第八話 ハイジ、犬をどやす

 国見くにみ公園。名前だけは立派だけど、遊具も何もないただの空き地だ。見えるのは港と海だけ。観光地でもなんでもないから、人の気配は全くない。


 黙って二人で公園に上がり、柵にもたれて海を見渡した。今日は少しだけ風がある。潮風にあおられて、わたしとタロの髪がなびく。


「話というのはなんだ?」


 沈黙に焦れたようにタロが口を開いた。


「神家の中でわたしがどやしたこと。覚えてる?」

「うむ」

「何も知らない人の求婚なんて、わたしは絶対受けないよって言ったよね」

「ああ」

「その時と今。何か違う?」

「あ……」


 はあー。これだよ。わたし以外の人に対しては記憶喪失と言い訳すれば済むよ。でもわたしは、何も自我のない真っ白な人は絶対カレシになんてしないよ。絶対にね。


「タロって、受け身だよね。なんに対しても」

「……」

「タロのわたしへのアプローチは今まで一つだけだよ。俺の嫁になってくれって。それだけ」

「……ああ」

「大事なことがすっぽり抜けてない?」


 ちんけな小物のくせに、誰かが奉仕してくれることをじっと待っている卑屈な神様。それが丸見えなの。その根性を自力で変えない限り、わたしはどこかで手を引くよ。タロが自活できるようになったところで、バイバイさせてもらう。


「済まん」

「いいけどさ。まじめに嫁取りを考えるなら、考えないとならないことがいっぱいあるでしょ?」

「その通りだな」

「求婚を受けてもらうために自分が何をしないとならないか。どうすれば、自分と自分の周りを変えられるか。もう少しまじめに考えて欲しい」

「そうだな」

「記憶喪失でかわいそうだっていう言い訳は、最初しか通用しないよ」

「……」

「神家の中のことは、ここで言ってもしょうがないよね」

「ああ」

「じゃあ、タロが今しなければならないことはなに?」


 それは一つだけじゃない。うんざりするほどいっぱいあるの。全部すぐにこなせとは言わないよ。でも、足を止めないで欲しい。それじゃあすぐに破滅する。


 俯いてじっと考え込んでいたタロは、ふっと小さな吐息を漏らした。


「ノリは……どうして親と住んでないんだ?」

「そうっ! それそれっ! それよっ!」


 でかい声に弾かれてのけぞったタロに、ここぞと畳み掛ける。


「あのね、好きでもない男の嫁になんかなれないよ。絶対に。じゃあ、どうやったら相手に好きになってもらえる?」

「……」

「その最初のきっかけが、今のタロの質問なの。相手のことを知りたいなと思う。相手に関心を持っていることを言葉や態度で示す。全部、そっからじゃない?」

「そうか」

「どんな形でもいいけど、あなたのことが気になるんだっていうアピールがないと、絶対に相手にされないよ。女の子だけでなくて、誰にも」

「ああ、それで破滅って言ったのか」

「そう。神様の世界がどうなのかは知らないよ。でも、わたしたちのところでは、みんなそうやって生きてるの」

「なるほど……」


 こんなの、わざわざ教わるようなことじゃないと思うんだけどな。でも、タロだしなあ……。


「じゃあ、さっきのタロの質問に答えるね」

「ああ」

「わたしの両親は今、くれってところに住んでるの」

「ほう」

「その前は横浜に住んでた。わたしが生まれ育ったのも横浜」

「横浜ってのは、ここから遠いのか?」

「遠い。ここにはすぐに来れない」

「ふむ」

「お父さんの転勤で呉に行くことになったんだけど、わたしはここでやりたいことがあったの」

「ここ?」

「そう。本井浜の近くにある乙野高校に行くこと」


 タロがひょいと首を傾げた。高校っていうのが何かわかるかな?


「高校ってのはなんだ?」


 やっぱりかー。


「わたしたちは、学校っていうところでいろんなことを学ぶの」

「ふむ。学校……か」

「そう。年齢に応じて、学ぶことがだんだん高度になっていく」

「それはなんの役に立つんだ?」

「タロが食べているもの、着ているもの、住んでいるところ。みんな、学んだことの応用で作られてる」

「そうかっ!」


 タロ的にはごちゃごちゃ説明されるより、今の生活が知識の上に乗っかってるっていうイメージが伝わればおっけーだったんだろう。しっかり納得してくれた。


「そこは理解した」

「おっけー。で、小学校、中学校ときて、わたしは今年の春から高校に行くことになったの」

「それがさっきのだな」

「そう。高校っていうのは、学力に応じて行けるか行けないかが決まるの」

「いろいろ知っていないと、行けないところがあるってことだな」

「まあね。でね」

「ああ」

「乙野高校には、他にはないユニークな学科があるの」

「がっか?」

「勉強する中身が、他の学校とはちょっと違うってことね」

「ほほう」


 ここからは専門性が高くなるけど、できるだけタロに理解しやすいよう噛み砕いて説明していった。


 乙野高校は、元は乙野水産高校っていう校名だった。でも、郡部の人口減少と子供の学力低下のダブルパンチを食らって、大幅な定員割れが続いてた。廃校への道をまっしぐらだったんだよね。でも、県がものすごく斬新なテコ入れをしたんだ。海洋研究科っていうのを創設して、校名から水産という文字を外したの。


 有名大学の海洋研究学者を呼んで講義してもらったり、大学レベルの研究、調査活動を授業に組み入れたり。とにかく、刺激的でおもしろい学校にがらっと変えたんだ。田舎の三流ダメ高だった乙野高校には、全国から優秀な学生が集まるようになったの。海っていうフィールドは無限の可能性を秘めてるから。

 海洋研究、水産研究をやってる大学への推薦入学制度もあるし、なにせ学校が海辺にあるからがっつり入れこめるじゃん!


 それでも、高校のある場所がうちと全然関係なかったら、わたしは呉の高校に通ってたと思う。お母さんの実家……おばあちゃんちが乙野高校の近くにあるってことが、わたしにとっての決め手になったんだ。

 おじいちゃんが亡くなってから、意地を張って一人暮らしを通してるおばあちゃん。お母さんはおばあちゃんが心配なんだけど、どんなに呼び寄せようとしてもおばあちゃんが頑として応じないんじゃしょうがない。でも、わたしがおばあちゃんちに下宿すれば、一石二鳥じゃん。わたしは学校に通いやすいし、おばあちゃんのケアもできる。


 どうかな? タロにも、理解できたかな?

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