う前からずっとそう。自分勝手で協調性がないって、仲間からも部長からもそう見られたの」

「そ……んな」

「はっきり言えば、嫌われたってこと。最初のレベルなんか全員同じよ。部長チェックが入れば、アドバイスをもらえるからレベルが上がる。その差だけね」


 福ちゃんは、優しくない。やっぱりアイスクイーンだった。指摘は直球そのもので、情け容赦なかったんだ。ベッドの桟を拳でかんかんと叩いた先生が、結論を無造作に放り出す。


「まあ、研究って言ってもしょせん部活レベルだよ。軍隊の訓練じゃないんだし、自分の好きなスタイルでやればいい。グループ方式が合わないなら、個人で成果を出せばいいでしょ。二年、三年はそのスタイルだから。ただね」

「はい」

「一匹狼は絶対に嫌われる。はみだしちゃう。良し悪しじゃなくて、それは事実なの。学校だろうが職場だろうが研究所だろうがどこでも同じで、つるめば埋没し、とんがればはみ出す。それだけさ。あとはあなたがそれをどう考え、どう行動するかだけ」


◇ ◇ ◇


 福ちゃんのコメントは、各務先生や水谷部長のどやし以上に大ショックだった。わたしは、そんなに協調性がない? いや……クラスの中ではわたしは浮いてないと思う。友達と普通につるんでるし、役もちゃんとこなしてる。でも福ちゃんにそう見えるのなら、人の感情や態度を汲み取るわたしの努力が全然足りなかったってことなんだろう。

 なんか本当に、タロに言ったことが全部自分に返ってきちゃってる。人の気持ちを考えないで一方的だってどやしたこと。感情が薄味すぎるって文句言ったこと。わたしだって……同じじゃないか。


 夕飯の時に全然食が進まないわたしを見て、タロが首を傾げた。


「ノリ。どうした?」

「うん……激しく自己嫌悪中」

「考えすぎるな。なんとかなる」


 タロが、ふわっと微笑む。なんか、心臓がきゅうっと痛くなる。わたしには、タロの生き方を無神経に振り回す権利なんか何もなかったんだよね。ごめんなさい。ごめん……なさい。涙腺が一気に崩壊した。テーブルに突っ伏して泣き崩れた私の背中を、おばあちゃんが優しくさすってくれた。


「ああ。のりちゃん」

「う……ん」

「それはきっと、ホームシックじゃ」


 タロも大きくうなずいた。


「俺もそう思う」


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