第4話 せめて冬至が終わるまで

一昨日の日曜の朝、目覚めたけれど体が一切動かない。動けなかった。


喉が乾いているのに飲みに行こうとしない。


日曜だから二度寝するか~。と思ってもワクワクしない。


むしろこのまま起きるのを拒否して一切の生命維持活動を止めてしまえばこのまま。


なんて事を考えたのは17才の頃以来だ。


…いかん、これ気づかない内に抑うつになってる!


せめて布団から出て日の光浴びないと!とやっとパジャマに半纏羽織って布団から這い出てスマホの電源を入れて時計を見ると朝10時半。


スマホニュースの速報で初めてミュージカル女優の訃報を知った。


え…?と心臓がバクバクし出す。ここ半月自分の心の裏側にべったり張り付いていた、


もういい年なのだからこのままなにも成せずに生きるよりは自分から現世とおさらばした方がいいんじゃないか?


という黒いフィルムが私を押し包もうとする。


駄目だ、これに包まれてしまってはいけない。


私は3分から5分は必死でお不動さんの真言らしきものを唱えながら


(いちおう仏さんが見てるので悪事は出来ない、という信心はある)


心を空白にしてなんとか虚無という名の黒いフィルムを引き剥がした。


引き剥がした後でつい、


「ちくしょうめ、私は生きるぞ!」という言葉が口をついて出ていた。


それはこの世の理不尽全てへの怒りであり逆ギレであった。


怒ると不思議とお腹が空いて昨夜のトンカツの残りと味噌汁でご飯二杯いけたのだから本っ当に危なかった時に生きる力を取り戻した。


昼の12時過ぎ、二年前にCDを買ったショップから来たメールの文面が


「だいじょうぶ、これから良くなるからね」


だった。


メールの内容をざっくり要約すると


冬至前は日照時間が少なくなり生き物が死ぬ時間と呼ばれていて人のメンタルもこの時期に落ち込みやすいけれど…


冬至が過ぎれば今よりいいことあるから。


って書かれていた。


もうこれタイムリーすぎるじゃないか。


と私はメールをくれた店主さんに心の底から感謝し、


「ちくしょうめ、私は生きるぞ」


と改めて口に出して食糧の買い出しに外に出た。


帰ってから一年前のメモ帳と家計簿を取り出し去年の自分はどうだったか今の自分と比べてみると、


なんだ、冷蔵庫を買い替える、財布を買い替える、体調が良くなる。


内科と歯科でいい主治医に出会う。


など一年前より少しは幸せになっているではないか。


この時ネガティブ思考の自分がやりたいことを阻む足元の石を一つずつ取り除く作業を実行していたというのに気付いた。


たぶんこれをポジティブ思考でやっていたら足元を見ずに無理矢理飛び越えて目的を果たそうとし、却って後処理の種を残していただろう。


大丈夫、私は少しずつ幸せになっている。


明日の冬至が終わるまでエネルギーを蓄えて生きる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る