深くて蒼い海の底から 4


 光の差さない水の中では、上下感覚すら喪失しかねない。しかし、ブラッドアンバーは、牽制射撃を放ちながら、明確に上を目指して進んでいた。

 それは琥珀の言う通り、霊鎧が局地戦闘を想定しているためでもあるし、悪霊サメが作り出した地形が、元の水族館から大きく離れていないと言うことの証左でもあった。


 異界を霊視した結果、中央部の水槽が失われているものの、二重らせんの通路は存在しているのだ。もっとも、その面積は数倍に拡張されてはいたが。

 地形の全体図と現在地が把握出来ているならば、目的地へと移動することは不可能ではない。


『上を目指しているのは分かるが、狙いはなんだ?』

「速度に勝る相手を、広い空間で相手するわけにはいかない」

『なるほど、目指すは閉所……つまり通路か』

 構造が同じなら、大水槽の部屋に繋がる連絡通路も当然存在している。

 距離は有る。速度は出ない。


 タスラムで牽制射撃を撃ちつつでは、走れば数秒の距離でも永遠のように時間が掛かってしまう。

 身体に水がまとわり付いてくる。

 悪霊サメは、ブラッドアンバーに数倍する速度で泳ぎ回っている。

 確実にブラッドアンバーを狙っているが、それを射撃で牽制する。


『しかし、結構当たってるのに、全く動きが止まらないな』

「正直、予想外だ」

『魔弾タスラム、普通の悪霊なら楽に吹き飛ばせるだけの威力があるんだけどな……』

「不味い気がしてきてる」

『どういうことだ、社?』


 疑問を含ませた琥珀の言葉に、社は答える。そうして会話している間も、移動と牽制射撃を止めることはない。

「基本的には攻撃が効いていないという事を、サメが認識したらどうなる」

『どうなるってそれは……あっ……』


 琥珀は何かに気付いたかのように、言葉を切った。

『気にせず突っ込んでくるな……』

「そうなる。だから、そうなる前に通路まで辿り着きたいわけだが……」

『……ところで社』

「なんだ?」

『これフラグでは?』


 琥珀の言葉に、社は少しだけ考える。

「いや、そんなまさか」

『……おい、社。サメが動きを止めたぞ』

 霊視の結果、社も同じ結果を得る。

「まさか」


 そんな言葉を吐き出しながら、社は止まった悪霊サメに向かって魔弾を撃ち込み続ける。

 先までと違って全ての弾丸が、悪霊サメの巨体に飲み込まれていく。

 であるにも関わらず、先までと異なり、悪霊サメは回避や保留の動きを取らない。それどころか――


『そのまさかだなこれは!』

 ブラッドアンバーを正面に見据えて、一気に突撃してきた。

「ちぃ!」

 悪霊サメが、その巨体を大きくくねらせて、自らが生み出した水をかき分けながら突撃してくる。

 社は当然、悪霊サメに向かってタスラムを撃ち込む。しかし、やはりその攻撃が悪霊サメの突進を鈍らせる様子は無い。


『社!』

「分かっている!」

 言いながら、社はタスラムによる射撃を止める。同時に、琥珀は魔弾タスラムを符号化エンコード。腕を元の形状に戻す。

 そうして、泳ぎに専念して、少しでも速度を稼ぐ。少しでも早く、上に――そのための措置だった。


 しかし、悪霊サメとの速度差は絶望的なものだ。

 止まっている標的に矢が放たれたかのように、絶望的な速度で二者の距離は縮まっていく。

『通路まで辿り着けそうにない! 迎撃しろ、社!』

「アスラを出せ!」

『分かった! 伝承礼装エピックウェポン・増腕アスラ復元デコード


 琥珀の言葉と同時に、ブラッドアンバーの背面から、四本の機械の腕が生えてくる。

「喰らえッ」

 高速で突撃してくる悪霊サメ。ミサイルのようなそれに向かって、社は増腕アスラの巨大な腕の一本を振り被る。


