六話 双狂

双狂 1


 いつもと違う、ブラウンの制服は少しばかりサイズが合っていない。だが、それもまた良いのではないか――と、考えながら長谷部燐音は学校の廊下を歩く。

 校舎は老朽化が進んでいる、今どき珍しい木造のもの。掃除自体は行き届いているが、全体的に暗く、湿った印象がある。


 歩いているのは、いつも通っているのとは別の学校の廊下で、着ている制服もこの学校のものである。

 燐音はここに、一人で来たわけではない。

 小柄な少女――霊鎧の黒玉が、その隣を歩いている。


 ――ふふふ、これが幸福、というものね。

 和装の黒玉は学校の廊下からは完全に浮いた外見だが、どこに居ても浮き上がってしまうちょっと危険な可愛らしさがあるので、さしたる問題ではない。

 そんなことを思いながら、隣を見る。


 ちょこちょこと小さな歩幅で歩く黒玉が、心臓が止まりそうになるほど可愛らしい。黒い服から覗く、小さな白い手、さらさらの髪。

 ――おっと、さすがによだれは不味いわね、よだれは。

 じゅるりと音を立てて、自らの口内に溢れつつあった唾液を飲み込んだ。こうなるのも全て、黒玉が可愛らしいのがいけない。


 ――つまり、私は悪くない。

 存在自体が罪……生まれながらの芸術品……すっごいかわいい……

「……燐音?」

 愛らしい声でこちらを見上げてくる黒玉。おっと、心が通じてしまっただろうか?


「うふふ」

「……気持ち悪い」

 心底嫌そうなジト目も愛らしい。かわいいは正義。即ち私は正義の信奉者……などと、ふわふわとした心地で燐音は考える。


 そんな燐音に向かって、黒玉は言う。

「そろそろ?」

「そうね、残念なことに」

「……残念?」

「黒玉とずっとお散歩していたかったわ」


 無言で黒玉は前を向く。

 ――恥ずかしがらなくてもいいのに……いえ、でもそういうシャイなところも可愛いわ。つまりはパーフェクトだわ。

 そんな事を燐音が考えていると、廊下の先に扉が見えてくる。

 一見して何の変哲もない木製の扉。


 しかし、これは開かずの間の扉――なのだという。

 扉の前に立って、燐音は横開きの引き戸に手をかける。開かない。がたり、がたり、と音が鳴るだけだ。

 もっとも、これは当たり前なのだが。


「……はい」

 横に立っていた黒玉が、鍵を手渡してくる。これは職員室で預かったものである。手渡してほしかったので、黒玉に持たせておいたのだ。

 扉や校舎の古さに比べると、鍵は不自然なほどに輝いていた。


「ありがとう、クロ。お利口さんね」

 黒玉から受け取った鍵を差し込んで、回す。ちょっとした違和感はあったものの、問題なく鍵は開いたようだ。

 それもその筈、この鍵は新しく作り直したものだからだ。

 ぎりり、と音を立てて、扉が開く。


「……燐音」

 部屋の内部を見て、黒玉が言う。

「気をつけて、クロ。あまり可愛らしい声を出されると、仕事を放り出したくなるわ」

「……燐音ぇ」


 呆れ声。

 可憐の極みとでも言うべきそれを聴きながら、燐音は部屋の中を見る。

 普段はあまり使われていない特殊教室――そういう印象の部屋だった。

 元々は理科室か何かだったのか、長机が複数。入り口の横手には、大きめの黒板。


 入り口から見て右には大きな窓が複数有り、本来なら明るい部屋なのだろうが、今は全てのカーテンが閉められているため、薄暗い。

 机の全てに埃が積もっており、それは木製の床も同様だ。ここには殆ど入るものが居なかった――というのは間違いない所だ。

 開かずの間――


「……居るよ」

 黒玉の言葉に、燐音は頷いた。

 何も居なかったら、それはそれで非常に困ってしまう。

 燐音と黒玉は、人探しに来たのだから。


 ……ことの始まりは、燐音の仕事用スマートフォンに、奈美川から入った連絡であった。

 それは、とある学校の校内で、行方不明になった少女を探して欲しいというものだ。

 それだけでは、はっきり言って、燐音が関わるような案件ではない。

 だが、それがあまりにも奇妙な状況、つまり、超自然的な何かが関係しているとしか思えない状況であれば、話は別だ。


 行方不明になったのは、有る種の新聞部の少女である。学内新聞――と言っても、校内SNSで記事を配信する形態であり、物理媒体として印刷するわけではないらしい――を制作する部活だ。

 その部活の記事のために、旧校舎の開かずの間、について調べていたらしい。

 この学校にも、ご多分に漏れず学校の怪談、とでも言うべき話はあり、その中の一つがそれだった。


 旧校舎には開かずの間が有る。そこではかつて何かがあった結果、教室が閉ざされた、というものだ。

 何か、の内容には様々な説がある。


 曰く、その教室で自殺した生徒がいる。

 曰く、その教室には怪物が潜んでおり、それを封印するために開かずの間とされた。

 曰く、そこは異次元空間への入り口である。


 現在では殆ど使われることがない旧校舎が舞台ということもあり、その噂は真面目に信じられること無く、かといってバカバカしいと切り捨てられるでもなく、なんとなく生徒の間で語り継がれてきた。

 そして行方不明の少女は、その開かずの間、がどの教室であるかを突き止めた、


 もっとも、それは綿密な調査の結果などではなく、単に旧校舎教室の鍵の管理状況について教師に聞いて調べた、というだけの話である。

 現在の旧校舎に、開かずの間は一つ。鍵を紛失したかなにかした結果、開かずの間になってしまった部屋があったのだ。


 少女はその部屋の中を調べるために、合鍵を作った。折角なので一人で入る――そう言って開かずの間に入った少女は、そこから出てこなかった。

 開かずの間に入ったのは少女一人だったが、もう一人、新聞部の生徒が部屋の外まで付添って、待っていた。


 だが、入ってから長くても十分程度で出てくる予定が、二十分以上経っても、少女が開かずの間から出てこない。

 不審に思ってドアを開けてみると、部屋の中に少女の姿は無かった――という。

 部屋の中で隠れているのか、或いは窓から外に出たのか、調べてみたが、そのような形跡もない。


 少女は密室の中から、煙のように消えてしまったのだ。

 警察への届けと同時に、超自然的な――悪霊などによる事件の可能性を考慮した関係者の誰かによって、奈美川に話がいった。

 そこから燐音の元に依頼が回ってきたのは、現場が学校で、学生である燐音が適役だったからであろう。


 或いは、被害者が少女、ということで燐音のテンションが上がることを、奈美川が期待していたのか。

 結果的に、燐音は依頼を受け、こうして開かずの間に足を踏み入れることとなった。

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