峠の主 5(終)


 朧車を下した後。

 事故を起こした――とは言っても、ガードレールに車体の後部をぶつけた程度だった車の元へと戻り、ブラッドアンバーはその装着を解除した。

 閃光に包まれるブラッドアンバー。

 光が収まると、ブラッドアンバーが立っていた場所には、代わりに社と琥珀の二人が立っていた。

 

「お仕事完了、だな。左手の具合はどうだ?」

「問題ない」

 言って、社は琥珀に向かって、手をひらひらを動かしてみせた。

 停車位置に戻る前に、治療魔術によって、社の怪我は治療済みである。霊鎧には、こうして使い手を保護するための機構が無数に備えられている。


 異界の親である朧車を倒したことによって、峠の異界化は元に戻っていた。

 ダウンヒルが無限に続くこともなく、普通に走りさえすれば、この山から下りることは出来るだろう。

「疲れたし、帰るか……」

「ま、そうだなー。もう丑三つ時も回ったし、あんまり留まっていると、別の怪異に捕まるかもだ」


「それは勘弁願いたいな」

 そんな事を言い合いながら、社と琥珀は車に乗り込む。

「しかし、なんだ。あいつ、全くもって攻撃してこなかったな」

「それは、まぁそうだろう」


 琥珀の問いかけに向かって、社はそう答える。

「おっと、それはなんでだ、社」

「単純な話、あいつが朧車だからだよ」


「……朧車で有ることと、攻撃を仕掛けてこなかったこと、そこに何の関係が有るんだ? 私的には、むしろ投げ技を仕掛けてきそうな名前に聞こえるんだけど」

「そんなわけがあるか……」

 シートベルトを締めながら、社は言う。


「朧車は、車争いに負けたことが原因で生まれた悪霊、或いは付喪神な訳だが、それだけだ」

「それだけ――というと?」

「朧車に関する怪異譚はな、顔のついた車の怪物を見つけた――それだけで終わりなんだよ。元から、あれは人に攻撃してきたりしたなんて話はない」


 社の説明を聞いて、琥珀はきょとんとして、口を開いた。

「なんだそりゃ。じゃあ、朧車は何のために化けて出たんだ?」

「まぁ、無念が高じてそうなった、という以上のものではないんだろうが……今回の朧車に関しては、まぁ明確だろう」


「というと?」

 琥珀の疑問を聴きながら、社は少しばかり長くなりそうだ――と思い、ここに来る前に買ってきた缶コーヒーを開けた。

「車争い――もとい、レースに参加するためだろうさ」

「ほう」


「朧車が現れてから事故が増えた――という事は、当然のことながら、それ以前からこの峠では事故があったということになる。それはまぁ、当然だ。お前が言うところの、走り屋みたいなのが高速で車を走らせてたわけだからな」

不運ハードラックダンスっちまうやつも居るだろうなー」


「……その結果生まれた無念、或いは悪霊たちが、あの朧車だったのさ。もしかしたら、あれは自分が死んだことにすら気付かないで、生きてたときと同じように走ってただけなのかもしれない」

「そう考えると、哀れでは有るなー」


 琥珀はぼんやりと言う。

 本人――といっていいのかは分からないが――には危害を加えるつもりはなかったのに、結果としてそういう存在となってしまった。

 悪霊には珍しくないことだが、不運な存在だと言えるだろう。

 だが――


「それで生きている人間に迷惑がかかっているのなら、同じ事だ」

 社は言う。

「冷たいことで」

「俺のスタンスだ。まぁ、それ以前に、生死に関わらず夜中の暴走行為は迷惑でしか無いわけだが」

「もっともな話」

 琥珀のその言葉を聞くと、社は飲み終わった缶コーヒーをドリンクホルダーに置いて、キーを差し込んだ。

「帰りは安全運転で行く」

「事故った直後だしな」

「俺の所為じゃない」

 社がキーを回すと、車は排ガスを吐き出して、その健在をアピールし始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る