 カウンターの一撃が叩き込まれるよりも先に、悪霊サメがその大顎を開いた。

『く、食われる! 食われるぞ社!』

「なんで少し嬉しそうなん――だッ!」

 悪霊サメの口内に機械腕が突き込まれる/粘膜を突き破る感触。

 悪霊サメが、その大顎を勢いよく閉じる/瞬間的に、増腕アスラの一本が噛み砕かれる。水中に、砕け散った増腕アスラの破片が舞い散り、文字の塊となって消えていく。破壊され、ブラッドアンバー本体から切り離された事による、意味喪失からの強制的な符号化エンコードが起こっているのだ。


『右上腕破損! 生まれて始めてサメに食われたぞ!』

「二度としたい経験じゃないな」

 増腕アスラを噛み千切った悪霊サメは、その勢いのまま、まるで吹き飛ばされるようにブラッドアンバーの後方へと進んでいく。

「今のうちに、アスラも使って進む!」

『了解だ、制御は任せてもらうぞ』


 残った三本の増腕を用いて、ブラッドアンバーは必死に水をかく。巨大な増腕は、まるでタコの触腕のように、ブラッドアンバーの身体を押し上げていく。

 速度に任せて、随分と後方へと水泡を吐き出しながら飛んでいった悪霊サメも、身を翻してこちらへと向き直りつつ有る。


「最悪、もう一本食わせる必要があるか……?」

『……いや、待て、もう少しだ!』

「何だ、予定よりは――」

『水面が来た!』

 琥珀のその言葉に反応して、社は頭上を見る。そうして、彼女の言葉が事実であることを理解した。


 伸ばしたブラッドアンバーの右腕が、水の壁を突き破る。

 そのまま、増腕アスラを推進力とした勢いで、ブラッドアンバーは水の上に頭を出した。

「こうなれば話は別だ。まずは陸に上がってやる」


 言うと、社は増腕と身体の全てを使って泳ぎ、元は上り坂だった地形まで辿り着く。

 まるで波打ち際のようになった坂にそのまま上陸して、一気に登っていく。らせん状になった坂は、本来の広さならある程度登った時点ですぐに最上部、そして横の通路へと辿り着いてしまう。しかし、異界化によって拡大された所為で、勾配は緩く、水面との境目はまるで波打ち際のようになっていた。


 社はそこから上陸して、緩やかな坂を駆け上り水辺から離れる。しかし、そのまま坂を登り続けて連絡通路まで入ることをせずに社は立ち止まる。

 そして、水面に向かって向き直る。

『何をするつもりだ、社?』

「地上に出られたなら、話は別だ。先までと違い、地の利はこちらにある。だったら、迎撃してやるだけだ」


 言いながら、社は増腕アスラを引っ込める。巨大な三本の腕が消え、ブラッドアンバーはすっきりとした人型のシルエットに戻った。

『迎撃と言っても、何を使うつもりだ? タスラムはいまいち通用しそうにないぞ? ガインショットよりは大分マシって程度か、これは』

「どれくらいだそれは……まぁ、魚なら、撃つよりも捌く方が向いてるだろう。だから、アレを使う……サメは魚で良いんだったかな」

『あー、なるほど。あれならいけるかもしれないな……それはそれとして、サメはきっちり魚類だ。雰囲気、イルカやらクジラやらっぽいが、別に哺乳類ってわけじゃない。社、お前はキャビアをなんだと思ってるんだ?』

「……そう言われれば確かに」


 言いながら、社は構える。

 サメが陸上に上がったブラッドアンバーに攻撃するつもりなら、海面から飛び上がって襲いかかってくるはずだ。

 ならば、そこを迎撃する。

 そのための伝承礼装エピックウェポンも用意されている。

 そうして待っている内に、水面を切って、現れるものがあった。

 刃のようなそれは、サメの背ビレだった。

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